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Robert Capa「崩れ落ちる兵士」の写真が、すでにパブリックドメインになっていることを、知ってましたか?

ことし、2024年5月25日は、ロバート・キャパ没70年だ。1954年5月25日午後3時10分ごろ、ベトナム北部首都ハノイ東南100キロ、紅河デルタの街、タイビンの町はずれタンネという場所で、キャパは地雷を踏んで死んだ。40才だった。そのへんについては、没50年の2004年に出版した、僕の著作「ロバート・キャパ最期の日」に詳しく書いてある。
さて、写真の著作権は死後70年だったはずだ。
ただうわさで「崩れ落ちる兵士」がパブリックドメインになっていると聞いたのでいろいろ調べてみた。
ChatGPTは、曖昧。GoogleBardは、いくつか答えがあり、パブリックドメインと明確に答える時もある。なんとTPP加盟したので、50年に短縮したともでてくる。(批准2018年12月30日)
パブリックドメインになったとしても、商業目的で使用する時は、遺産管理者の許可が必要ということだ。
ということは、ネットの研究で、公開されているキャパの写真はどうどうと使用できるということなのだろうか?詳しい人教えてください。

「崩れ落ちる兵士」は、歴史上の写真だ。その写真が演出されたものなのか、本当に頭に銃が貫通した瞬間の写真なのかは、発表されたときから問題にされていた。
この写真一枚だけを見れば、演習か、本当かは不明だけれど、公開されている前後の写真を見れば、これが演習中に撮られたものだというのは明白だ。そのことは発表された当時も皆気づいていたはずだ。 キャパの弟のコーネルと、研究者のリチャード・ウイーランが、非演出だったことを願っていたようだが、状況証拠からいって、「斃れる兵士」ではなく「崩れ落ちる兵士」であることは確かだろう。
以前にもこの問題は書いたことがある。

キャパ(アンドレフリードマン)は、右傾化したハンガリーで国外退去になり逃亡、ベルリンで写真を学び19歳でトロツキーを撮った。そしてナチスから逃げるようにまだ自由だったパリまでやってきた。
弱冠22歳の、難民パスポートしかもっていないユダヤ人の、いけてない青年が、やはりドイツから逃げてきた後に恋人となる少し年上のゲルダタローと結託して、スタイリッシュなアメリカ人写真家ロバート・キャパに変身し、タッグを組み、二次大戦前の混乱した時代、スペイン内戦を取材する。

初出 1936年 ヴュ誌9月23日号  スペイン内戦 RobertCapa


1936年、その中の歴史的な一枚、「崩れ落ちる兵士」というアイコンとなる写真を撮り、時代の寵児になる。 そして本当に世界的な戦争写真家になったのは、創刊されたばかりの革新的な世界的グラフ雑誌「LIFE」でピックアップされたからだ。一躍「世界ナンバー1の戦争写真家」としてスポットライトが当った。
その僥倖を、22歳のハンガリー難民、かつて超弱者だったユダヤ人のアンドレフリードマンは、否定する必要があったのだろうか。
「人生はギャンブル」だと信じていたRobertCapaは、この瞬間この写真によって正統に生み落とされた。

1937年7月12日号 ライフ 対抗ページはバイタリスの宣伝 LIFEというロゴが入ったり、ニュースというより、政治宣伝の意味があるみたいだ。

なによりこの写真が、
頭部に弾丸が貫通した瞬間の写真、この写真はそのように見えたのだ。
写真は真実なんかではない、
眼のまえに起きたことの、ただの表層の断片の記録だ。
その嘘実は、真実と等価の秘密だった。
いや、嘘ではない。
スペイン内乱の撮影は、恋人ゲルダとふたりでRobertCapaを名乗った証でもあった。

キャパはライカⅢを使い、ゲルダは一眼レフタイプのブローニーサイズカメラ、レフレックスコレレを使った。ローライのような二眼ではなく、フィルムを横送りする軽量だけど大ぶりな一眼カメラを使用した。
そのゲルダは、キャパと別に従軍し、自軍の戦車にひかれて死んでしまう。

キャパ生誕100年の頃、沢木耕太郎は「崩れ落ちる兵士」は、実はゲルダが撮ったのではないかと仮説をたて、NHKテレビで番組まで作ってしまった。それを見て僕はびっくりした。
まるでキャパが、「斃れる兵士」ではなく
「崩れ落ちる兵士」という、死の写真ではなく演出写真で有名になったことへの十字架ではなく、
ゲルダが撮ったのに、死んでしまったことをいいことに、
さも自分で撮ったとした嘘に、罪を感じている十字架、みたいな結論になっていた。千歩譲ってもしそうだとしても、
RobertCapは、当時はゲルダ+キャパ=RobertCapaであり、ユニットは嘘でない。
チームで撮るときの、
分担で誰が撮ったかは、代表者の名前になることは写真ではよくあることだ。
例えば1964年東京オリンピックのメインポスター、100mスタート!
撮影者は、NO.1 広告写真家早崎治だが、東京中のストロボを集め、カメラは10台以上をセットしてシンクロさせ、それぞれにカメラマンがついて撮った。
どのカメラで誰が撮った写真を使用したかは問題ではなく、当然早崎治の写真になる。
僕にしても、かつて堀江謙一が世界一周した時、篠山紀信のアシスタント時代、「晴れた日」に載っている写真のどれかは、僕が撮ったものだ。
それは太平洋上の帰国するヨットを空からセスナで撮るために、その一瞬をとらえるためのも、助手である僕もシャッターを切っているだ。
だからといって僕の名前は残らない。そういうものだろう。
いやもっとストレートに言おう。
「崩れ落ちる兵士」は、ロバート・キャパが撮ったものだと
僕は確信している。
それはその1枚の写真は何も語っていない。
その前後の写真、そしてこの10数年間の間に新たに見つかった写真を見ると、全体像が見えてくる。

その写真はどうみても、公開されている写真のほとんどがキャパが撮ったように思える。
明確にブローニーで撮ったと思える写真は多くはない。
それより、特に崩れ落ちる兵士の写真周辺は、僕はひとつのカメラで撮ったように見える。背景の景色に描写の統一性がある。あたまなのなかで動きを想像できる。
沢木耕太郎と、その反論を書いた、故吉岡栄二郎も、銀塩写真の基本的なことがわかっていないのかもしれない。さかんに写真プリントのフォーマットにこだわりすぎだ。そんなものいくらでも可変できる。

確かにゲルダの研究者がブロニーフィルム、正方形のローライで撮っていると指摘したのは事実だ。(ローライではなく、横送りのブローニー、コッホマン社製レフレックスコレレ、一眼レフカメラ)。

キャパの撮った初出のフランスのグラフ雑誌「ヴュ」誌に載った、明確にトリミングされた横長の2枚の写真。
その写真のオリジナルサイズとされる「ライフ誌」のプリントフォーマットは2:3ではなく、4:3のセミ版に近い。
ただ、このサイズ4:3は35mmカメラでは撮れないと、断言することはできない。ネガを見ずにどうしてプリントを見ただけで断言できない。

写真専門家は、プリントを見て、どんなカメラで撮ったのか、調べることはできるだろう。
ただオリジナルのネガや密着プリントがあるならともかく、トリミングをしているのかどうかは、プリントだけではわからないと答える。完全じゃないから、想像は自由だけれど。

写真のトリミングはプリントの時、引き伸ばしから投影されたイーゼル(印画紙を収める枠)ですることが普通だ。
雑誌やポスターは、最終的には、デザイナーによって、印刷レイアウトのためにトリミングする。初出のVuの2枚の写真は、レイアウトのために横長にトリミングされた。

ブローニーフィルム、120フィルムは、多くの場合正方形6x6だ。正方形。(実はカメラにアダプターを使えばセミ版で撮ることもできる。いや6x9センチや6x7センチ、6x4.5のセミ版だってある)
6x6の正方形で撮り、そのサイズでプリントするとき、印画紙はたいてい8x10のような縦横比だから、トリミングしないでプリントすると写真が小さくなってしまう。印画紙に余分な余白ができてしまう。今のように余白を生かしてなんて考えなかった。
なので密着焼き以外では、少しでも大きくプリントするために印画紙に合わせて普通にトリミングすることが前提だ。
雑誌になった時も、正方形そのままに使うことは、特別な効果を狙っている。(ファッション誌などおしゃれな雑誌ではページをまたいでレイアウトされることもある。
キャパの撮った「崩れ落ちる兵士」は、オリジナルネガからプリントしたと言われるライフの写真は、どちらにしても実際はトリミングされている。
色調さえ調整されている。
ブロニーで撮ったとしても正方形なので、セミ版にプリントするには当然トリミングすることになる。
35mmで撮ったとすると横位置写真なら左右をトリミングすることになる。
プリントされた写真でオリジナルサイズを知ることは、
比べるための数枚の写真のトーンやボケ具合を子細に見れば、可能かもしれない。
ただトリミングした写真から、まして印刷物や、何どか再複写したプリントは絶対にわからない。
モノクロ銀塩プリントは、ムラや明るさ、濃度は簡単変えられるので、オリジナルがどんなだったかはほぼわからない。
森山大道の「野良犬」写真もオリジナルはプリント数枚で、ネガがなく、オリジナルの複写が世界に出回っている。だから犬が右向きと左向きの写真が存在する。
キャパがライカ、ゲルダがブロニーだと分かっていても、セミ版の「崩れ落ちる兵士」のモノクロ写真は、実はブロニーじゃなくても、ライカで簡単に作れる。だから写真を知るプロの写真家は、可能性はあっても、断定できないといういうだろう。

トリミングは、印画紙上、イーゼル上だけではなく、
実は引伸機のネガキャリア上でも可能だ。

60年代ごろまでがグラフ誌が最盛期で、それまでライフのようなグラフ誌は、写真をやたらにトリミングしたり、再構成して趣旨の違う物語に写真を利用したせいだろうか、写真家は猛烈反発した。
写真は単に素材で、編集者はいくらでも物語を売るためにでっち上げることができる。だからカメラマンたちはかってに編集されないように、途中からかなり抵抗したと思う。
カメラマンは現場で現像し、校正を決めてから編集部に送ることは、基本ありえない。それじゃ速報性のあるニュースにならないからだ。
カメラマンは現場に張り付き、ネガを現像することなく、撮影済みの生フィルムを送るのが普通だ。プロの撮影者としての仕事はそこで終わりともいえる。
そのネガからプリントして、構成するのは出版社、編集者、ディレクターの役目だ。現場から帰って来て、ひどい扱いをされた写真は多くないだろう。

そういうトラブルを回避する意味でも、写真家のための通信社「マグナム」が必要だったのだろう。

引伸機のネガキャリアに話を戻そう。
60年代初頭ぐらいからだろうか、モノクロ写真のスナップなどもアートの仲間入りしてきたとき、写真家たちはノートリミングにこだわった。
商業的にはトリミングは当たり前だ。雑誌は雑誌のレイアウトがある。そのせめぎ合いの力関係で、ノートリミングは写真家の主張でもあったのだ。
それにはまず35mmのネガをネガキャリアに入れるとわかるだろう。
ネガキャリアのワクは微妙に35㎜フィルムの画像より小さいので、フィルムの未露光部分、ネガでいえば、感光していない部分はカットされる。
黒くフレームが出るようにするには、ネガキャリをのワクをすこしヤスリで削って穴を大きくする。それで黒い枠が露出する。写真に黒枠が付く。それだけでかっこいい。

ブロニーサイズも、例えばハッセルブラッドなどは、
枠に三角形の小さな切込みが見える。そういう黒枠を出すのが流行っていた。僕もネガキャリをを削ることは普通にしいていた。

フォルムサイズが、正方形だろうが、2:3だろうが、ノートリで何でもプリントするようになったのは、僕らの時代ぐらいからだろう。印画紙の余白がかっこいい豊かな時代だからだ。
かつて印画紙は貴重だ。わざわざプリントするのに余白は少ないほうがいい。写真屋に少し大きめなプリントをたのめば、黙っていればかってにトリミングしてくる。かつてはそんな時代だった。

「崩れ落ちる兵士」の写真が、2:3ではなく、4:3とか4:5であるのはそれがブロニーで撮られたか、ライカで撮られたのかは分からないというのが事実だ。

そして僕は、20年前の「ロバート・キャパ最期の日」を書いてから、キャパの「崩れ落ちる兵士」に、さほど興味がなかったのは、
その写真が演出したものだと言うことは、議論の余地がない自明なこと思っていたからだ。
だから、沢木さんのNHK問題は、乱暴だなと思った。
しょうがないと思っていたし、ゲルダ説は説得力あると思ったが、キャパの十字架を読んで吹っ飛んでしまった。
こんなあやふやな論理で、さらに「キャパ」盗作疑惑にまで蹴散らかすのはなんだかなあと思っていた。
それで沢木さんや吉岡さんの論を読み、そこに公開されている最新(10年ぐらい前)の「崩れ落ちる兵士」前後の写真を見ていて、
あれ、これ全部同じカメラ、同じ画角で撮っているような気がした。遠くにある背景や、レンズの周辺落ちや、ボケ具合。コンタクトプリントも新たに開示されていたが、
そのコンタクトは普通のコンタクトではなく、一枚から数枚に切り離されているものを、一枚のプリントに再構成され、番号はついているのが、本当にそれが通し番号とは思えなかった。
発表される新しい写真はどれも2:3(ノートリ)プリントされているが、プリントしかない過去の写真はセミ版にトリミングされているものが多い。一番有名な「崩れ落ちる兵士」は、多分オリジナルが2枚ぐらいあり、ネガもなくすべて複写に手をいれたものが流通しているようだ。
LIFEのオリジナルは、セミ版プリント(ほぼ8x10)で柔らかな調子にプリントしてある。
オリジナルは1936年の最初の印刷物、2枚の「崩れ落ちる兵士」のトリミングカットだが、印刷物でみても、周辺光量の落ち具合といい、2枚の写真はムラも同じようだ。有名な方の写真は何度も複写や、プリントの調整で、画質も落ちてて独特の写真になっているが、ヴュ誌の写真はオリジナルプリントに近く2点とも画質も同じようだ。
その写真を、最近発表された写真(10年ぐらい前)遠景の山々や建物、ボケ具合、など似た雰囲気の写真だ。僕の目から見る
と、「崩れ落ちる兵士」の写真は、最近公開されたキャパが撮ったとされる35mmの写真に、僕は似ていると思った。

僕が撮影順にならべて写真。この4点の写真は数分内に同一カメラ、同意人物が撮ったように僕には思える。 特に3番と4番の写真の酷似性。被写体は同じ人物だ。違いと言えば4番のほうがパンフォーカスだ。その写真はキャパが撮ったものだ特定されている。ピントが少し深いのは、主題から少し離れたからかもしれない。そしてこの4点の写真はまったく同じ場所でアングル違いで撮られている。2枚の崩れ落ちる兵士は、片膝ついた同じポジションから撮られている。 一番左の写真は、兵士の後ろに倒れる兵士が写っていると言うの沢木の主張だ。子細に見ると、銃の釣りひもと、 背後の服の模様が違っている。最近はオリジナルを重視するため、35mmは2:3でプリントされるが、 かつては8x10フォーマットでプリントすることが普通だった。


ネットや、沢木さんの著作に載った写真をみただけでも、発表された写真を見ると、ぼくには同じカメラで撮っているように見える。
「崩れ落ちる兵士」のヴュ誌に載った二枚の写真のアングルは、言われているほどローアングルではないし、ちょうどキャパお得意の膝つきポジションを低く構えた位置。
しかもその2枚はほんの数分もかかていなのではと思える。
というのも膝をつくと撮影位置が固定される。目の前に滑り込んくる。
右目でファインダー、左目は開いて被写体を直接見る。
動いているものを特に向かってくるものをレフレックスを上から見て、撮るのは困難だ。
そして、一連のキャパの写真は、
ほんの数分の出来事のような気がする。
そのころキャパたちは、ムービーも撮っていたので、
小さな演出に関しては普通のことだと思っていたに違いない。
そういう言いかたをするならポートレイト写真は全部演出だ。
盗み撮り以外どれも演出している。
たしかに同じことを何度もやらせれば意識的な演出だが、
一回ぐらいは、指示しているだけで、演出しているという意識はないのでは。、演出なのだろうか。
沢木が、発見した走る兵士の陰で倒れる兵士を見て、
キャパは転ぶ場面が面白く、
一人すべり、二人目は転び、その2番目の兵士はそのままそ寝ころび、キャパは縦位置で一枚撮っている。
キャパはたいがい一発撮りだ。
昔はいつも一発撮りだ。
だから、それらはほんの数分間の出来事で、
傑作写真になるなんて少しも考えていなかったのではないだろうか。
その写真をどこで現像したかわ不明だ。
コンタクトプリントなどは、パリに戻ってから整理していると思う。
今の時代のように撮った写真をすぐに見れるわかでもなく
、撮ったシチュエーションなんてどんどん忘れ去る。
場所と事柄のメモはあっても、
基本どんどん忘れて行ってしまう。
現像してみて、
プリントしてみて初めて自分が何を撮ったかはわかる。
どこかに書いてあったが、「自分は眼のまえに出来事を撮っただけ。パリに戻ったら有名人になっていた」
。というのは本当だろうと思う。

1936年9月23日号 フランス「ヴュ誌」初出 一見シークエンスのような写真ほとんど同じ時間、同じ場所で連続して撮られている。
1937年7月12日号 LIFE 独裁者フランコが勝利した敗北のシンボルとしてまるで民主主義陣営のプロパガンダ広告写真のような扱いだ。


僕が撮影順にならべて写真。この4点の写真は数分内に同一カメラ、同意人物が撮ったように僕には思える。特に3番と4番の写真の酷似性。被写体は同じ人物だ。違いと言えば4番のほうがパンフォーカスだ。そしてこの4点の写真は同じ場所と言うことだ。2枚の崩れ落ちる兵士は、片膝ついた同じポジションから撮られている。一番左の写真は、兵士の後ろに倒れる兵士が写っていると言うの沢木の主張だ。子細に見ると、銃の釣りひもと、背後の服の模様が違っている。最近はオリジナルを重視するため、35mmは2:3でプリントされるが、かつては8x10フォーマットでプリントすることが普通だった。

1937年に撮られた、作者不明のゲルダ・タローの写真

この写真はどんなカメラで撮られたものだろう。イーゼルでトリミングしたようには見えない。なぜなら細い黒枠になっているからだ。35㎜か、中版のサイズで撮ったものを、ネガキャリアでトリミングしているように見える。このような細い黒枠の写真をいくつも見ている、どのような状態のなのだろうか。わかる人がいれば教えてほしい。単純にセミ版が撮れるカメラで撮ったとは思えない。


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