見出し画像

誕生日だった。

昨日は自分の誕生日だった。
もう少し若い頃は仲間に盛大に祝われてなんぼ、という感じだったけれど、
今は自分がもらったプレゼントを全て丁寧に並べて写真を撮ってSNSにあげるとか、そういう気力もないな、と思ったのが「歳をとったな」という感覚を助長させる感じだ。


知人からもらったドーナツ


誕生日ということで好物の寿司


知人にささやかなプレゼントをもらったり、
LINEギフトを頂いたり、
実家の母から荷物が送られてきたり。
そういう事柄が嬉しいと思った。


旦那はその日は仕事だったので、パーティというパーティこそしなかったし、

むしろ旦那は1歳半検診の時に一緒に来てもらい、その時に保健士さんやらに言われた言葉に傷ついていて、「落ち込んでる」と言っていた。

前祝いはしてもらったし、なんなら義理のお母さんからもケーキを頂いたので、寂しいという感じでは全然無かったのだけれど。


誕生日なのに


という執着は特に無かった。



skyにインしてみた。
フレンドに誕生日とか特に共有していないから、いつも通りの時を過ごした。

いつぞやかフレンドになった子におもむろに手を引かれていく。

ロシア人だったらしいけど、名前も知らないし、チャットテーブルで、話してみたけれど
翻訳しても何を言っているか分からないまま

「バイバイ」

とチャットが切れて、一人取り残された。


案内されたのは星月夜の砂漠。月が綺麗。書庫のひと。


少し歩くと、不思議な場所にたどり着いた。
メッセージボードを浮かべられるようになっていたので、そっと浮かべる。


私の誕生日は3月9日だから
レミオロメンの「3月9日」のメロディを演奏したかった。メロディだけでしか弾けないけれど。

楽器魔法を使って演奏した。
聞いてくれる人は居なかった。

バイオリン魔法。遠くでメセボが浮かんでいる。



そんな自分に誕生日プレゼント、ということでピアノを交換した。


草原等でもピアノを奏でてみた。
勿論聞く人はいなかったけれど。
もっと上手になりたいな。

雨林でパン焼き、キャンマラをして
誰かのシェアスペで少し眠った。

誕生日の夜はこんな過ごし方をした。


誰かに祝われる時間。

そして、誰にも何も言われない時間。


その間に生まれる感情。
誰かがいることといないこと。
その両方から得られるものがある。

誰かの誕生日に誰かが落ち込んでいる。
誰かが泣いている。

そんな存在を抱いて
地球は回っている。

完璧な孤独はこの世には存在しなくて
自分が孤独に閉じこもるか否かなのかもしれない。


孤独はまた儚くも、美しい。



そんなことを感じながら、また1つ歳をとった。



読んで頂き、ありがとうございます。
読んで下さった皆様が
ささやかな幸福を、ささやかな孤独を
ゆっくりゆっくり抱きしめることができますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?