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写真集CRP JAPAN 横浜界隈 山下公園中華街 元町 山手 2021年11月写真集 BY 14PHOTOGRAPHERS  1月15日PM5~17日PM5時まで、amazon kindle 無料¥0 通常¥500 424ページ

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CRP JAPAN 横浜界隈 山下公園 中華街 元町 山手 千葉県市川市に住んでいた子供時代に横浜の記憶はない。「赤い靴」に象徴される、遠い異国のように感じていた。実際行くには、国鉄(JR)で乗り継いで行くしかなく、距離的にも遠い街だった。初めて横浜を訪れたのは大学生1年、1967年だったろうか。クルマの持っているサークルの友人たちと行った。予想通りの映画のロケーションのようなエキゾチックな場所だった。 1968年1年間の学園封鎖の最中に自動車免許を取った。再開した翌年、茅ヶ崎に住むガールフレンドができた。演劇学科だった彼女と散策した。人気のない引き込み線のある倉庫街が好きだった。中華街は食べには行ったが写真は撮っていない。アシスタント時代は、撮影で行ったとしても、クルマでピンポイントの撮影だったので覚えていない。 横浜に頻繁に通うようになったのは、月刊プレイボーイの取材で小説家矢作俊彦と出会ってからだ。彼を通じて初めて横浜の細部を知った。日活映画ファンだった矢作は、セリフまで記憶していた。彼のお気に入りは、東神奈川にあったBarスターダストとポーラスターだった。クリスマスはそこでパーティをした。 当時僕たちは30代前半、矢作は横浜を舞台に映画を撮りたがっていた。いくつかの脚本があり、ロケハンに何度もつきあった。1984年日活創立70周年で日活アクションのアンソロジー映画「AGAIN」が制作された。矢作は構成、脚本、監督を任され、日活映画戦後の第1作「かくて夢あり」から「8月の濡れた砂」187本をすべて見たという。そこから27時間の名シーンを抜き出し102分に仕上げている。その中で、狂言回しとして宍戸錠を登場させ、その分の映像を僕が撮っている。印象深いのは深夜NewGrandの前の山下公園通りを通行止めにして、道路の中央にクレーンを配置してハイアングルから撮ったことだ。 そんな風に、僕にとって横浜は、矢作俊彦の世界そのものだった。 あの頃は、まだ横浜といえば、今回回った山下公園通りと、中華街、元町、山手、あと親交埠頭そして本牧かな。もちろん桜木町や伊勢崎町は賑わっていても、どこか演歌でも似合いそうなおしゃれな場所ではなかった。それにかつての横浜は、道路がわかりにくかった。いや華やいだ場所と、埋め立ち地の荒涼感が写真やドラマの背景として魅力的だった。 今の横浜は、ベイエリアが中心に思える。それでも魅力から言えば、やはり山下公園、中華街、元町、山手なんだろうな。

参加写真家
TERUYO FUKUMOTO AKIKO KURATA HIROFUMI SAEKI
HIROMI WASA HIROYUQUI TACHIHARA NORIKO ONIZUKA
SHIGEAKI AONO TATSUYA SATO TERUMASA ARIMA
TOSHIMICHI KUWAHARA YUICHI OIDE YUTA HIRAKUBO
YOSHINORI KAMEI ALAO YOKOGI

↓ 1月15日 JR中野駅界隈 撮影会+写真集


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