しなやかな生き方

つくづく思いますが、人が活きていくのは大変なことです。
仏陀は
「人生は苦である」
と言い切っています。

普通に生きているだけなのに、他人から心無い言葉を掛けられることがあります。

ある人はあなたを傷付けるつもりで
ある人はあなたを都合よく利用しようと企んで
ある人はあなたに良かれと信じて

受け取る側の反応にもパターンがあります

気にしない
無視する
腹を立てる
反論する
傷つく
ずっと気に病む

相手や内容、そのときの自分の状態によって反応の仕方は変わります。
私は反応の仕方の中で一番よくないと思うのは
「ずっと気に病む」
ということです。
一時的に、腹が立ったり、落ち込んだり、そういうことを避けるのは人間である以上、難しいと思います。
相手の言ったネガティブな言葉をずっと気にし続けるのは、自分の人生の豊かさを棄損することになります。それをしているのは他でもない、自分自身だと思うのです。
相手を変えることはできないし、過去に浴びせられた言葉をなかったことにすることもできません。
でもそこに執着し続けることは、いわば呪いにかかった状態です。
それこそ相手の思うつぼかもしれません。
でもほとんどの場合、相手は何も考えていないと思います。
そうだとしたら、気に病んで、傷ついているなんて、とてももったいない話です。

いつでもポジティブに、楽しそうに生きている人がいます。
そういう人たちも恐らく自分にとって不快な言葉を浴びせられることもあるのではないかと思います。
でも
「だからどうした?」
というマインドが大切だと思うのです。
「しなかやさ」を身につける必要があります。
打たれ強さとは違います。
接触はしても、真正面では受けずに、受け流し、自分はまた自分の立ち位置に戻る柔軟さのことです。
真正面から受け止めてしまう人は、きっと心が純朴で繊細なんだと思います。それはとても素晴らしいことです。
しかし残念ながら、世の中はあなたの人生を快適にしてはくれません。
結局は自分の気持ちの持ちようとしか言いようがありません。
あえてあなたを攻撃する人がいるのなら、物理的に距離を置くしかありません。逃げればいいのです。
でも悩みの大半は、職場や家庭で離れるわけにはいかない場合ではないでしょうか?
ある程度、距離を離れることはできても、必ず接点はある、そういう人間関係のときはどうしましょう。
逃げるのは得策ではないと思います。
逃げても、また別の人間関係で同じことが起きて、同じように悩むことになると思います。

自分を苦しめているのは結局、自分自身です。
自分を苦しめた相手に執着するからいつまでも恨みに感じます。
暇ですか?と私は思います。
誰かの言葉や態度、妬みに付き合っている暇はないんです。
やるべきこと、やりたいことがあれば、誰かが気に食わないこと言ったなんて些細なことですよ。
自分自身も誰かを傷付ける言葉を発しているかもしれません。
悪意はなかったとしても。
でもそれは受け取る相手次第です。
自分の言葉が誰かを傷付けるのが嫌だったら、究極、口をつぐむしかありません。
それでは生きている価値がないですよ。

今の日本はとても良い世の中だと思います。
もちろん不完全です。
でも飢える心配もなく、病も多くが治り、自分次第でやりたいことを実現できます。
このような素晴らしい環境に感謝して、自分の人生を生き、世の中に貢献していく生き方を実践していきます。


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