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自己判断

付属品という名の常識ではなく、
自分自身の腹からくる声で。

"自分で判断する''とは、
138億年の宇宙誕生から蓄積された私達の身体を作る細胞一つ一つの声からの判断。

内臓が勝手に動くように、
自分にとっての適切な判断は、
頭で考えて立ち止まるものではなく、
スーッと滞りなくしてしまうもの。

そう、やってしまうもの。
それが本当の自己判断。

頭の中では忙しなく
あーでもない、こーでもないと言ってくる。
それでも、
いかに腹の腹の内臓の、
太古の深みから来る意味のわからない衝動に突き動かされるような、
制御できない力に従って生きていけるか。
無意識に身を委ねて行けるか。

悪魔の自分。
自分の97パーセントの、
内臓の動きのような無意識部分を私はこう呼ぶ。
この悪魔の自分は、
人間界には全く通用しない領域でいつも私に話しかけてくる。

えーっ、またかって想うんだけれど、
今の安心安全地帯でいいじゃんって想うんだけれど、

自分の言い訳を挟まずに、
やってきた現実に素直に飛び込むと、
大概自分にとっては正しい出来事として運ばれていく。
プラス持続可能。

宇宙の未だ解明されていない部分。
それも97%も在る。
こんなに科学や宇宙の研究がされていても、
未だ全くわからない未知の領域は97%。
しかし、
この部分が宇宙のほとんどをつくっているというのはわかっている。
わからないのにわかる。

この表裏一体性。
宇宙で生まれた人間にも生じている。
そして、いかに宇宙と自分は同じ材料でできているかがわかる。

あーだこーだと考える方の自分は、
3%の意識という、
理性があり、分別があるような自分。
一見天使のような私🧚

人間社会という、
地球の在り方という土台さえなくしてしまった世界では、
人間が始まってからの短い期間で決まったルールに従って生きていく。
それまでの宇宙や地球ができた歴史、
氷河期も温暖化も、
多大なるストレスに対応してきた微生物の在り方、
積み重なった、
身体に埋め込まれた本能や直感は無視。

人間社会では、
物事を考えて、思考を優先させて動くのは良いこと。
未来を予測し、
過去の失敗は起こさないようにし、
目的・目標を持って動き、
日々上昇していくこと。

太古からの細胞の疼きに身を任せるのではなく、
目の前の利益や、損得や、恐怖心から、
腹の底からではない付属品で判断する。

3%の意識世界からの選択に一喜一憂し、
エゴという名の、
切り離された自分という欲望のみで判断する自己判断。

エゴは全体との繋がりを感じながら動かすもの。

無意識の悪魔な自分の97%をベースに、
意識の天使な自分の3%を加えることで、
本当の自分は発揮出来る。

エゴは悪くないのに、
エゴだけで生きているから、
今の人間社会はややこしい。

自分を生きるとは、
好きな勝手にやりたいことをやっていい。
と勘違いしている人が多い。

私もそうだったけれど、
実際はそうではなかった。

好き勝手やってみたらいい。
大概長く続かない。

長く続く場合は、
この広い宇宙の中での、
自分という部品を適切に全うしているとき。

短期的にしか続かない場合は、
自分の役割じゃないことをしているか、
やり方を間違っている。
自分は猫なのに、
ウグイスのように鳴こうとしているようなもの。
自分を知らなければ、
自分という部品の特性を自分が生かさなければ、一生間違ったまま生きることになる。

生命は1人では生きていけない。
エゴまみれの状態は、
自分の範囲が、この広い宇宙の中で、
この自分という体のみに限定されるなんとも狭い世界のことのみを考える状態。

そこは自分のエゴのみに支配されている。
自分だけの世界に浸る、
他との繋がりはなく、自分だけ、という断絶が、
自分が自分がと、
自分から切ったことによって、周りから切られてしまう。

この広い宇宙の中、自分という空間だけで果たしてまわるのか。

本当の自分を生きるは、
自分の範囲を宇宙まで広げてすべて繋がっているという意識で今のこの自分を生きること。

この広い宇宙の中の全ての繋がりの中での今の自分なんだという認識。

周りにいる人も、自然も、化学物質も、
全て違うんだけれど、この宇宙を構成している同じ材料なんだ!という広い自分。

突然自分が誕生するわけはなく、
この138億年の脈々と受け継がれてきた命のバトンの先に自分がいるという、
自分は点だけれど、
138億年前から自分は生きていたんだ、
というプロセスと深さを持って生きること、
それが本当の意味での自分を生きるということ。

そして、
自分を生きるとは裸で在ること。
そこには欲に動かされるより、
ただただ意識と無意識の狭間で生命力として動いている赤ちゃんのような状態。

自分を生きるを勘違いしている状態は、
裸ではなく、エゴという服を着せ、
世間体や他人と比較した自分の幸せを基準に動いている場合の自分を生きることが多い。

だから好きなことをしてもしても、
満たされない。

そんな表面だけの、
38年しか生きていない私のみがやりたいことだけでの自分を生きる(エゴ)は、
138億年生きてきた深みのある自分を生きるとは格が違いすぎる。
悠久の自分が喜ぶことではない。

本当の自分は知っている。
どちらにしたらいいか。
悪魔のような危険でよくわからない内からジワジワ湧いてくる衝動。
本能と直感と内臓からくる細胞の叫び。

悪魔と天使も表裏一体。

人間社会に合わせた断絶の世界に身を寄せるのか、
全体から眺めた生物としての土台を元に自分を生きるのか。

自己判断とは、
宇宙の始まりからの長い長い自分という深さから判断する、尊い自分の判断。

それが本当の意味での
今を生きる、自分を生きる。

永遠という名の一瞬。
138億年が凝縮された今という一瞬の自分を、
さぁ、どう生きようか。

全ては瞬間瞬間の【自己判断】に託される。

起きる時間、
食べるもの、食べる時間、
身体を動かすこと、
今している仕事、
一日にする数千万回の全ての選択を、
本当の自分が丁寧に判断していったとき、
きっと今の自分とは全く違う97%からの自分が顔を出す。

意識して、無意識に落とし込む。
3%の意識はそうやって使うようにした。

全体を使う。
全体が1つで、
その中の自分という部品の役割をする。
それは小さいようで全体に関わること。
機械もひとつのネジの良し悪しで動きが変わる。

138億年で1度しかたどりつかない自分という奇跡の今を、
ただただ本当に生きてみる。
私がしたいのはたったそれだけのこと。

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