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03 ロバート・キャパ日本に到着する。

ロバート・キャパ最期の日 

1954年4月13日(火)pm9:40 羽田空港

1 東京
東京の桜は散ったばかりだった。羽田空港はガスがたちこめ、春雨にしてはかなり激しい雨が全日から降り続いていた。翌年、東洋一のターミナルビルできる直前の、狭いロビーには、花束を持った着物姿の少女たちや、賓客の関係者、そして新聞記者、カメラマンたちの、出迎の熱気が充満していた。
羽田空港は、その2年前の1952年に米軍から一部返還され、「羽田エアベース」から「東京国際空港」と呼ばれるようになったばかりだった。まだ管制は米軍に任されていた。こじんまりとした空港ビルは、昭和6年開港当時に建てられたもので、接収した米軍が増改築を施していたが、とても国際空港と呼べるような建物ではなかった。
それでも米軍から返還され、国際空港とされ、この年日本航空が東京ーホノルル―サンフランシスコ間を就航させている。飛行時間31時間、料金はサンフランシスコまで片道23万4千円だった。
民間外交も活発になり、2月にはマリリン・モンローとメジャーリーガー、ジョー・ディマジオ夫妻が来日した。報道陣、野次馬が狭い空港に2千名も押しかけた。同じ月、大相撲の力士からプロレスラーになった力道山が、前年から始まったテレビ本放送のためアメリカからシャープ兄弟を呼んだ。その時も羽田空港には多くの報道陣が詰めかけた。4月7日には、世界的な指揮者のカラヤンがやってきた。

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