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双極性障害者の生きるっていう事の一例

最近、単純に『生きる』ということがどういうことか?ってよく考える。

恐らく、去年『双極性障害』と診断されたからかもしれない。

30代のどん底の頃も同じことを考えていたが、それとは今は少し捉え方が違ってる。

ここにも何度か当時の様子を綴ったが、自分の中で『栄光からの転落』とも言える没落感は否めなかった。

新卒で入社した会社で最初は敗戦処理投手のような仕事ばかりで腐りかけていたところから、その仕事にも携わっている人が居て、俺と同じように腐っていたが、営業の俺が腐っていたらこの商品が売れないし、この人達も腐ったまんまだと思い、思いつくそれまでとは違った販売チャンネルにサンプルをばら撒いたら、一つのヒット商品が産まれた。そこからもう発売して20年以上も経つけど未だに店頭に並んでいるロングラー製品とまでなった。

それは今でも自分史の中で最大の成功かもしれない。

その実績が認められたのか?他の部署に引き抜かれる。

そこでも勢いそのままに頭角を現し、先輩社員にライバル視されるほどの売上も叩き出した。

しかし、先輩の自死、続けざまに自分の結婚式の後の不慮の事故で父親のように慕っていた上司を亡くし、大きなプロジェクトを抱えていたにも拘らず不眠症が祟り、2回目の海外出張前に他の先輩社員から貰った抗精神病薬を服用して起きれないだけでなく、呂律も回らず初めて心療内科を受診し自律神経失調症と診断され半年の休職。その後は左遷され行き場を無くしてその会社を後にした。

だが、転職した先も順調だった矢先に上司が精神疾患?のように病み、仕事に穴を空けるので一人で肩代わりしていたら徹夜仕事も重なり、また自分を見失いそうで、本社から応援も求めたが出してもらえず、自分が壊れる前に退職した。

そこからだった、次に行った先もその次に行った先も所謂パワハラありきのブラック企業ばかりで、転職を繰り返す。

だが、40代に入って転職した会社で再び頭角を現したが、経営陣との人間関係が不味くなり、約3年で退職する。
その後も2,3年で転退職を繰り返してきた。

で、50を迎えた時に離婚を言い渡された。

その時勤めていた会社も結局、上層部とぶつかり昨年退職。
その後、同居していた彼女とその娘も追い出した。

いま改めて考えると、双極性障害の症状に全て合致する。

特に双極性障害の2型は社会的後遺症が大きいと言われるが、正にだ。

今更後悔しても仕方が無いが、恐らく20代は躁状態、30代は鬱状態40代以降は再び躁状態、そして最近再び鬱状態に入りかけた。

しかし、少し違っているのは波の大きさだ。
明らかに落ち込む落ち方が浅い。
以前は日常生活にも支障を来たすようだったが、現在無職の身とはいえ、一人で自炊等の最低限のことは出来ている。

恐らく昨年から通い始めた心療内科で処方された薬の効果なのではと思っている。

とは言え、実は今夜も眠れなかった。

最近、薬のせいか?自分で今まで書きなぐったように吐き出していた文章も薬のせいか『文才が無くなったのか?』とも思えるほど、何も書けなかったが、最近よく見ている双極性障害の方の動画を見てOut putの必要性を感じて久し振りにこういう話題を書いてみた。

冒頭の『生きる』ということというのは昔の様な希死的な事では無く、この病気とどう付き合ってこの先如何に生きていくかということだ。

堕ちていても、成長した息子や娘と月1回程度会ったり、息子とはよく電話で話すのでこの子達の成長を見届けたいという想いが強いのかもしれない。

情けない話だが、昨年自宅の天井の壁紙を貼り替えている時に三脚から転落。その結果、右肩を粉砕骨折してしまった。

当然入院した訳だが、入院には保証人が必要とのことで、息子が19歳なので保証人になれるか聞くと、学生は無理だと言われ元カノに頼んで保証人になってもらった。

彼女を追い出していきなり一人で生きていくことの難しさに直面する。

退院後、気が付いたら人と関わるのは週2回のリハビリだけだった。
残りの日は殆ど引き籠るようになり、堕ちていく深みにはまりそうって思った時に、再び情けない話だが元カノに来てもらった。

薬は効いていたとはいえ、その堕ちる深みの淵に立っているなと実感した時は過去の堕ちた時の怖さが脳裏をよぎり彼女を頼った。

実際、30代で一番堕ちた時は自分の首に包丁を当てたが切れなくて今がある。

また、同じ道を辿ろうとしてしまわないかという怖さと、今度は一人なので確実に…という怖さがあったからその淵で止まれた。

そう考えたら、今の状態も余り健全ではないかも?と彼女の休みの時で時間が取れる時は二人で会うようにしている。

彼女達を追い出した原因は彼女の娘が発端。

高校に入るタイミングで彼女が押しかけ女房的に同居を始めたが、当初娘のバイト先のことで揉めた。しかし、彼女に私が悪者になるからという言葉に抑えられて、それ以上は言えなかったが、予想通り娘は帰りが遅くなり、朝帰り、遂には学校にも行かなくなり始めた。
勿論、家では二人がしょっちゅう喧嘩。疲弊する彼女を見兼ねて高校に呼び出された時に付いて行ったが、それが気に食わなかった娘は俺にも反抗しだしてエスカレートしたので、二人を追い出した。

娘に強く言えない彼女も嫌になったし、俺が口出しした時に娘を庇った彼女を見て、二人とはこれ以上一緒に居れないと思った。

自分の子供達にも隠して、同居している俺の立場は何なんだって…

しかし、彼女にも
「私は女を取れなかった。母親を選んだから…」
と言われた。

正直このことは未だに蟠りがある。

とは言え、他に縋る人も居ない。

父親は数年前に他界。母親は脳梗塞発症後、意思疎通が取れない状態で入院中。その二人に俺は実家の金を使い果たしたと在りもしないことを弟に話した様で、弟とは連絡も取ってない。

おまけに実の子供だと思っている二人も怪しい点がある。
ただ、二人は一緒に16年は暮らしたため情もあるし、唯一俺の事を『お父さん』と言ってくれる存在なので、二人に血縁関係が無かったとしても俺の子だとは思える。

これも全部俺の身から出た錆なのか?

躁自問自答すると最近、生きるって何なんだろうって思うんだ。

俺って本当は一人なのかも?

って、思うとよからぬ考えが浮かぶので彼女に縋る…

今はこの方法しかないのかも?

ただ、彼女といる時は楽なんだ。

色んな意味でね…

な~んも考えずに笑っていられるから。

後何年先かな?

もう一度彼女と暮らせたら、二人で色んなところに旅できるような老後を送りたいなと…

その頃には、いまの蟠りもきっと…

その頃って、俺が見えてる景色ってどんな風景なんだろうって。

そして、この文章を読んで笑っていられるのかな…

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