見出し画像

11. ピクニックどこまで続く真澄空

 前号で菅江真澄のことに触れた。「真澄」という名はいかにも綺麗な名前だ。
懐かしい、懐かしい歌謡曲に「真澄の空」が歌われていた。

11.ピクニックどこまで続く真澄空

 「真澄の空」は、古賀政男の名曲「丘を越えて」の中で歌われている。歌詞は島田芳文、歌ったのは藤山一郎。年配者にとっては懐かしい曲である。若い世代にとってはトヨタカローラのCMソングとして知っている人がいるかもしれない。木村拓哉や矢野顕子、パフィー、石川さゆり、細野晴臣、マツコデラックスなどが登場して「丘を越えて」を歌いつなぐ豪華なCMである。CMがテレビで流れたのが2015年だから、84年前のメロディーと歌詞が斬新な形で再登場したのである。とても明るく弾んだメロディーなので、商品の溌剌さや敏捷さが十分にアピールされていた。もちろん、「丘を越えて」が1931年(昭和6年)に発表されたときも大ヒットしたそうである。メロディーや歌詞全体のテンポがいいのだが、特に「行こうよ」「朗らかに」「楽しい」の部分は転がるように歌われていて、ここが一層リズミカルに跳ねて耳に心地よい。もともとこの歌は古賀政男が明治大学卒業を前にして、川崎の稲田堤に友達と桜を見にいったあと、学生時代最後の桜となることを思ってマンドリン倶楽部のために書いた楽曲で歌詞はなかった。「酒は涙かため息か」を歌った藤山一郎に次は明るい歌をとせがまれて、学生時代に作ったこの楽曲に歌詞をつけることを思いついたのだという。古賀政男は先にヒットしていた「キャンプ小唄」の詩を書いた島田芳文にこのメロディーが作られた経緯を話して歌詞づくりを依頼した。マンドリンのための曲なので、マンドリンの聴かせどころとして前奏がたっぷりとられている。それでも、この前奏は効果的でマンドリンのコロコロした音の流れを聴いているだけで心が躍ってくるのである。
   
 ところで、「真澄の空」である。真澄の空は、非常によく澄んだ空の意味で、その空が「朗らかに晴れて」と続くのである。空とそこにいる人たち皆んなが明るく光っている様子が目に浮かぶ。「丘を越えて」の歌詞の中では「真澄の空は朗らかに晴れて楽しい心」の部分が、私の好きな言葉の並びである。「朗らかに」についても触れておきたい。
 
 夏目漱石は『草枕』で、寺の庫裏にある木蓮の枝の間のほがらかさを、

 「見上げると頭の上は枝である。枝の上も、また枝である。そうして枝の重なり合った上が月である。普通、枝がああ重なると、したから空は見えぬ。花があればなおみえぬ。木蓮の枝はいくら重なっても、枝と枝の間はほがらかに隙(す)いている。」

 と、間隔があって抜けているさまとして表している。

 三島由紀夫は「花ざかりの森」で、埃のしみた柱や壁に当たる日の光のほがらかさを、

 「櫓(やぐら)の手摺(てすり)に倚(よ)ると初めて、季節のすがたと季節の温度が見えた。しじゅうつかわないため埃(ほこり)のしみた柱や壁を、日は烈しく、そんなものにまで新鮮なあじわいを与えるくらい、ほがらかに照らしていた。」

 と、全てが明るさに晒されて影のない様子として書いている。ほがらかという言葉は、突き抜けて明るい、さらに言えば全く屈託のない状態を示す言葉であり、人の性格や表情を表すのに使われるだけではないということが改めてよくわかる。

 「真澄」は鏡の形容にも使われる。まったく美しく写す鏡である。真澄の鏡は、諏訪大社の神宝の一つで曇ったことがない鏡、なおかつ諏訪氏一族のみを写す鏡だといわれている。当然のことながら、我々一般人は神宝を見ることはできないのだが真澄の鏡に因んだ諏訪のお酒「真澄」を飲むことはできる。1662年(寛文2年)創業の宮坂醸造が作っているお酒である。ロゴマークが美しい。円に蔦の葉をあしらった品格のある素敵なデザインである。円は真澄の鏡や諏訪湖をイメージし、蔦は宮坂家の家紋から取られている。ボトルに書かれている独特の真澄という文字も風格のあるいい文字である。中村不折という書家が書いたものだという。「丘を越えて」と日本酒は合わないかもしれないが、真澄にはスパークリングOrigaramiがある。曇りガラスのような不思議な色合いと軽い酸味の中に小さな泡が跳ね、味わい爽やかである。真澄の気持ちで飲める。宮坂醸造の雑誌『suwazine 03』は、諏訪の街を「昔も今も、ここは醸しの国なのです。」と書き表している。

 「丘を越えて」の作詞家、島田芳文は1898年(明治31年)豊前生まれで、この歌が世に出たときは33歳である。古賀政男が27歳の時で、ヒットを飛ばすゴールデンコンビ、いや20歳の藤山一郎を加えてゴールデントリオだったのである。松井義弘の『青春の丘を越えて 詩人・島田芳文とその時代』には、

 「古賀政男からこの曲の誕生の経緯を聞いた島田芳文は、稲田堤に何回も出向いて作詞に没頭したが、季節は秋であった。それが、春の桜のシーズンであったならば、曲の誕生時のニュアンスにもっと近づくことができたのではないかと思うと、少し残念な気がする。」  

 と書かれている。確かに季節が違う言葉もあるが、島田の歌詞と古賀のメロディー、そして藤山の歌声はうまく共鳴している。稲田堤の朗らかな風景が、三人の気持ちを真澄にしたのである。

●「丘を越えて」作曲:古賀政男 作詞:島田芳文 歌:藤山一郎 コロンビア 1931年
●夏目漱石『草枕』旺文社 1965年(初版は1909年)
●「花ざかりの森」は、三島由紀夫『花ざかりの森・憂国』新潮社 1968年に収録。(初版は1944年)
●『suwazin03』2018年winter号 企画・編集:宮坂醸造スワニズム編集室
●松井義弘『青春の丘を越えて 詩人・島田芳文とその時代』石風社 2007年

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?