戦争は永遠に終わらない1

前回の記事で、先の大戦に関する本ばかり読んでいたと書いた。
戦艦が美少女になっているゲームにすっかりのめり込んでいて全ての模型が美少女に見える状態なので、大変不謹慎ではあるが先の大戦に関する本をアナザーストーリーのような気持ち半分で読んでいる。アルキメデスの大戦も、大和姉さんが出るから見に行ったようなものだ。
そうは言っても、戦争に1ミリも興味がなければ戦艦ゲームにここまでハマりはしない。もともと興味があり、ゲームのおかげで各々の戦闘への理解度が深まるというスパイラル状態だ。

小さい頃から親に「戦争は繰り返してはいけない」と事あるごとに聞かされて育った。親も戦争世代ではないが子供の頃に傷病兵の方が物乞いをしているのを見たり、小野田さんの帰国ニュースの世代ということもあり、戦争を身近に感じるきっかけになったものと思われる。
私の祖父母の代が太平洋戦争時に小学生だった。夏休みの宿題で身近な人に戦争の話を聞いてみましょうというようなものがあったのか、戦争映画が地上波で放映されていたついでだったか、何度か聞いてみたことがある。
祖父は「兵隊にも行かなかったしよくわからない。一応検査はしたけど痔持ちで行進ができないから兵隊にとられなかった。」と笑って答えられてそれ以上聞けなかった。痔だと兵隊にとられなかったって本当かなぁ…という疑問を残しつつ空襲の話も食料に困っていた話も全く無かった。
祖母も「子供だったからよくわからない。」としか言わなかった。
ただ、混ぜご飯や穀物の入っているご飯を変に避ける所があったので何かトラウマでもあるのかなと勝手に思っていた。

小さい頃の私は、子供だからなのか前世で何かの因縁があったのか「死」に怯えきっていて、話題に出てくるだけで泣き出したりたまに気が狂いそうだったぐらい怯えていたので、死につながる戦争は絶対に起こしてはいけないしそんな国になったら逃げなくてはと漠然と考えながら成長した。
中学と高校の修学旅行も、長崎と沖縄、先の大戦中でも象徴的な場所で得ることも多かった。ただ、体験記を聞いている以上に勉強したり思索を深めることはなく、ただただ悲しいことを悲しい、許せないことを許せないで終わってしまっていた。

そんな私はブラック企業に洗脳されDV被害者さながらに人や所が変わってもブラック体質という就業状態に甘んじる大人になってしまった。
そうやってフラフラしているうちに先述の祖父母が亡くなった。
自分たちのことをほとんど語らずに亡くなった祖父母だったが、祖父について衝撃の事実を知ることになる。
ハーフだったのだ。見たらわからんのかいという話だがわからなかった。
若い時の写真は背が高くてサングラスをかけていたので海外の俳優みたいだね〜と親戚一同で話題にしたことがあったが祖父は特に何も言わなかった。
祖父が私の祖父になる頃には腰もまがっているしサングラスもかけていなかったし目の色も髪色も普通で、ハーフには見えなかった。
生まれてすぐに育ての親の家庭に来たが、その事実を知ると日本人母のもとへ行ったことはあるそうだ。詳細はそれぐらいしかわからなかったが、祖父の子供の時の写真に実の父が英語で書いた名前が残っていた。英語圏の父親と日本人母親のハーフということにしておこう。
日露戦争の真っ最中に生まれた祖父が、英語圏の人と日本人の親を持っていて、痔持ちで行進ができなかったで戦争が終わるはずがない。このことを知る前よりさらに、祖父が生きた時代のことが知りたいと思った。
祖父が亡くなる前に祖母が亡くなっていて、あまりのショックに戦艦美少女ゲームを始めて気を紛らわしていたが、より一層身が入ることとなった。

こうやって、平和な日本で生きる人はどこかの時点で「経験していない先の大戦」について自分の身に迫るような接点を感じないと「知る」だけで留まってしまう。
私はたまたま親族から接点を見出したが、今後はそういう人間は少なくなるだろう。それだけ時間が経てば、それだけ平和が維持できていれば、先の大戦の歴史を学ぶ意味とは?という声も出てくるかもしれない。
しかし、タイトルの通りである。戦争は永遠に終わらない。終わらない上に日常のいたるところにある。だからこそどの時代の人でも学ぶことができるしゲームにもなる。少しずつ記事を重ねて、今以上に知りたいと思ってもらえるようなコンテンツにしていきたい。

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