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< 長崎&五島(福江島)の旅:no.3>

長崎の街、散策スタートです。

まず、訪れたかった「出島」に向かいます。
国指定史跡( 出島和蘭商館跡 )でもあります。

1636年に、築造された出島は、オランダ商館が閉鎖されるまでの約200年間に渡り、西洋に開かれた日本唯一の港として、日本近代化に大きな役割を果たしてきました。

1904年に、改良工事で完全に姿を消した出島ですが、整備事業が行われて、当時の姿が復元されています。

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表門橋

2017年に、完成した表門橋。
この橋を渡り、表門から入りました。

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当時は、ここ表門に、探番(さぐりばん)が詰めていて、出入りする人をチェックしていたそうです。

この日は、当時を思い起こさせる和服姿のスタッフがいらして、
まずは、感染防止対策として、体温測定、そして、もしもの時に、来場者の追跡が出来るように、名前、住所(市まで)、電話番号を記入。

その後、入場料を払い、手の消毒をして、出島に足を踏み入れました。

復元された建物の姿を、ゆっくりと歩きながら見て、まずは、一番大きな建物「カピタン部屋」に入ります。

オランダ商館長(カピタン)の事務所や住居として使用されていて、
2階には、当時のカピタンの生活の様子が再現されていました。

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ビリヤード台(一階)

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畳の部屋(二階)

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居間(二階)

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宴の様子(二階)


建物と建物との間にある細道。
この景色が、私には、とても魅力的でした。

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復元であっても、その当時の雰囲気が、ビシビシ感じられて、
今にも、帳簿を持った出島町人や、オランダ商人が出てきて、忙しく行き来している様子が、想像できて…。
ちょっと、ワクワクします。

そして、「料理部屋」もありました。

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料理部屋

一日2回の、商館内の食事を、ここで作っていたそうです。
また、出島に出入りしていた町人、役人たちのお土産としての料理も作っていたそうで、当時、とても珍しい西洋料理は、喜ばれたとのこと。

「料理は、人と人とを繋ぐ潤滑油」

その当時も、そうだったんですね。


大砲も置かれていました。
オランダ東インド会社のロゴも、刻印されています。

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VOCアムステルダム本社のロゴマーク(Wikipediaより引用)
Verenigde Oost-Indische Compagnie(略称VOC)


ひと通り、出島内を見て回ったら、是非、最後に見て頂きたいのが、
表門横にある「ミニ出島」です。

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参考にした「長崎出島之図」

出島の1/15の模型で、川原慶賀が1820年頃の出島を描いたとされる、
私達にも馴染みのある「長崎出島之図」を、参考に再現されたものです。

その模型がこちら。

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横から

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正面から

私は、やはり、正面からの「出島」のほうが、馴染みますね。

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中島川越しに見る「出島」

鎖国時代の日本に、西洋の文化を伝え続けた唯一の人工港・出島。
日本の開国と共に、その役割を終えて、姿を消してしまいましたが、
また、こうして復元され、この目で見れたことが、感慨深かったです。

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【観光スポット】

☆ 長崎・出島(でじま)


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