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ぶどう王「長沢鼎(ながさわ かなえ)」アメリカでバロン(男爵)と呼ばれた薩摩藩士

<鹿児島の旅(回顧録)no.11>

鹿児島中央駅・東口の広場にある、ひと際目を引く「若き薩摩の群像」。

若き薩摩の群像


1865年(慶応元年)、薩摩藩第一次英国留学生として、日本を密出国し、
英国へ渡った19人の薩摩藩士達です。

19人の中には、その後、大阪経済の立て直しに尽力した五代友厚氏も、
同行、渡航しています。

今回、この群像内で、注目していた人物、気になっていた人物が、
最年少の留学生、13歳という年齢で、海外に飛び出していった磯永彦輔氏(いそなが ひこすけ)。

その後、アメリカに渡り、ワイン醸造に一生を捧げた、薩摩藩士「長沢 鼎(ながさわ かなえ)」です。

長沢鼎(本名:磯永彦輔)


実は、前日、滞在した城山ホテル鹿児島で、夕食をとったバー・レストラン、
バロン(男爵)と呼ばれた長沢 鼎氏から名付けられた「ザ・セラー N バロン・ナガサワ」。

そこで、ソムリエさんから、とても興味深く、長沢 鼎氏の話を聞き、本も、ご紹介頂きました。

ご紹介頂いた本
( 城山ホテル鹿児島「バー・ザ・セラー N バロン・ナガサワ」にて )


あの時代に、13歳で海外渡航し、アメリカで暮らし、人生を終えた長沢 鼎氏。
凄いな。

駅前の群像の中、どこにいるだろうと探していると、居ました、居ました。

長沢 鼎氏

周りのお兄さん達よりも、かなり小柄で、幼い顔。
ぶどうの蔦が施されたサイドテーブル、そこに置かれたぶどうの房から
ひとつ粒のぶどうを手に取り、空に掲げている姿が、とても印象的でした。

この幼い姿からは、想像ができない程の情熱とパワーで生き抜き、
アメリカで「ぶどう王」「バロン(男爵)」とまで呼ばれた長沢氏。
紹介頂いた本で、深く彼を知りたいと感じました。

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