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雪道に定刻の桃沢さん

一日の最初の光を悟りながら、囲炉裏の匂いに引き込まれていく。
障子越しにこぼれてくる朝日が、畳の上にさりげない陽だまりを作っていた。
朝食の優しい音がする。

部屋で食後のコーヒーを飲んで一服。
昨日と変わらず、美味しそうに煙を吐き出す桃沢さん。
何をする訳でもなく、灰皿に吸い殻を追加していく。

昼食のために部屋を出る。旅館の近くに唯一ある定食屋。
人の気配がしない外の道が嘘みたいに、店内は賑わっていた。

食事を済ませて辺りを散策。
まぶしいくらいの厚い雪化粧に、ちらほらと佇む旅館の外観が影絵のようにぼんやりと浮かんで見える。
「さすがに寒いわ」と、背景と同じくらいに白い息を吐き出し、肩をすぼめる。

部屋に戻ってこたつに身を隠す。
冷えた体を温めながらタバコを燻らせて、空腹が来るのを待つ。
夕食は猪苗代駅の方にある居酒屋へ行こうと決めていた。
旅館に洗濯機がないので、コインランドリーにも寄っていく。

雪道の上に立っているバス停の標識を眺めて時間を確認する。
時間通りに来るのかを不安がる桃沢さん。
思いがけず定刻で到着したバスに驚愕する。感嘆の声とドアの開閉音が重なった。

バスが白地の上にタイヤを回していく。
温度差で曇った車窓から、綿帽子を被った山脈が流れていった。
目的地付近のバス停に到着。またも定刻。
外に出ると辺りはもう暗くなっていた。

コインランドリーを目指して雪道を進む。
蛍光灯の昼白色が見え、ほのかに明るい店内で洗濯機を回す。
ガラガラと無感情で回り続ける機械の音。
本屋で時間をつぶし、自販機でコーヒーを買って乾燥を待つ。

乾いた衣服を忍ばせて、今度は居酒屋を目指す。
雪明かりを頼りに、より一層雪で敷き詰められた道をかき分けていく。
かすかに見えた看板が、目標としていたお店だった。

雪景色の中に大人しく置かれた一軒家の居酒屋。
中の温かさに落ち着いてタバコもお酒も進んでいく。
帰る頃にはバスの時間が過ぎているため、タクシーを調べておく。
もしタクシーが来なければ2時間半以上かけて極寒の道を行かなければならない。

すっかりと日も落ち切って寒さも増していき、夜を迎えた。
無事にタクシーが到着する。一安心。
戻ればこたつと温泉が待っている。

部屋に着き、金曜ロードショーを観ながらやはり一服し、飲み直した。
安堵感と共にビールと日本酒が体に染み渡っていく。
その頃、カルシファーの名前が呼ばれた。

翌日。早めに起きて窓際で一服。
清々しい朝を過ごして旅館をチェックアウトする。
昨日と同じバス停。またも時間を守る優秀なバスがやってくる。

一昨日、まぶしい光に照らされていたあの喫茶店に入り、電車の時間を待つ。
タバコに火を点けてコーヒーを啜る…至福。
マイルス・デイヴィスの演奏が静かに流れていた。

電車に乗り、雪国から離れていく。
到着駅と時刻表を見比べては窓の外に目をやる。
外に見える建物の背景に少しずつ色が付いていった。

東京駅。
多くはない3日分の荷物を抱えて、地下鉄で帰路に着く。
数分ごとにきっちりとやってくる丸の内線を前にして東京を感じる。

桃沢さんと別れて、地下鉄の改札を出る。
階段を上り、外へ出ると、そこに雪は敷かれていなかった。
ビル風に吹かれ、種類の違う寒さに身悶えながら、喧騒の中を歩いた。

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