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また寄り道をしてしまって。

読まなければと思っている本や論文、それも読みたいのだけど、優先順位の下の方の本を読みたくなってしまうのは、生活必需品を買うより甘味を買う方が楽しいのと同じでしょうか・・・


角谷詩織(角は田の下が突き出ます)先生に薦めていただいて、『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら』を読みました。
ギフテッドは近年メディアでもよく目にする言葉ですが、ギフテッドはその才能がもてはやされる華やかなだけの存在なのでしょうか。
角谷先生に疑問のきっかけをいただいて、もしマイノリティであるギフティッドの子どもがクラスにいたら適切な支援ができるのか、初めて出合ったギフティッドという見方に興味が湧いたのです。

本をまだたった1冊ですが、読んでみると、院の授業での先生の講義は先生の言いたいことのエッセンスでありながら、ほんの一部だったとよくわかります。
前期の半分の担当でいらしたけれど、伝えたいことを絞って講義をしてくださったことにほんとに感謝です。

ギフティッドの子どもは、知能指数のベル型曲線を見れば、必ず一定数存在することは明らかです。
そして、ギフティッドであるということはその子をその子たらしめている特性であり、その特性を否定したり逆に無条件に褒めたりすることは、その子が自分の人生を自分のものと感じながら生きていくことを妨げてしまうことになるのです。


また、この本を読みながら、すべての子どもに当てはまる教育の目的を考えながら読んでいることに気がつきました。

これからの時代を生きる子どもたち、だって今10歳の子どもは私より、まあ、約30年の未来を生きるのだから、30年後の地球と社会を生きる彼らが幸せに生きるにはどんな力が大切なんだろう、て想像して学校はあるべきでしょう。


さてまた色々読みます。
次こそ論文かな。どうしよかな。


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