note、そして手書きとタイピング

noteで書き始めて2日ぐらいだが驚いたことがある。
連日で投稿すると、連日で投稿!すごい!!と褒めてくれる。
なんだこのクリエーターに優しい世界は。泣けてくる。
ふぁぼだのイイねだのの数ではなくて、
いちいちメッセージカードみたいな形で出てくるのも
自己肯定感の底上げ半端ない。
とりあえず継続しますという気にさせてくれるので、
その気持に従い文を連ねる。

文章にして残すという行為には色々な媒体がある。
まずはブログが一般に浸透したのではないだろうか。
cgi、魔法のiらんど、ヤプログ、アメブロ、mixi、FC2ブログなどなど。
これらのサービスの中には、消えてしまったものもあるが
私のもっと恥ずかしい黒歴史が残ったまま放置されている。
ログインしようにもパスワードとIDが無数にありすぎてわからない。
見つけてもそっとしておいてほしい。

ネットの媒体ばかり上げたが、もちろんチラシの裏に書いても良い。
私は上記の通りネットに書き散らかした揚句、
当時の会社で社内ニートになっていたので、暇すぎて
あまり書くことがなくなってしまった。
そんなゆとりから生まれたのか、
むなしい日々を形に残る達成感で埋めたかったのか、
当時流行っていたライフログを手書きで始めることにした。
とにかく暇で暇すぎたので、秒で打ち終わるタイピングではだめで、時間がかかる手書きがベストだった。
手書きというのは意外と無になれる。暇であることを忘れたいぐらい暇だった。暇すぎて自分の居場所がどこにもないかのようで、必死に書いた。

いざ始めてみると、じっくり自分の文と向きあう時間が意外と面白くて
習慣となってから5、6年は経つだろうか。
読み返そうとした時も、あの時期はこれぐらいのノートに書いていたと
記憶にも残っているので、割と楽な気がする。
おかげさまで文具沼にもはまった。はまったというか病気だった。
やめてくれ、もう病気はたくさんだ。


こうして趣味の枝を広げながら、ライフログがモーニングページになり
積み上げた駄文が重なり文章化するベースが自分の中でようやく整った。
手書きを始めた頃よりも早く言葉が文章になるし、自分の考えが増えていった。そう感じると、人に発信したい気持が強くなった。
これは人間の本能みたいなものなのだろうか。

片岡義男氏著「万年筆インク紙」晶文社 という本から
一部引用させていただきたい。
―ワープロが持たされている機能の核心は、つじつまの合ってない部分があれば、それをあらわにする、という機能だ。~(中略)~つじつまの合っていない部分がたくさんある状態のものを、ワープロに向かう前の段階で、自分のものとして存分に持ちたい、という願望だ。―

手書きの時間を十分持ってきた上で、今タイピングで文をひねりだしてる私はこのくだりを読んで、まさしくその通りだと感動した。
たくさんある状態のものを取りこぼさずに一覧するにはタイピングの速さでないと追いつかないし、編集のしやすさが推敲やつじつまの確認に大きい利点となっている。
手書きは上記の目的では厳しい面もあると感じるが、文字情報として表わされるもの以外の全てが手書き文字にこもっている。パラドックスとはこのことか。この本の題名通り、万年筆とインクで書くとより一層非言語の世界が広がるし、自分の言葉を手で書いた瞬間に、紙の上に今その時の自分が仮固定されるような気がする。
同じ言葉を使うのに、出力によって自分へのフィードバックが異なるのだから面白い。人間でよかった。

ブログというと、日記や個人的な所感というイメージが強い。
もちろんブログでコラムのように書くこともできるし、
Twitterのように短くリアルタイムに書くこともできるが、
自分の考えをまとめておける場所があればと思っていたのかもしれない。
いざとなったら絵でも手書きでもなんでもアップできるnoteのスタイルが、自分の表現活動と、表現したものから自分や人へのフィードバックへの期待を膨らませたのかもしれない。


#noteでよかったこと #手書き #タイピング #万年筆 #インク

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