附属小学校の使命

 付属小の使命の一つに、先日もお伝えした通り、先進的な取り組みにチャレンジしたり、レベルの高い学習を提示・提案することで、教育の方向性を明らかにしていく事があると思っています。ある意味、言葉が悪いですが、理論の実証実験ができるところが大きなメリット?だろうと思います。

 付属小の大部分が、何らかの選抜を行っており、そういう意味では、ある程度「学校が望む授業を遂行しやすい子ども達」「レベルの高い子ども達」「質的に似通っている子ども達」ばかりなので、レベルの高い授業をすることができます。高い目標を掲げて授業をすることができます。教師本来の仕事(今回はこのことについては深く触れません。)以外に手を取られることが少ない。

 だから、付属小学校の研究会などを見に行くと、いつも単純に「すげー」と思うことばかりです。授業の内容レベルの高さ然り、子ども達の落ち着きと、にじみ出る学習能力の高さ然り・・・とにかく、高いレベルを子ども達に求めても、それを受け入れるだけの素地を持っている子ども達ばかり。あたりまえっちゃあ、当たり前。

 そして、ふと現実にかえって、「そのまま同じ事をまねしても、公立学校では通用しない。だからこそ、目の前の子ども達に合わせて工夫なりアレンジなりする必要がある」といつも思わされていました。それでも、十分に「自分もがんばろう!」と思わせてくれるものでありました。

 しかし、今回の授業は・・・少々残念な感じでした。それは、そこの付属小の方向性にあると思われました。

 その付属小は、教師を含めた「対話」を中心に据えた授業を行っていました。コミュニケーション能力は、重要だと言われて久しいですが、これからますます重要な能力である事は間違いありません。

 それは、様々な子ども達がいる、バラエティ豊かな子ども達がいる、公立小学校の先生の方が得意かもしれない。だって、そうしないとやっていけないから。ある程度同質化した子ども達を相手に、こちらの授業の工夫をそんなにしなくても、指示が通ったり、意図が伝わったりする環境に慣れている付属の先生は、ちょっとそういう所が苦手なのかも。

 そんな風に感じてしまいました。正直、私の周りにいる先生の方が、よっぽど一人一人の子ども達の声を聞いて授業をされているなあと。そして、ほんのちょっとコンプレックスを持っていたところに教師としてのプライド復活!というところでしょうかねえ。

 まあ、付属の先生を非難するつもりではないのですが、それぞれ得手不得手があるのだろうなあと思いました。やっぱり理論においては付属の先生にはかなわないところもありそうですし。それに、やっぱり「面白い!」と思える授業もありましたし。とても参考になった事は事実です。

 そんなことを考えていると、夜遅くなって「もう帰ろうかな」と思っていましたが、明日の授業の準備をもうちょっと・・・なんて思ってしまいます。まあ、それでも、夜九時には家にいないと、体力が・・・若い頃に戻りたい。

 あ、あと、全然話が変わりますが、学校の環境整備はとても素晴らしいものでした。各教室にエアコン、大型ディスプレイ(タブレットやスマホからミラーリングできる環境完備)、プロジェクタ、パソコン、タブレット・・・など、視覚的に訴えて授業をするための環境が整備されていました。とても素晴らしい事だと思います。うらやましい。

 対して、自分の働いている小学校は・・・プロジェクタは二台しかないので、みんな授業で取り合い。しかも一々設置と撤去をせざるを得ないので、時間の無駄。教室にテレビやディスプレイすらない。どないせーっちゅうねん!映像がものを言う学習もあるんでっせ!お金がかかるし、教育にお金なんてかけてられないんでしょうけどね。議員さん!

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