おもしろさに平等でありたい

自分の心の琴線を、なるべくたくさん揺らしながら生きていたいなあ、と思っている。

「自分というフィルターを通して世界を見ること」は、誰もが平等に持つ「自分にしかできないこと」だと思うので、なるべくそのフィルターにたくさんのものを通しながら、ていねいに世界を映して生きていたい。

だから、人や、映画や、本や、音楽、お店、旅行、イベント、テクノロジー、社会現象。笑えるものや泣けるもの、感動するものや衝撃を受けるもの。おもしろいと感じるものに対しては、いつだって平等な、素直な気持ちで見ていたいな、と思う。

「俺、ぜったいベストセラー小説とか、巨大スクリーンで上映されてるジャニーズが主演の映画とか、読みたくないし、見たくないんだよね。なんかカッコ悪いし」というカッコ悪いことを言っている人に出会ったことがある。

数年前に放映されていた映画『永遠の0』にものすごく感動して2回見にいったというと、「えー、そういうタイプの映画も見るんや。もっとサブカル寄りなのかと思ってたから、なんか意外ー」と言われたことがある。

町田康の本が好きだというと、「あ、そういうタイプ?」と言われたことがある。


なんというか、ミーハーとかサブカルとかパリピとかオタクとか、人のカテゴリと一緒に、コンテンツにも「そういうタイプ」というカテゴリをつけてしまいがちな世の中だな、と思う。おもしろいものはおもしろいのに、どうして自分と違うカテゴリになったとたん、無意識に排除してしまうんだろう? ふしぎに思う。

「どんな本が好き?」とか「どんな映画が好き?」「どんな人が好き?」と聞かれてどう答えていいか分からなくなるのは、その答えが「私の心の琴線に触れるものが好き」という、めちゃくちゃ漠然としたものだからなんだろうと、ふと気づいた。自分自身にいろんな側面があるように、琴線の揺さぶられ方にもいろいろある。だから、一概に「どんな○○が好き?」という問いには、なかなかうまく答えられずにいる。

いろんな種類のおもしろさに平等でありたい、そして、いろいろと感じていたい。このnoteは、自分のフィルターを通した世界について思うことを、いろいろと書いている。

書きたいことがあるということは、琴線がちゃんと揺れている証拠なのだ、と思う、日曜日の昼下がり。


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あかしゆか

よもやま雑記

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