こんぐごじら

キングコングとゴジラ

怪獣映画のはじまりとは何だろう?
日本においてはそれはもう初代「ゴジラ」であろうとなる。
「原子怪獣現る」「キングコング」という先例はあるが着ぐるみ、生物的には有り得ない熱戦などとてもエポックメイキングだ。
ただ、今我々がイメージする怪獣の元祖をゴジラとするのには若干違うのだろうとも思う。
脚本家の高橋洋は初代ゴジラ(とシン・ゴジラ)は「恐怖映画」であると言った。ボクはそれは同意だなと思った。
初代ゴジラが作られた時「怪獣映画」という概念は存在してなかった。勿論モンスター(怪獣)は存在している。
ただ作り手は怪獣映画として作ってないだろうと思うからだ。まだジャンルとして確立していないと言うべきだろうか。
当事の観客の抱く科学や原子力への恐怖、戦争の記憶を想起させるという意味において初代ゴジラは恐怖映画として作られている。

初代ゴジラは試写の段階で続編が決まったのだが、この時監督で共同脚本の本多猪四郎は外れて作る事になった。
ゴジラが熱線を吐くのも着ぐるみなのも、最後の「これが最後もゴジラとと思えない……」という台詞も本多のアイデアなのだが。
本当の意味のゴジラの生みの親である本多の手を離れた「ゴジラの逆襲」で既にゴジラはお馴染みのアイツになっている。
逆襲はお馴染みのゴジラを、作中の日本人が受け入れ乗り越える話だ。
初代がいつ核の恐怖が襲ってくるかで終わるのに対し、逆襲は受け入れ乗り越えられると正反対の結論で終わってる、これが作家性だ。
とにかく重要なのはここでゴジラが一旦お馴染みのアイツになった事だ。そこから7年ゴジラは眠りにつく。

1933年に作られた「キングコング」は偉大な映画だ。映画の革命と言ってもいい。
何故ならキングコングは映像における初めての「人間が演じていない主演俳優」だからだ。
映画の歴史を語るとキリは無いが、リュミエールとかいわゆる合成や特殊撮影で人間ではない存在を描いてきた。
アニメーション……この場合手書きのものと、人形を動かすがあるが、それもコング以前から存在もする。
映画に限らなければ京劇や浄瑠璃など、人形が演じているものも存在する。
しかし当事は一般公開された(世界的には公開されてないのがあるらしい)初の長編アニメーション「白雪姫」公開の四年前。
手書きのアニメはストーリーを描く前の段階、短編でコメディしか存在しなかった時代。
実写(ライブフィルム)と手書きアニメやストップモーションアニメの合成も存在するがアニメーションは脇役だった。
浄瑠璃や京劇といった人形劇は目の前で人が演じる媒体でリアリティラインが違うので映像表現ではないので
撮影された映像としては、キングコングはアニメーションで描かれた初の感情移入できる「主演キャラクター」だった。
この時期俳優と手書きアニメの競演とかも多かったので、この場合ストップモーションアニメもアニメである。そこにあまり差異はない。現在CGも実写映画と呼ぶようなものと思えば
この時期は人間を撮影してトレスしたリアル路線アニメーションもあったりする。
実写とアニメってジャンルの区切りこそ実は不自然だったりする。映画は初期からその両方備えてからとかってのは研究は他者に任せよう。
エンパイアステートビルで死んだコングに多くの人が共感し、また多くの亜流が作られた。それから29年……

ゴジラの逆襲から7年、キングコングから29年後、1962年に日本で一本の映画が公開される。「キングコング対ゴジラ」
1966年のウルトラマンの四年前だ。ボクはこれが今日の「怪獣映画」の元祖ではないかと思う。
キングコングとゴジラ。「お馴染のアイツ」が登場し「対決する」のだ。
この対決の要素が大事だ。いわゆる怪獣プロレス。この作品から怪獣は怪獣と戦うものになった。
ゴジラの逆襲はお馴染のアイツを克服する話だったが最早人間は手出し無用、怪獣を倒せるのは怪獣だけにこの作品でなったのだ。
さらにこの作品はゴジラとしてもコングとしても初のカラー作品だったのも、歴代ゴジラ1番の観客動員だったのも大きいだろう。
怪獣が怪獣と戦い、人間は怪獣にたまには勝てるが根本解決できないという今日のイメージがここに出来たのではないだろうか。
ちなみにこの作品、大ヒットした作品なのだが現在オリジナル版は長らく幻となっている。
昔は映画を再上映するのにそのまま流すのは駄目というような変な決まりが映画界にあったらしく
70年代のチャンピオン祭の再上映で短くカットされた再編集版が上映され、オリジナルは失われてしまった。
現在DVD等で見れるのもこの再編集版が元になっている。
それが発見されたフイルムからデジタル復元されたオリジナルにより近い形のものが2016年東京の映画祭で上映。
その後音沙汰聞かないけど、上映とかブルーレイでないのかしら?

ちなみに84ゴジラのプロデューサーは一旦設定をリセットしたのに、初代以来二度目のゴジラの話にしたのを失敗したと言っていて
ゴジラのような巨大生物を誰も見たことのない世界にすれば自由に描けたのにと述べている。
だから高橋洋さんはゴジラが現れたことのない世界観で震災のイメージを重ね合わせたシン・ゴジラを恐怖映画と呼んだわけ
本人もかつてゴジラとメカゴジラが戦って原爆が落ちたように壊滅する東京っていう脚本を書いただけに、その思いが強い。
怪獣とは皆が知っているものの面白さで、でも初代ゴジラの面白さは怪獣からは生まれないというジレンマ。
いわゆる初代の呪い。ミレニアムシリーズやハリウッド版二作もゴジラは50年代確認されてるってのを切り捨てられなかった。
ゴジラより先に怪獣が存在しない世界を描いて評価されたのが平成ガメラである。
シンゴジ前からそこを目指していたのにそれを作れなかったのがはじめて作れたのがシンゴジ。ゴジラをお馴染みとして描かなかった。
だからシン・ゴジラは「怪獣映画ではなく恐怖映画」となる。
ジャンル映画の面白さと、そこから失われるもの。
我々はご存知のアイツの活躍を見たい。あいつが戦うのが見たい。しかし、それは一作目の感動や恐怖に反する。
シン・ゴジラは怪獣映画でなかったことが最高に素晴らしかった。

ハイ!そこでお出しするのが今月公開の「キングコング髑髏島の巨神」!
お馴染のキングコングが数々の怪獣(とサミュエルLジャクソン)と戦い、続編でゴジラとの対決を目指す。
シンゴジの正反対。どちらが良い悪いではない、でもこれは怪獣映画のイメージそのもの。

キングコングは~対ゴジラ以外にリメイクが現在二回存在する。
2005年のピーター・ジャクソン監督のリメイクは初代と同じ30年代だ。最後は複葉機にコングは殺される。
76年のギラーミン監督のリメイクはその映画が作られた当時の話だ。
そこでコングを襲うのは火炎放射器!ヘリコプター!ガドリング砲!70年代の、ベトナム戦争での装備だ。
「キングコング髑髏島の巨神」はこの70s米軍装備とコングが戦う。いわばギラーミンの時の復讐だ。
きっとコングはこのベトナム戦争時代の装備に勝利し、ゴジラの前に立つであろう。
アー……でもサミュエルLジャクソンとゴジラの戦いも見たい……悩ましい

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