近藤 瞳

18年間で137ヶ国訪問。 職業は自分を生きること。 趣味は生きること。 2019年か…

近藤 瞳

18年間で137ヶ国訪問。 職業は自分を生きること。 趣味は生きること。 2019年から全国で地球を生きるワークショップ開催中。 持続可能な循環生活を。 在るモノを生かす。 水のように生きる。 https://hassy84921.wixsite.com/hitomikondo

最近の記事

日常

朝のランニング👟 朝の5時過ぎから、 夜明けを感じる朝の会を日々決行し、 雪の日も、雨の日も、 歩くことは、 福島に居る間の日課としてずっとやっていること👣 腰だけでなく、 全身刺激を与えるべく、 昔のようにランニングを導入🏃 初マラソンで4時間を切るため、 毎日トレーニングしていたときは、 毎朝10〜20km走るということをしていたけれど、 今は1、2km走るだけというなんともゆるい自分に変身して、 やり過ぎない、だけど、ちゃんと負荷をかけることで骨が弱くなりすぎない

    • 懐かしさに返る。 海はいつも無にする、自分を。 自分なんてないのに、 持ってしまっている自分を。 波の荒々しさの中に、 夜の森の静けさに、 空の広大さに、 自然の本質を視る。 それは美しさだけではなく、 解明できないわからないもの。 黒く、暗く、想像できない存在。 彼らはそのわからないを抱えたまま生きているし、そこをわかろうともしない。 あるがままで生きるから、 美しいのだと。 そのわからないが、 自分のほとんどを成す。 だから定義できないくらい、 自分なんかわから

      • 在るということ

        努力はしない。 しようとした時点で違うなにかになろうと努めようとしてるってことだから。 自分でいるために、 自分で在るために、 努めようとしたり、 頑張ろうとする必要はないもの。 努力する、頑張る、力む。 それを迫られた時点で、 自分をそこに追い込んだ時点でずれていく。 自分でいることは、 そのままでいること。 自分でいるために努力するんじゃなくて、 努力しようとしていないか気づくこと。 あれ、なんか違うって小さな声や違和感に気づき続けること。 自分でいるために必

        • 物語

          自分の在る世界が自分の現実なんだと、 自分に叩き込ませるために、 あらゆる物語をシャワーのように浴び、湯船のように浸かる。 映画も本もフィクションもノンフィクションも、なんだっていい。 物語の種類がこれだけあることを身に染み込ませる。 そうしたら、 違うことは当たり前なんだと、 勝手に自分が自分に納得していく。 "大丈夫だよ、あらゆる物語の1つでしかないんだから。 より喜劇に行こうではないか、マイストーリー。" 現実は1つだけではなく、 様々な物語が生命の数程あるのだと

          経済循環

          擦り切れてこれ以上着れないようなシャツやコートやスカート。 使える部分だけを再利用して、 アップサイクルしている今♻ そのときに使う針、糸、ミシン、端切れ。 全部知り合いから頂いたものだ😳😳😳 最近ミシンの調子悪くて手縫いが多いけれど、ハンドミシンでさえ頂きもの。 顔に使うクリームや化粧水や洗顔も知り合いが作ったもの。 歯磨き粉や塩も知り合いに頂いたもの。 今使っているパソコンや携帯、 イヤホンや充電器も頂いたもの。 読んでいる本、 使っているバッグ、 ネックレスや帽子

          経済循環

          自己判断

          付属品という名の常識ではなく、 自分自身の腹からくる声で。 "自分で判断する''とは、 138億年の宇宙誕生から蓄積された私達の身体を作る細胞一つ一つの声からの判断。 内臓が勝手に動くように、 自分にとっての適切な判断は、 頭で考えて立ち止まるものではなく、 スーッと滞りなくしてしまうもの。 そう、やってしまうもの。 それが本当の自己判断。 頭の中では忙しなく あーでもない、こーでもないと言ってくる。 それでも、 いかに腹の腹の内臓の、 太古の深みから来る意味のわから

          自己判断

          今まで得たあらゆる情報を一旦捨てる。 これはこうだからってゆう常識は、 例えそうであってもとりあえず捨てる。 そして、体で感じた感覚・経験からの学びを自分の情報として取り込んでいく。 ストレッチは体に良い、 は頭の中で認識している情報。 体の声を聴き始め、 ストレッチを始めること数年。 脳みそから、 ストレッチは体に良い という情報は消え、 体が自然とそれを吸収し実行してゆく。 体感は無意識で必要なものを取り入れていく。 ストレッチしなきゃ、じゃなくて勝手にしている自然体。

          大地

          5/15、沖縄返還50年。 そんな節目に沖縄に居るのもまた不思議な感覚。 波照間に居た時に、 その日はなにかお祭りのようなことをするのか、と聞いたら、 地元の人はそれよりも神事の行事の方を大事にしている人が多いかも。 という話。 人の枠組みで決められた土地というものを越えて、 神道での神事は、 自然に神が宿るというもの。 自然と密接に生活する人々にとっては、 そこかしこに神が宿り、 太陽が登っては拝み、 雨が降っても拝み、 どんな状況にも対応して生きていくこと。 自然と

          循環

          (2021.5.9書) 地球があるがままの姿に成っていく。 その一瞬一瞬を感じる日々。 それは昔の地球に戻るでもなく、 全く新しい地球に生まれ変わるでもなく、 今までとなにも変わらない、 ちょっとずつの変化。 この環境を生き抜くために、 脈々と変わり続けてきた地球の46億年間。 そこに良い悪いなど存在しない。 一度として同じ地球など存在しない。 私も生まれてこの方、 同じ私など存在しないように。 環境に対応したモノだけがこの地球で生き残る。 今、生きづらさを感じてい

          美しさ

          (2019/4/24書) 美しさ。 小さい頃から、ただただ、 何も手の入れられていない大自然を目の前に生きていたら、 美しさの定義は、今とはだいぶかけ離れたモノのことを言うと想う。 私たちが美しいと想うもののほとんどが視覚からの情報。 そして、小さい頃から自分で育んできた感覚で美しいと判断するのではなく、 周りが綺麗と言うものを美しいと判断するのが世の言う美しさ。 美的感覚って本来とびきりにみんなばらばらな方向に飛び抜けるものなはず。 だって、みんなこんなにも違うのだ

          生と死

          幻想によって、 あらゆるものに意味が付加されて行く。 私が幻想と呼ぶものは、 この世界の全てにおいて。 個々の思い込みや意味付で、 同じ言葉にも真逆の意味を含むから。 だから私はこの世界こそ幻想であり、 自分がどこを見ているか、 どう見ているか、 どう見たいのか。 それこそが、世界であり、 確実なものなど自分の中にしかなく、 他者と擦り合わせたら、全く違う世界を生きていることを思い知る。 死という言葉も、 人によっては、 悲しむこと。 お祭りをすること。 次の誕生を祝

          地球と自分

          あまりにも急ぎすぎた。 どの生物との関係性も支配ー被支配の上下関係になりすぎた。 そして人間だけで完璧になろうとした。 これでは共生にならない。 これでは個になるのみ。 個になるとどうなるか、全てが敵になる。 だからこんな状態に陥るのだよ。 人間だけがおかしいくらいにあたふたしている最近。 46億年間、地球は生きている。 地球が誕生してから大量の生物達が、 そして地球自身が、 じっくりじんわり恐ろしいくらいそれぞれのペースで生を育み今に至る。 その間、地球内部・外部の変化

          地球と自分

          全てはイマココに

          どんなときでも唯一生き延びれる職業があるとするなら、 それは"あなたがあなたのままで在ることをする"、という職業。 自分探しなんてしても探せないよ。 もうそこにあなたは居るのだから。 探しにいくんじゃなくて、 あっ!もう自分居るじゃん!って "気付くこと"をすればいいだけなのだから。 それに"気付かなければ"、 どこに行ったって自分を探せられるわけない。 こんな近くにいる存在を、 すぐ近くで見つけられない人が、 更に遠くに探しに行って見つけられるだろうか!? 気付けるだろう

          全てはイマココに

          一瞬は永遠。

          2021年2月2日のFacebookより 激しくうねる月🌝 朝に月を見ると、 夜も朝も一人占めしたような神秘的な、心地にどっぷり浸かる。 全ての時間を一瞬で吸収する、 そんな贅沢な一面雪と月の朝。 雪だと目に見えて嬉しいこと。 誰の足跡もついていない地に、 最初の一歩を次々に刻んで行く一歩の重み。 いつだってそうなのに、 ランニングの道が雪道に変わっただけで、 "今ここ"を感じる瞑想感高まる。 やはり人は視覚で判断しているわね。 と改めて判断の8割を見た目に頼っているこ

          一瞬は永遠。

          曖昧さ

          2018/12/31のFacebook投稿より 栄養素よりもエネルギーで生きてきたことを再確認した最近。 誰がそれを信じなくとも、 私がそれを信じるからいいんだ。 自信って自分を信じることだから。 ただただ、心流れるままに生活することで、居心地のよかった自分の居場所にストンと落ち着く。 良い人でいるより自分で居たい。 そのときの抱く感情で自分を表現していたい。 360度どこから眺められても、 他人に合わせた裏表な私ではなく 誰といても私は私でいられるように。 誰にどう評

          地球遊び

          2016年に描いた文章。 このときは、山梨の北杜市に3カ月くらい居た。 寒いからこその美しい景色がたまらない八ヶ岳、富士山、赤岳が見える生活。 贅沢極まりない。 ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓ 光と遊ぶ。 この世は直線と曲線で成っている。 光が姿を現すと、 綺麗にくっきりそれがわかる。 I'm playing with the natural light!! this color and shape are so amazing!!!!!! ピンクが大好きだったけど、

          地球遊び