【創作大賞2024用】影の騎士真珠の姫

第一話 影の真珠姫

 

 エルフリア王国の第一王女、フィーネペルルは鏡の向こうの自分に姫君らしからぬ悪態をついた。鏡の向こうには異端の自分が映っている。人々が持ってない能力を姫はいつも嫌悪していた。年を経るごとに出来る事が増えてくる。よからぬ能力も共に。いつか魔女裁判にでもかかるのではないかと思う。

 

 そうなれば笑いものだわ。一国の王女ともあろうものが。

 

 亜麻色の美しい髪を櫛で梳きながら、フィーネペルルは思う。やがて、簡単に身なりを整えるとリードを手にする。すぐに愛犬、エルフィが走り寄ってくる。

「いい子ね。朝の散歩に行きましょうね」

 優しい声で言うとリードをつける。そしていつも通りに王城から森の泉へと歩を進める。エルフィはいつものものにいつものように興味を示しながら進んで行く。

「エルフィのようにいい子だったらいいのにね」

 朝のすがすがしい散歩と裏腹にフィーネペルルの頭の中は嫌な自分を思い出していた。気持ちは見かけと違って黒い鉛を飲み込んだように重かった。それがもう、何年も続いている。幼い頃は何も思わず素直にいられた。だが、自分の隠れた能力があらわになると引きこもり気味の姫となった。両親は非常に心配して、このエルフィを与えた。普通に愛情を持って世話は出来る。引き籠もらずにもすんでいる。エルフィのおかげだ。この子にいつも救われる。そのエルフィが急に走り始めた。

「エルフィ!」

 引っ張られながら泉のほとり行くと、一人の騎士が怪我をした子猫をなんとか治療しようと悪戦苦闘していた。猫は野良猫出身らしい。飼い猫ならばあんなに暴れない。

「その子、貸してくれませんか?」

 フィーネペルルはすっ、とそう言葉をかけていた。騎士と目が合う。一瞬、世界の時間が止まったように感じられた。最初に目をそらしたのは騎士の方だった。視線を外すと子猫を渡す。

「いい子ね。痛いの痛いの飛んでいけー」

 フィーネペルルは傷の患部に片手を当てて優しく言う。子猫も大人しい。

「その子も君なら納得するんだね。俺はダメな父親だな」

「あなたの猫なの?」

 フィーネペルルは片手を当てながら騎士に問いかける。不思議と安心できた。

 いいや、と騎士は言う。

「この森の中で親猫はぐれているところに出くわした。そしてこの子は獲物取りの罠に引っかかっていたんだ」

「まぁ。可哀想に。痛かったわね。助けてもらってよかった。ほーら。もう、痛くないわよ」

 フィーネペルルは優しい眼差しで子猫の喉を撫でる。子猫の傷は跡形もなかった。騎士は驚きの眼差しで見る。

「この事は内密に。魔女狩りに合いますので」

 騎士は驚きながら肯いて、不思議そうにフィーネペルルを見た。

「私が怖い?」

 いいや、と騎士は言う。

「ちょうど怪我が治って助かった。これから雇い主の下に行かないといけないのでね。ありがとう」

「こちらこそ」

 フィーネペルルは自分を恐れない初めての人間に出会った。いや、両親を除いた場合だ。

「名前を」

 立ち上がったフィーネペルルに騎士が聞く。

「通りすがりの奇妙な女です。名乗るほどではありません。エルフィ行きましょう」

 エルフィは騎士の膝に乗っている子猫の匂いを嗅いでいたが、リードに引っ張られて、森の奥にとフィーネペルルと共に消えていった。国民から真珠姫とも呼ばれるフィーネペルル。この出会いが、必然だったことは嫌というほど、思い知らされる事となるのだった。


 

第二話 奇妙な星詠み 

 

「可愛い子猫ちゃんだったわね。エルフィ。さぁ、美味しいごはんを食べていらっしゃい。私はカタリーナやお父様達と朝食を頂いてくるわ」

 朝一番の散歩の後はいつもの嫌な朝食の場のフィーネペルルである。両親は深い愛情を持ち、両親に先立たれれた従姉妹姫のカタリーナとの朝食の場は、いつも、自分が一人きりと感じる場だった。三人の親切な愛情を感じれば感じるほど異端だと感じる。先ほど、子猫を助けたのは反射的だったが、これを他の者に見られれば処刑場へ一直線だ。

 

 あの騎士が黙ってくれているといいけれど。

 

「おはようございます。お父様、お母様、カタリーナ」

「今日もいい顔をしてるわね。フィーネ」

 王妃の母が言う。顔色はいいけれど、内心はよくはない。考えれば考えるほど先ほどの泉での出来事が大事のように思えてきた。心は上の空だ。

「あら。フィーネ。いい殿方とでも出会ったの?」

 カタリーナが問いかける。

「ま、まさか。いつものエルフィの散歩だけよ」

「あら。顔が赤いわね。でも、それ以上の詮索は辞めておきましょう。フィーネの心が浮き立つようなことがある方が母も父も嬉しいですからね」

「どこの馬の骨とも知らぬ男に嫁いでも知りませんよ?」

 フィーネペルルはふくれっ面をしながら椅子に腰掛ける。目の前にはそこそこ贅沢な食事がある。王家の体面も保たなければいけない。庶民とまったく同じ食事を取れば権威は失墜する。そうであってもいいけれど。この国を守ることも王家の使命だ。

「ああ。フィーネ。今日は昼から新しく雇った騎士と正式に会う。お前も会えば良い。なかなか骨のある騎士だ」

「どうして。私が?」

 フィーネペルルは不思議そうな顔をする。

「そうすれば良いと昨夜の占いの星詠みがあったのだ。この王家の変革に重要だ、と。お前の殿方かもしれぬな」

「あら。お父様。嫁げば、王位継承者がいなくなりますよ?」

「そうなればカタリーナがいる。お前は自由に暮らせば良い。その苦しみはもう終わって良いのだ」

「お父様?」

 国王である父のつぶやきがちな言葉にフィーネペルルはいぶかしむ。

「よい。たわいのない一人言だ。さぁ。料理が冷めてしまう。食べよう」

「はい」

 いつも、心地悪い朝食の場であったが、フィーネペルルの脳裏にはあの子猫と取っ組み合っていた騎士の顔が浮かんでいた。

 

 あの方、何という名前だったのかしら。

 

 そんなことをつらつら思いながら食事の時間は過ぎていった。


第三話 騎士と子猫

 

「お父様。私が会って何か起こるのですか?」

 フィーネペルルは父と並び歩きながら聞く。

「占い師が強く勧めるのだ。お前の息抜きになれば良い。それぐらいに思っておけば良いのだ」

 隣で歩く父親の国王は後頭部が薄くなっていた。いつの間にかあの背の高い父が自分よりも低い背丈になろうとしているのに気づいた。歳月の長さを感じる。これは一刻も早く王位継承者を決めねば成るまい。他所の国が好機を狙ってくるだろう。この世界は平和でもなく、激しい戦いの最中でもなく、中途半端な状態にあった。何か隙あらば狙ってくる、ぐらいのところだ。自分は王位継承者にはふさわしくない。従姉妹のカタリーナがふさわしい。

「また。悪い癖だの。難しい事を考えすぎだ。もう少し力を抜いて生きる方法を考える必要があるな」

 どきり、とした。毎日、幼心がつく頃から気の抜く事なく育ってきた。この能力を周知させないように、と。年々、能力は上がっていく。さらに気の抜けない日々が毎日に変わっていた。毎日鏡の向こうの自分の「影」とにらめっこしている。鏡の向こうの自分は嫌な顔つきをしていた。だが、今は、そんな事はどうでもいい。雇った騎士の顔を見ることが今の仕事だ。カタリーナが継承せねば自分がせねばならない。そうなれば一挙手一投足見られることになる。執務の経験ならば自分の方が上なのだ。

 謁見の間に入り王座に上がる。騎士は顔を伏せて跪いていた。そこに、脱力しそうな猫の声が聞こえてきた。

「ふみゃう」

「こ、こら。出てくるな」

 子猫がみゃうみゃう鳴く。

「あの子猫ですの?」

 思わずフィーネペルルは騎士に声をかけていた。その様子を父は面白そうに見ている。

「あの……?」

顔を伏せていた騎士は反射的に顔を上げる。そこには朝、出会った女性がそこにいた。騎士はさっと頭を下げ直す。

「先ほどは失礼いたしました。この国の姫君とはつゆ知らず無礼な振る舞いを……」

「別に無礼ではないですわ。私から声をかけたのですもの」

 ほう、と国王は様子を見ている。子猫は騎士の胸元から飛び出ると一目散にフィーネペルルの方に寄っていく。フィーネペルルはその子猫を抱き上げて喉を撫でてやる。すぐにゴロゴロと喉を鳴らし始めた。

「よく懐いているのだな。騎士が猫を飼うのは難しい。猫はよく外へ行って犬のように従うことを知らない。ちょうど良い。その子猫をもらい受けてはどうだ?」

「お父様?」

 不思議そうな顔でフィーネペルルは見る。だが、その瞳はキラキラと光っていた。動物には心を開くのだ。この騎士と子猫とフィーネペルルが繋がればなにか起きるのではないか。国王はそう判断したのだ。父の思いとは関係なくフィーネペルルは子猫に心を奪われている。

 

 この調子でこの騎士と結ばれればよいのだが……。

 

 国王は占い師に言われたことを全て伝えてはいなかった。

 

 ”姫君の影を消す騎士が現れる。その騎士との糸と切ってはならぬ”と……。

 

 娘は随分苦しんでいる。もう十分だ。娘が毎日鏡とにらめっこしてることなどとうにに知っている。この騎士にも影がある。騎士ならば誰でも持っているだろうが、違う何かを国王である父は感じ取っていた。フィーネペルルの闇を取り払う人間かもしれない。そう思って対面させれば、当日に会っていた。必然、であった。偶然でなく……。

「そなた、名前を姫に告げたのか?」

「いいえ」

 今度は騎士が不思議そうに言う。

「ではもう一度名乗るが良い。姫のお守りを頼むかもしれぬからな」

「お父様!!」

 流石にフィーネペルルは抗議の声をあげる。

「護衛ならば……」

「ほら。フィーネ。名を聞いておきなさい」

「ヴァルター・フォン・シュヴァルツベルク。ヴァルトと呼んで下さい。それからその子猫は姫君に随分懐いている。私は犬で手が一杯ですから、できれば、姫の手でその子猫を育ててやって欲しいのですが……」

 申し訳なさそうにヴァルターは言う。

「名前はもう、決めたの?」

「ええ。ないと困りますから。おい、子猫、と呼ぶわけにはいきません。エルマと呼ぶことにしております」

 それを聞いてフィーネペルルはくすくす笑い出す。

「おい、子猫って……。そのままですわ。エルマ、良い名前ね。万能の意味があるわ。真珠の意味もあるわね。私とおそろいよ。エルマ」

 フィーネペルルは公的な場所であるのも忘れて子猫を抱き上げて頬を当てる。子猫の柔らかい毛に思わず、顔を埋めたくなる。流石にそれは辞めたフィーネペルルである。

 謎の騎士、ヴァルター・フォン・シュヴァルツベルク。可愛い子猫を連れてこの国の雇われ騎士になったのであった。


 

第四話 姫のお守り

 

「それでは、お父様。私はこの辺で。話したい事もおありでしょうし。この子にミルクを与えなければなりませんので」

 フィーネペルルはそう言うと、謁見の間から去って行く。ヴォルターはその後ろをじっと見つめていた。

「おわかりかの?」

「ええ。まぁ……」

「あの子は自分の世界に捕まっておる。影というのか闇というのか。それを救い出せるのはある騎士のみ。そう占いに出ている。そこで、だ。試しに姫の護衛を引き受けてくれないか? よくふらふらと外に出て危なっかしいのだ。愛犬の散歩に飽き足らず、しょっちゅう森の泉で自分を見つめておる。いつ、あの泉に身を落とさぬか心配でならないのだ」

「私が、姫の護衛を? 確かに戦はここのところ鎮静化しておりますが……」

「戦のあるときはそなたにも手伝ってもらう。勇猛で名をはせているそなたを迎え入れたのも隣国のレガシアの動きがでれば、というのが目的だ。だが、それより、姫の方が先決だ。平和な内にそなたから影の御し方を教えてやって欲しい」

「御し方、などと大層な事はしておりません。ただ、自分の影を受け入れているだけです」

「それが姫には必要なのだ。だが、心を閉ざして何も聞かぬ。我々では無理なのだ。そなたに姫を託す。よいな」

 そう言って国王は謁見の間からでた。一人取り残されたヴァルターはしばらく考えていたが、謁見の間からでて、お守りする姫のフィーネペルルを探し出し始めた。

 城には大勢の女官がいた。姫と王妃がいる環境としてそうなったのだろう。忙しく立ち働いている。その一瞬、通り過ぎた女官にヴァルターの目は釘つけになった。別に一目惚れしたわけではない。ただ、探している姉にそっくりな女官がすっと通り過ぎたのだ。

「姉上!」

 ヴァルターは声を上げたが、女官はそのまま過ぎ去っていった。

 

 しばらく、この国にいる必要があるな。あの女官が姉上なら……。

 

 ヴァルターの出身国は遠く離れたシュヴァルツベルク公国だ。同じく騎士だった父はこの国との戦の中で命を落とした。母は当になくなっている。姉と肩を寄り添わせて生きていたが、ある日、戦の最中に行方不明になった。それからヴァルターは噂などを頼りに国々を渡り歩き、姉を探していた。まさか、この国でそっくりな女性を見つけるとは。姫のお守りというのも、動きやすい。さっさと姫と話をして、お守りの役を取り付けねば。ヴァルターはつかつかと城の中を歩くと、ある部屋のドアをノックした。返事はない。

「フィーネペルル様?」

 そっと扉をあけると、フィーネペルルはメガネをかけて書類と向き合っていた。羽根ペンが片耳にかかっている。仕事に熱心で気づかなかったのだろう。部屋はいると大きな布に覆われたものがあった。すっと布をめくる。すると巨大な鏡だった。

「ふみゃう」

 エルマがいつの間にかヴァルターの足下にいた。

「エルマ? まぁ! ヴァルター!」

 フィーネペルルの美しい顔に驚愕の表情が浮かんでいた。

「国王より、姫の警護を仰せつかりました。ヴァルトとお呼び下さい」

 跪いて、ヴァルターは言う。フィーネペルルは立ちすくんでなんとも言えない表情でヴァルターを見下ろしていた。


 

第五話 騎士との仮契約

 

「私を警護する必要はありません。大人しく、部屋にこもっているか、森の泉で水面を見ているだけですから。ヴァルター様は、騎士らしく訓練なさっていれば大丈夫です」

 朝の、あの柔らかな声とは違って冷たい声でフィーネペルルは言う。

 

 どうせ。あの人外の力を見て誰も彼も忌み嫌うに違いないわ。彼もそう。私のお守りなんてただのお遊びだわ。

 

 一人思っていると、ヴァルターは顔を上げた。

 

「あの力の事を気になさっているのですか?」

 鋭くその言葉はフィーネペルルを突き刺した。

「それが何か?」

 傷ついていることすら言えない。フィーネペルルは泣き出したかった。

「あの力は取るに足りません。姫君の優しいお人柄をあの力は奪いません。むしろ、助けているのです。エルマを助けた力はいずれ、また別の機会に役に立ちます。忌み嫌っては成りません」

「役に……、立つ?」

 フィーネペルルはあっけにとられた。あの異端の力が役に立つと? 

 

 力はあっても頭にはお花が咲いているのね。

 

 フィーネペルルは頑としてヴァルターの声を無視した。椅子に座りなおす。

「魔女処刑には役に立ちますわね。もう、執務の邪魔ですから出て行って下さらない?」

 ヴァルターに背を向けたままフィーネペルルは冷たく言う。

「私が、その影を。闇を……御す方法を知っていてもですか?」

「御す?!」

 フィーネペルルは反射的に後ろを振り向いた。

「ええ。騎士は人を殺す職業です。いくら正義を通すためでも。その正義は一時的に自分の所属する国でしか通用しないのです。人の数だけ、国の数だけ、正義はあり、光と闇が生まれます。騎士は光であると同時に闇でもあるのです。姫君も光と闇の間で苦しまれている。国王陛下は心配なさっていました。ですから闇と同居している騎士を護衛につけたのです。今まで護衛が付いたことはありましたか?」

 いいえ、とフィーネペルルは言う。なんだか泣き出しそうな顔に思わず、抱きしめて慰めたい気になる。どこからそんな気持ちが沸き起こるのかもわからず、ヴァルターは続ける。

「試用期間を設けてみませんか? 私が護衛に役に立たないとわかれば、陛下に行って任を解く。それで手を打ちませんか?」

「手を打つ、って、泥棒が策を練っているようだわ」

「まさしく、そうです。私はあの姫の力を知っている。黙らせておくなら側に置いておく方がよいと思いますが?」

「ズルいのね」

 フィーネペルルは言う。もう、泣き出しそうな顔ではなかった。むしろ、隠し事を共有した子供のように目を煌めかせていた。

「乗ったわ。その話。試用期間はあなたに任せるわ。これからエルマにまたミルクをあげないといけないの。ついてくる?」

「ええ。もちろん、お供します」

 そう言ってヴァルターは肘を出す。エスコートするとでも言うらしい。笑いがこみ上げてくる。

「あなたみたいな変な方ははじめてよ」

「それはよかった。変わり者といつも言われていますから。さぁ、エルマ。エルフィ。行くぞ」

 もう、自分が飼い主のように言って歩き出す。それを隣のフィーネペルルは面白そうに聞く。当分、退屈しなさそうだ。フィーネペルルは思いながら廊下を歩いていた。


 

第六話 心閉ざした優しき姫君

 

「ほうら。エルマ。お母さん猫のミルクではないけれど、ヤギのお母さんのミルクよ」

 エルマは小さな器に入ったミルクをぴちゃぴちゃ飲み始める。母猫にくっついて飲むほど幼くはないようだった。ある程度は野良猫として生きていたのだろう。

「エルマは偉い子ね。そのまま大きくなってね」

 フィーネペルルはエルマの頭を優しく撫でる。その表情は先ほどの冷たい姫君ではなかった。

「動物には優しいのですね」

「だって、動物は私を嫌わないからよ」

「私も嫌いませんよ。むしろ、誇らしいと思います。闇と戦いながらもこうして優しくなれる人柄は恥ずべきものではありません」

「あなたに嫌われたって別にどうってことないわ。ずっといつもそうだもの」

 ふと、フィーネペルルの瞳に陰りが差した。

「孤独だったのですね。騎士もそうです。団員であると同時に戦では一人で闘わなければならない。誰も助けにならないのですよ」

「危ない、時間を過ごしてきたのね」

 少し、柔らかな声でフィーネペルルは言う。

 

 確かに、騎士は一度戦場に出れば一対一で闘うものね。冷たくしすぎたかしら。

 

 フィーネペルルは顔を上げると優しく微笑む。ヴァルターの心がぎゅっと締め付けられるような気がした。

「どうかして?」

「いいえ。森の泉に散歩に行きませんか? 仕事のしすぎは疲れますから。明日からの事も打ち合わせしなければ成りません」

「明日?」

「そうです。いきなり早朝に姫君の寝所を突撃するわけには参りませんから」

「突撃って……」

 フィーネペルルはケラケラ笑う。ヴァルターは自分の言葉のどこが面白かったのだろうか、と奇妙に思う。

「戦でもないのに突撃なんて……」

 そう言ってまた笑う。その朗らかな笑い声にヴァルターは姉の捜索にだけ契約しようとしている自分を恥じた。

 

 この姫にはこんな時間が必要だ。姉上の事は後回しでいい。まずはこの姫の心を癒やさねば。

 

 ヴァルターはどれだけ孤独な時間を過ごしてきただろうかと切なくなる。

「ヴァルター?」

「ヴァルト、です。姫君」

「それでは、私も『フィーネ』よ。みんなそう呼ぶの」

「それではヴァルトとフィーネの関係から始めましょうか。私達は友達です。詳細は違えど同じ、闇を持つ同志として共に時間を過ごすのです」

「同志って、大げさよ。ヴァルター」

「ヴァルト」

「はい。ヴァルト、ね」

 有無を言わせぬ声にフィーネペルルは従う。

 

 この方は優しすぎるのだ。おそらく。そして自分を異端視している。昔の自分のように。騎士能力の事で自分は自分を異分子扱いはしていない。それでも、人を殺して生きる自分が嫌だった。だが、騎士の父に教えられた人生を歩むには騎士しかなかった。そのための訓練しかしていない。今更、施政者になろうとも思わない。一助の人間になれたらそれでいいのだ。今はそう思う。だが、昔は自分の手が血に染まっていることがいやだった。とてつもなく。人間でないような気がしていた。フィーネも同じだ。力を持てまして異端視している。それが役に立つこともあるかもしれないという視点に気づかずに。自分を認めるという事をフィーネはしていない。否定を繰り返している。まるで昔の自分のようだった。

 

 まずは、フィーネの心の茨を取り除くところから始めよう。

 

 ヴァルターは小さな台所で子猫にミルクを飲ませている姫君が宝物のような気がしていた。優しく強い姫が。これが恋とはヴァルトはまだ気づいていない。フィーネペルルもこの必然の出会いが人生を大きく変えるとは夢にも思っていなかった。

第七話 奇妙な作戦会議

 

「それでは、みんなで森の泉に来たわ。何を相談すれば良いの? 騎士様」

「騎士様なんて言われた事もありません。ヴァルトでもよいと言ったではありませんか」

「じゃ、みんなからヴァルトと呼ばれていたの?」

「姉と父に……」

 伏せがちな瞳にフィーネペルルはすぐに察した。

「亡くなられたの?」

 刺激しないようにそっ、と言う。

「父はこの国との争い中に。姉は何年か前に行方不明になっております」

「まあ。それでは、お姉様を探して旅をなさっていたのね。雇われる騎士となっているのがこれで、納得できるわ。でもお父様を殺した国に仕えるのは心中穏やかではないでしょう? どうして……」

「この国で姉を見かけたと言う噂を聞いたのです。。父の事は仕方ありません。国の間の事ですから。ただ、最初は恨みました。憎みました。でも、私と姉はそんな事を言えるほど裕福ではありませんでした。その日を生きるのに必死で、いつしか、父と同じ道を歩んでいました」

 そう……、と言った後フィーネペルルは思いもかけない言葉を口にした。

「ごめんなさい。あなたのお父様の命を奪って。この国の人間として謝らせて」

 フィーネペルルは頭を下げる。ヴァルターは慌てた。一介の姫が国を背負って謝るなど聞いたことがない。自分で殺したならいざ知らず。誰がしたのかもわからない事に謝罪の言葉を口にするとは。

「この国の責任とは国王と、その家族にあるのよ」

 うっすらとフィーネペルルは涙を浮かべていた。そっと指を伸ばしてヴァルターは涙を拭う。

「ヴァルト?」

「姫が泣く必要はありません。すべて過去の事です。姉のことは別にしても……」

 泣き出されては困るので頭を切り替えてもらうために姉の話を引き合いに出す。

「姉に似た女官を今日、見かけました。私と姉が別れても数年。顔も声もさほど変わっていません。でもその女官は通り過ぎていきました。私に目もくれず。姉は手首に三つ星のほくろがあります。あれば、姉に間違いありません。ですが、私の来たことにも何も思わず、この城にいるのは何か特別な事が起こったとしか思えません。申し訳ありません。姫の護衛を受けたのもその姉の事を調べられるかと安易に思ったからです。ですが、今は違います。姫の影の御し方をお伝えするために私は側にいます。ただ、姉の身に何が起きたのか知りたいのです」

 記憶、とフィーネペルルは呟く。

「確か記憶を失って保護した女性を女官として出仕させていると聞いているわ。その方かもしれないわね。私付きではないけれど、会うことは可能よ。でも、急に会ってショックを与えるような事をしてもダメらしいの。その女性を診た医師が言っていたわ。急に記憶が舞い込んで倒れてしまうと。ゆっくり、お姉様の行方を捜しましょう。女官のことはカタリーナが詳しいかもしれないわね」

「カタリーナ様、とは……」

「私の従姉妹よ。両親を早くに亡くして一緒に住んでいるの。あの子が女王になる方がいいかもしれないとつくづく思うわ」

 少し孤独感をにじませてフィーネペルル言う。ヴァルターは思わず、手を重ねた。

「姫の執務姿を見れば、誰よりもこの国の王にふさわしいかわかります。何事も真剣に取り組まれておられるのです。自分を認めて差し上げて下さい。そこから全てが変わるのです」

「それが、影の御し方なの?」

 聡明なフィーネペルルは聞き返す。手は振りほどこうともしなかった。フィーネペルルはこの人の温かさから離れるのがなんだか嫌になっていた。

 

 もう少しそのままで……。

 

 二人も奇しくも思い、見つめ合う。その二人を邪魔するかのように間にエルフィが入って吠える。エルマもヴァルターの肩に器用によじ登る。

「まぁ!」

「あ!」

 二人は慌てて手を離した。恋が走り出そうとしていた。


 

第八話 淡く花開く恋

 

「エルフィはヴァルトが好きなのね。エルマも」

 そう言ってフィーネペルルは二匹の頭を撫でる。ヴァルターはにこやかに見ている。その視線にフィーネペルルはやや恥ずかしそうにする。

「どうしてそんなにニコニコしてるの?」

「姫、いえ、フィーネが優しい顔をして心を解放しているからです。閉じこもって鏡を見ていては何も変わりません。一歩踏み出す勇気を出せば、あとはなんとかなるものです」

「そう言うものなの?」

 今まで、そんな事を考えたこともないフィーネペルルは驚く。

「まだまだ、いろいろな影の御し方はありますよ。それは小出しにしていきます。一気に言って手がなくなればこうしてお会いできることもなくなりますし」

「あら。私に会いたいと思って頂けるの?」

「もちろん。私の心は姫に盗まれてしまいました」

 おどけて言うヴァルトにフィーネペルルは不思議そうに見る。

「姫?」

「私も、だわ。ヴァルトに会えないのはいや。いつの間にそう思うようになったのかしら」

 フィーネペルルが思考の泉に沈もうとするとすると愛犬エルフィが袖をくわえて引っ張る。

「エルフィ?」

「そうやって、心の中にすぐに入っていくのがいけない、とエルフィが言ってるんですよ」

「それも影の御し方?」

 はい、とヴァルターが肯く。

「私、学ばないといけない事がたくさんあるのね」

「それもそうですが、まずは森の泉に座って落ち着きましょう。泉の水面すらフィーネには鏡になるのでしょう?」

 フィーネペルルは驚いて目を丸くする。

「どうしてわかったの?! まるで千里眼だわ!」

「経験、ですよ。私も洗面器の水面すら鏡でした。父の死後、そこでずっと自分の姿を見つめていました。朝一、見る顔が嫌な自分の顔だと、気も滅入るものです……」

 今度はヴァルターが記憶の彼方へ飛んで行きかけた。フィーネペルルが袖をひっぱる。

「姫」

「あなたも影に引っ張られそうだったわ。師匠がそれじゃ、頼りないわね」

 明るい声のフィーネペルルにヴァルターはほっとする。つられるのではないか、と危惧したが、今は深く考えることもないようだった。

 フィーネペルルに何が起こったのか。ヴァルターにはまだわからなかった。

 ただ、お互いがお互いを支えていた。ちょうど、歯車がうまくかみ合っている。それをまだ二人は気づいていなかった。なくてはならない相手であること、も。周りのものが見れば一目で解るものの。

  

 走り出している恋はまだ自覚できる所に来ていなかった。淡い恋が花開いていた。


 

第九話 自分を映す鏡

 

「それじゃ、まずはヴァルトのお姉さん捜しから始めましょうか」

 唐突にフィーネペルルが提案し始める。

「いきなり、そこに行き着くのはどうしてですか。まずは影の御し方からでは……」

 ヴァルターは突っ込む。自分の事からが先だろうに。

「あら。私はこの退屈な日々に終わりを告げる話のように聞こえたわ。鏡を見るのはもうたくさん。どうせなら、建設的な事からしましょうよ」

 フィーネペルルの言葉にも一理ある。だが、自分の問題を先送りにしているだけだ。

「鏡はどこにもありますよ。見る事を辞めても次の影が見えてきます。人はいろんな影を持っているもの。一回、気が晴れたとしても揺り戻しが来ます。姉のことは追々調べていけばいい話です。そこに飛びつくのはおやめになる方がいい」

「えー」

 子供っぽくフィーネペルルが言う。

「わがままは私には通用しませんよ」

「この手もダメなのね。ヴァルトは気難しいのね。明るい人と思っていたけれど」

「気難しいとは……。常識を言ったまでです」

「それも常識なの? 私、自分の事をちゃんと見てこなかったわ。周りの人もそれでいい、って言って。ヴァルトは違うのね。ちゃんと正面から見ろ、と言うのね。部屋に戻りましょう。あの巨大な鏡の布を取る時よ」

 すっくとフィーネペルルが立ち上がる。

「無理せずともいいのですよ。今はその気持ちだけが大事なのです。急にショック療法をする必要はありません。まずはこの泉に映るフィーネからはじめてもいいのではないですか?」

 そう言ってまた座らせる。

「折角一大決心したのに……」

 フィーネペルルは不満そうだ。

「その可愛らしいふくれっ面を水面に映してみては? 少しは変わっているかもしれません」

「そうかしら?」

 フィーネペルルは泉の水面をのぞき込む。いつものように嫌な自分がいるだけだ。結局あの鏡の大きな布をとっても同じように見える。

 

 と。

 

 フィーネペルルは思っていた。

 ところが、意外に健康そうに血色の良い自分がそこにいた。いつも、嫌な目線を送ってくる自分はいなかった。

「え?」

「何かわかりましたか?」

 ヴァルトが聞く。

「私は私だけど、普通の女の子がいたわ。私はもっと嫌な顔をしていたのに」

「それがありのままを見ると言うことです。嫌な、というのは自分が貼り付けた印象に過ぎません。主観からでなく、客観的に見る事ができれば、それは自分を受け入れ始めたのです。そしてそれは今までの嫌な自分も受け入れることに繋がるのです」

「そうなの……。本当に違うわ。ヴァルトが後押ししてくれたおかげね。っと。エルマ! エルフィ! 泉に落ちるわよ!」

 愛犬と愛猫が一緒に泉に映り込んでいる。

「ご主人様と同じ事がしたいんですよ。フィーネは飼い猫にも飼い犬にも愛されているんですよ。一人じゃない、とわかるでしょう?」

 不意に、フィーネペルルの頬に涙が一筋流れた。その頬をエルフィが舐め、エルマはフィーネペルルの体にすり寄ってくる。

「まぁ! 私って果報者なのね。こんなに愛されているなんて」

 フィーネペルルは二匹をぎゅっと抱きしめる。一人きりだと思っていた所に味方が二匹と一人増えた。フィーネペルルは今日のこの日を忘れまい、心に誓ったのだった。

 はじめて見た影の自分。そして大切な人達。フィーネペルルの心は長い冬を終えてゆっくりと春を迎えようとしていた。


 

第十話 女神の名前を持つ側女

 

「今日はもう、鏡を見るのはもう良いでしょう? 確か、あの記憶を失った女性はカタリーナの世話役になっているの。カタリーナの元へ行きましょう。おいで。エルマ」

 腕を差し出すとエルマがちょこちょこよじ登ってくる。フィーネペルルはエルマを抱きあげる。エルフィのリードはヴァルトが持つ。まるで長年、連れ添った夫婦のような空気にフィーネペルルはデジャヴを覚える。

 

 どうかしてるわ。今日は。いろいろあったのね。

 

 心の分析をささっとしてしまうと歩き出す。そんなフィーネペルルの横顔をヴァルトは面白そうに見ながら歩く。

「何か面白い事でも?」

「いや」

 そう言ってエルフィのリードを外す。

「エルフィ!」

 フィーネペルルが呼ぶ。

「大丈です。あそこにおられるのがカタリーナ様でしょう?」

「そうだけど。よく知ってるのね」

「エルフィが行きたそうにしていたから。エルフィが懐くのは家族ぐらいです。ならば残った家族はカタリーナ様だ」

「推理がお得意なのね。あの、カタリーナの世話役の一人があなたの尋ね人よ」

「姉上の?!」

 驚いた顔のヴァルターにフィーネペルルは言う。

「何でも知ってると思えば、そうでもないのね。カタリーナが記憶を失った女性を保護したのよ。本当に王権を継ぐのはあの子が正しいわ」

 最後は自分に言うように言ってカタリーナに向かって駆けていく。

「カタリーナ! エルフィ!」

「珍しく、外へ出ていたのね。騎士様と」

「私とヴァルトの間には何もないわよ。ただの人生の先輩よ」

「人生の先輩、とは……。それほど姫と年は変わらないのですが」

「あら。お年を気になさるのね」

「姫!」

 二人の夫婦漫才にカタリーナは大笑いし出す。その声にはっとする二人である。

「カタリーナ……」

「全部言わなくていいわよ。人生のお勉強中なのでしょ? それより、マリアが気になるんじゃないの?」

「マリア?」

 ヴァルターが聞き返す。

 

 姉の名はゾフィ、だ。

 

「記憶がすっぽり抜け落ちているからそう名前をつけたのよ。会ってもいいけれど、いきなりショックを与えるのはお医者様からダメ、と言われているのはわかっているでしょう?」

「ええ」

「姉の手首には三つ星のほくろがあるのですが、マリアにも?」

「そこは知らないわ。でも、変わったほくろを持っているから女神様の生まれ変わりということで、みんながマリアって呼び始めたのよ。会ってみる?」

 カタリーナの聡明そうな瞳がヴァルターを捉える。いや、とヴァルターは首を振る。

「当分、平和そうです。姉のことはゆっくり調べていきます。マリアというのがわかっただけでも収穫です。さて、フィーネ。執務に?」

「その前にエルマのごはんね」

「そうか。エルマ、おいで」

「にゃん!」

 エルマがフィーネペルルの腕から飛んでヴァルターの胸元に飛ぶ。受け止めたヴァルターは一人でさっさと歩き出す。

「ヴァルト!」

 フィーネペルルはその後ろをエルフィを抱えながら駆けていく。

「あのフィーネが追いかけるなんて、ね。いい傾向だわ。さ。どんな不思議なほくろか聞いてきましょう。当人達は目に見えていないようだから」

 お互いを見るのが忙しくて本来の目的からそれてるのがカタリーナにもわかった。すぐに姉とわかっては別れが早くなる。ヴァルターの気持ちを推し量ってカタリーナは調査にでかけた。


第十一話 変化の現れ

 

 あれから数日、カタリーナは何もフィーネペルルにもヴァルターにも言わなかった。いつものように朝、一緒に食事を取る。その前にフィーネペルルはエルマとエルフィの散歩にヴァルターと共に行く。

 今まで、朝食の席には暗い表情で来ていたが、最近、目に見えて明るい表情を見せるようになっていた。ヴァルターを護衛につけたのがいい結果として現れ始めていた。フィーネペルルも、起きて一番自分の顔を見ると気が憂鬱になっていたが、すぐに切り替えられるようになっていた。ヴァルターは異端の力があっても毛嫌いしない。そっと見守って昔、父と姉と三人で暮らしていた穏やかな生活の事を話しなどして、フィーネペルルは気が楽になっていた。優しく楽しい家族の生活を聞くと自分もそんな気になるものだ。

 そして、フィーネペルルは自分の家族を思い起こす。これまで優しく見守ってくれていた両親。そして従姉妹のカタリーナ。カタリーナはヴァルトと同じように両親がいない。自分には両親がいる。それがどれほど恵まれているか、この戦のある世界の中で思い返すようになっていた。そしてそれは行動にも表れていた。より一層、フィーネペルルは優しい態度で家族や侍女達に接するようになっていた。

「フィーネ」

 父が呼ぶ。ここは穏やかな朝食の場だ。手を止めて小首をかしげて父を見る。

「最近、明るくなったな。ヴァルターは役に立っているのか?」

 父親の言いようにフィーネペルルは目を丸くする。

「役にとは……。ヴァルトは人間ですわ。もののように扱うのは……」

「物のように扱うわけではないが、少しフィーネが変わった。それはヴァルターが護衛に付いてからだ」

 そう……、とフィーネペルルは考えながら言う。

「そうですわね。少し変わったこともあると思います。あれほど嫌だった鏡がそんなに嫌ではなくなりました。ヴァルターの助言で泉の水面に映る自分の顔が普通の女性の顔に見えるような時もあります。心が少し、すっきりしたというか、なんというか……」

 フィーネペルルが言いよどむと父はにっこり笑う。

「そんなに考える必要はない。良い方に傾いたのだろう。引き続き、ヴァルターをお前付きとしよう」

 そして、母と同じように優しい表情でフィーネペルルを見ていたカタリーナの方に向く。

「あの、記憶を失った侍女はどうなった? カタリーナ。記憶はもどったか?」

 少し心配げな表情を浮かべてカタリーナが言う。

「まったくですわ。考え出すと頭痛が始まるのです。ただ、ヴァルター様のお姉様と同じほくろを持っているとわかりました。ヴァルター様と会わせてよろしいですか? 陛下」

「陛下はやめなさいと言っているだろう? おじ様ぐらいにしなさい。そうか、ヴァルターの言っていた姉と特徴が似ているのか。フィーネ。一緒に立ち合って会ってみなさい。何か、わかるかもしれない。ただ、ヴァルターが弟というのではなく、ただ、話を聞いてみなさい。刺激は無用だ」

「お父様。いいのですか?」

「マリアにも記憶がないとつらいだろう。何かのきっかけで戻って元の暮らしに戻らせた方がいい。あの側女は生粋の町娘などではない。おそらく……、騎士の娘だっただろう。武術の心得がありそうだった。手にまめがある。剣を握ったことがあるはずだ」

 父の観察眼に恐れ入るばかりのフィーネペルルとカタリーナである。

「それでは、さっそく」

 慌てて立ち上がったフィーネの香茶のカップが揺れた。香茶がはねる。

「あら。私ったら……」

 以前なら、自分の失態を一片たりとも許せなかったフィーネペルルは今の出来事に寛容になれた。自分でそんな自分を驚いて、シミの付いた袖をじっと見つめる。

「あらあら。フィーネったら。慌てなくてもヴァルター様は逃げないわよ。フィーネしか目に入ってないもの」

 カタリーナの言葉に驚愕の表情になるフィーネペルルだ。

「まだ、気づいてないの?」

「え?」

「面白いから、種明かしはまだしないわ。さぁ。二回目の泉の散歩に行く前に服を着替えましょう」

 最近、朝一の散歩と朝食後にもフィーネペルルは散歩に行っていた。その方が心が落ち着くのだ。普通の自分の顔を見て納得する。これがここ数日のフィーネペルルの決まり事だった。

 カタリーナに手を引っ張られ朝食の間を出て行くフィーネペルルである。両親はその後ろ姿を微笑ましく見つめていた。

第十二話 通じ合う想い

 

 部屋で汚れた服を取り替えているとヴァルターがやってきた。声をかけなくともわかる。エルフィとエルマが騒ぐのだ。ヴァルターが来れば、散歩、という図式が愛犬たちに浸透していた。

「エルマ。エルフィ。もう少し待って。ヴァルト。少し待ってくださらない? 香茶がこぼれて着替えているの」

 やっと野外に出ても構わない服に着替えると扉をあける。

「お待たせしたわね。エルフィのリードを持って下さらない? そうそう。朗報が舞い込んだのよ」

「朗報?」

 エルフィのリードを持ちながらヴァルターは言う。

「マリアと話しても良いと、父が言っているの。ただ、弟という刺激はいけないの。ただ、状況の話を聞きなさい、と。でも会えるだけでもいいわよね?」

 二人は居城を出て森へ行く。ヴァルターはなにやら考え事をしていた。

「ヴァルト? 考え事? マリアに会いたくないの?」

「会いたいのはもちろんですが、どう話を聞けば良いかと……」

 悩んでいる様子のヴァルターにフィーネペルルは驚く。

「まぁ。人の話を上手く引き出すあなたがそんな風に思うだなんて意外だわ」

「意外、ですか……」

 自分は思うままにフィーネペルルを見守ってきただけだ。それが人の話を上手く引き出す、という利点になっているとはつゆほどにも思わなかった。フィーネペルルという姫は不思議だ。影を持ちながら、人を癒やせる。力などなくともその人柄で癒やされる人間は多いだろう。彼女の優しさは誰にでも向けられている。そう。自分にも。その優しさに引き込まれそうになる時がある。ただの見守る相手から違う相手となりつつあった。ヴァルターの中には恋という言葉はなかったが、まさにそのような事態になりつつあった。いや、周りの者から見ればすでに恋に落ちている。本人達だけが気づかないのだ。

 泉に座って、フィーネペルルは愛犬たちに水を飲ませてやっている。猫のエルマには木の器に水を入れてやっている。子猫では泉の淵に落ちてしまう。そんな気配りができるフィーネペルルは次期王位継承者として素晴らしい素質を持っているとヴァルターは思ってみていた。その彼女の悲しさの一助となれば、と見守っていた。

 長年探していた姉に会えるという所なのにヴァルターはまったく嬉しくなかった。ただ、カタリーナにも迷惑をかけている。会いたくない、とは言えなかった。

「ヴァルト? なんだか悲しそうな目をしているわ。どうしたの? 私が何か間違ったことを?」

「フィーネ。そうではないのです。ただ。何故かフィーネと離れるときが来ると思うと残念で」

「私と? 異端の力を持つ人間よ? 別れが残念?」

 フィーネペルルはびっくりしている。それから少し目を伏せる。そしてまた顔を上げる。驚愕の表情を浮かべていた。

「私もよ。ヴァルト。離れるなんて考えたくないわ。でも、あなたはお姉様を探して故国に帰らないと。その方が、あなたのためにいいわ。私の護衛の試用期間をマリアの記憶が戻る時に決めるわ。なんとなく感じるの。マリアはあなたのお姉様だと。私達は別れないといけないのよ。さぁ。執務に戻らないと」

 フィーネペルルは勢いよく立ち上がる。エルフもエルフィもその動きに反応する。ヴァルターに背を向けた瞬間、きらり、と光るものがあった。涙、かもしれなかった。

 ヴァルターが後ろから抱きしめる。

「姉であってもなくとも、その試用期間は認めたくない。フィーネともっと一緒にいたい。ふがいない自分だが、私はフィーネに惹かれている。恋に落ちたと言ってもいい。あなたを愛している。フィーネペルル」

 フィーネペルルはヴァルターの手に手を重ねる。そしてゆっくり振り向く。

 目に涙が浮かんでいた。

「私もヴァルトを愛しているわ。誰よりも。マリアの事で気づいたわ。あなたと離れるのはもう嫌。ずっと側にいさせて」

「フィーネ……」

「ヴァルト」

 二人は見つめ合う。そこへ可愛い邪魔が入った。エルフィが間に入ってワン、と一鳴きし、エルフィがフィーネペルルの涙をなめていた。

「わかったわよ。あなた達とも離れたくないわよ」

 くすり、と笑って愛犬たちと戯れるフィーネペルルにヴァルターははじめてフィーネペルルへの愛を実感していた。周りの者からすれば、やっとか、という所である。マリアの存在はこれから二人に何を投げかけるのか。未来はまだ来なかった。


 

第十三話前編 マリアとゾフィ

 

 フィーネペルルとヴァルターはやっと想いを通じ合わせた。

 そして差し迫った問題。マリアが姉、ゾフィかという点で、うやむやのままはよくないと意見が一致した。

 話を聞くだけでも聞いて問題の解決に向かうのが必要だ、と二人は考えた。

 城に戻って愛犬たちにお留守番をさせるとカタリーナの部屋に向かった。居城はそんなに大きくはないが、古来より増改築されて複雑な城の作りになっていた。入り組んだ城を巡ってカタリーナの部屋へ行く。カタリーナは趣味の編み物をしていた。

「カタリーナ! マリアは?」

 フィーネペルルが明るく声をかけるとカタリーナは目を煌めかせる。

「何か良いことがあったようね」

「まぁ……」

「そういうことですが……」

「遅かったわね。ほんと」

「何が?」

 二人でハモって尋ねる。

「面白いからもう少し黙ってるわ。マリア! 少し手を止めてきてくれない?」

 扉の外を通り過ぎようとした女性に声をかける。

 

 姉上!

 

 ヴァルターが目を見張る。間違いなかった。探し求めていた姉、ゾフィだった。しかし、ヴァルターが見ても何の変化も見せない。

「フィーネペルル様とその護衛のヴァルター様よ。あなたが気づいたときの話を少ししてもらっても良いかしら? 何回もさせて申し訳ないけれど」

「はい。それは構いませんが……。フィーネペルル様とヴァルター様。お初にお目にかかります。マリアという者です。記憶がないため、仮の名前として侍女仲間からつけてもらった名前です」

 宮廷式のお辞儀を丁寧医してマリアは言う。目の前に姉がいる。その事実にヴァルターはすぐにでも名乗り出たくなった。フィーネペルルがヴァルターの腕に手をかける。それだけで、すっとヴァルターの高ぶった気持ちが収まった。ヴァルターは礼の目線をフィーネペルルに向ける。フィーネペルルは微笑むとマリアに向き合う。

「マリア。それじゃ、そこに座って目覚めたときの事を話してくれる?」

「ここに、ですか? カタリーナ様のお部屋で?」

「いいわよ。マリアは特別な侍女よ。私が見つけた女性ですもの。それに侍女仲間に聞かれたくないでしょう? 同じ話を」

「はい。それでは、失礼ながらも……」

 マリアは落ち着かないように椅子に座ると手を膝の上でくんでしばらくの沈黙の後、話始めたのだった。


 

第十三話後編 マリアとゾフィ

 

 四人が一斉に座る。マリアは手をすりあわせて落ち着かないようにしていたが、口を開いた。

「気づけば……川の岸辺に倒れていて……手や足が痛くて……見ればかすり傷がありました。頭もガンガンと痛みがあって、私が誰かも名前も何もかもわかりませんでした。その中でライアン様とカテリーナ様に助けて頂いて、この城に。手首に三つの星座のようなほくろがあります。女神の星座と同じ並び、という事で皆様にマリアと名前を頂きました。こんな所なのですが、お役に立てたでしょうか?」

 フィーネペルルが大丈夫よ、と言う具合に手に手を重ねる。

 その瞬間、フィーネペルルは目をパチパチした。

「フィーネ?」

 異変に気づいたヴァルターが声をかける。

「今、いいえ。マリア。もういいわ。大方のことはわかったから」

「はい……」

 マリア自身も狐につままれたような表情をしているが、その場を去った。去ったのを見納めてからフィーネペルルは言う。

「ヴァルトのお姉様、ゾフィよ。手に触れたとき、あなたやマリアやおそらくお父様が過ごしていた時間の事が流れてきたわ。小競り合いに巻き込まれて川に落ちたみたいね。誰かにさらわれかけて、誤って川に落ちたみたい。どうすれば、記憶は戻るかしら。刺激がダメなら、お薬とか……かしら?」

「薬?」

 カテリーナとヴァルターが同時に尋ねる。

「私には治癒の力は持っているけれど、何かの衝撃で記憶を失ったのを治す力はないわ。試してもいいけれど、薬に詳しいお母様に聞いてみるわ。それに、私の異端の力を目にしてマリアが心を閉ざしてしまうといけないわ」

 そうか、とため息をはきながらというか押し殺していた息を吐いてヴァルターは言う。

「姉上なのか。それだけでもよかった。フィーネが使いたくない力を使う必要はない。無理はさせたくない。フィーネにも姉上にも……」

「とりあえず、薬ということで探しましょう。私には薬なんて思い付かなかったもの。やっぱりフィーネね」

 カタリーナが褒めるとフィーネペルルは恥ずかしそうにする。

「恥ずかしそうにする必要はない。姉上と、わかって薬まで考えてくれた。やはりフィーネは私の一番の姫だ」

「ヴァルト」

 二人で見つめ合っていると、カタリーナがコホン、と咳払いをする。

「あ」

 二人がはっと我に返る。

「カタリーナ。あなただってライアン様と会っていたのでしょ? 言えない立場よ」

「ライアン様はただの護衛よ。あなたの様に。ああ、ただではなかったわね」

「カタリーナ!」

「カタリーナ様!」

 二人が立ち上がる。

「執務がたまってるわよ。フィーネ」

「あ。いけない。今日中に片付けないといけない執務があったわ。行くわよ。ヴァルト!」

「ああ」

 すでに臣下の立場を越えた会話だが、水を差すのもどうかとカタリーナは見過ごした。それにしてもライアンと自分が……。今では違うが、マリアを見つけたときは本当にただの護衛だったのだ。自分もフィーネペルルのように変わっていたのかしら、とカタリーナは頬杖して考え込んだのだった。


 

第十四話 不機嫌な婚約者

 

 執務の前にとまた、しつこく、フィーネペルルはヴァルターと共に母の元へ向かう。気にかかってしょうがないのだ。緊張した面持ちで母に声をかける。

「お母様。記憶を戻す薬というのは知ってる?」

「記憶を戻す薬……」

 しばし、頭の中を探っていた母、エレナは図書室へ来るように言う。

「確か、この辺に……」

 しばらく、本棚を探していたが、一冊の本を取り出す。

「この本は薬草の詳しい事が載っているはず。二人で読みなさい」

 本をぽん、とフィーネペルルに手渡すと出て行く。

「二人で、とは……。お母様はどうして……」

 訳がわからないと言ったフィーネペルルの頬にヴァルターがキスする。

「きっとこういう仲になったとわかったんだろう。デートしながらの読書だ」

「で、デートって」

 フィーネペルルは急に喉元が苦しくなる。頬は熱いし、先ほど唇が触れたところがさらに熱い。そんなフィーネペルルの唇にそっとヴァルターは唇を重ねる。本がばさり、と落ちる。フィーネペルルは知らず知らずのうちに手をヴァルターの首に絡めていた。

「ずっとこうしたかった……」

 ヴァルターの情熱的なキスにフィーネペルルは翻弄される。気づけばヴァルターのはだけた胸に顔を埋めていた。自分の胸元もヴァルターがキスをしてはだけている。この後に何かあるとヴァルターは言いたげだったが、あえて抑えたようだ。

 心臓がばくばくしている。

「ヴァルト。この先もあるの?」

「あるが、ここは図書室。見とがめられれば一生側にいられない。続きは婚礼の式の後で」

 

 婚礼!

 

 フィーネペルルは降ってわいた婚礼の文字に驚愕する。ずっと結婚などしないと思っていた。

 

 私に婚礼!

 

「なんだか信じられないようだね。私はフィーネを離すつもりはない。姉の事が終わればずっと、側にいる」

「でも。あなたは故国に帰らないと……」

「私のいる場所は君のいる場所だ」

 もう一度強くキスをしてヴァルターがフィーネペルルの落とした本を拾う。

「さぁ。読もう」

「読もうって……。よほど心臓に毛が生えているのね」

 自分はどうかしてしまったと思って気が気でならないのにヴァルターはもう平気な顔をしている。憎らしく思って頬をつねる。

「痛い。フィーネ」

 とがめる声を聞き流して隣に座って本のページをめくる。見知らぬ薬草の事だらけだ。多少は知識があったが、これでは役に立たない。

「執務は後回しね」

 ヴァルターから本を奪ってフィーネペルルはページをめくる速度を速める。そこへつんつんと肩を突かれる。

「今日中にこなさないといけない執務があるんじゃないのかい?」

 その言葉にすくっと立ち上がると本を抱える。

「ヴァルトはその心臓に見合った訓練でもしてれば?」

 どうして先ほど情熱的にキスをしていた婚約者がこんなに不機嫌なのかヴァルターは不思議でならない。

「私もわからないのよ。自分の感情が」

 そう言ってさっさと自分の執務室へ戻っていった。フィーネペルルのご機嫌をそこねた理由がわからない。頭を軽く振ってヴァルターは理性で抑えた男の性をなだめに剣を振るうため訓練場に向かった。


 

第十五話 記憶を戻す花

 

 しばらく、フィーネペルルは不機嫌で、散歩の中でもヴァルターは無視されて無言の散歩を続けていた。

「どうしたんい? フィーネ。私は何か悪いことを?」

「してないのが問題なのよ」

「してない?」

「いいわ。この話は終わりましょう。いい加減停戦して記憶を戻す薬を探さないと」

 すくっと泉から立ち上がってすたすた歩き出す。

「絶対に根に持っているな。あれは。なんだかわからんが……」

 一人ごちているとフィーネペルルが名を呼ぶ。

「来ないの?」

「行きます!」

 はじめて会ったときのような口調になりながら後を追う。エルマもエルフィもすでにフィーネペルルの後をついて行っている。

「薄情だな。お前達」

 ようやく追いついてフィーネペルルの横にちょこんとして座っている二匹に文句を言う。

「私の子供達だもの、当たり前ですわ」

「私との子は?」

 その問いには答えず、すっと執務室から本を取ってくると、図書室へ向かう。

 二人でページをめくる。時折二人の手が触れあう。その時、フィーネペルルには嬉しそうな微笑みが浮かんでいる。

「フィーネ……」

 ヴァルターが呼ぼうとしたとき、フィーネペルルはあるページに目が釘つけられた。

「ヴァルト! この花! 記憶を戻す薬になるって書いてあるわ。字がかすれて余り詳しく見えないけれど!」

 フィーネペルルの目が煌めいている。ヴァルターはその目を見たかったことに気づく。いつまでも見ていたかったが、ここは薬の方が先決だ。本をのぞき込む。

「ミスティック・ローズ……。薔薇、なのか?」

「そう……みたいね。どこで採れるのかしら?」

「アム……ネシア?」

「どこの国かしら?」

「確か、東の国だったかと思う。ここのエーデンローズの聖域にあるらしいね。そこは国で厳重な管理がされている。入れても、花を採取することは難しいかもしれない」

「そうなの……」

 フィーネペルルはがっかりしてうなだれる。

「フィーネ」

 頤に手を当てて顔を上げさせる。

「君は外交大使を兼ねられるほどの政治家だ。国王の親書を持って行ってみないか?」

「お父様の親書?」

「それからライアンとカテリーナ様も一緒に行こう。あの二人も良い感じだし。みんなで行こう」

「みんなで……?」

「でないと、君の貞操を守る自信がない」

 茶化すように言うヴァルターにフィーネペルルが拳を突っ込む。

「何を考えてるのよ!」

「正常な男なんでね。それに、一度も外へ出たことがないんだろう? カテリーナ様と一緒に成長してみないかい? 影ともう一度向き合う良い機会だ」

「影と向き合う……。いいわね。いい加減、この影とサヨナラしたいわ」

「サヨナラではないよ。受け入れるんだよ」

「いらないのに」

「それも全部、君だよ。私はその影ごと愛しているんだから」

「ヴァルト……」

 見つめ合うかと思ったが、ヴァルターが立ち上がる。

「さ。陛下に話しに行かないと」

「逃げたわね」

「何が?」

「もう! 停戦終わらせるわよ?」

「それは困る。花嫁に逃げられた花婿になる」

「もう、婚礼の式のことを考えているの?」

「何が婚礼だって?」

 二人で言い合ってると後ろからライアンが声をかける。

「ライアン様! びっくりさせないでください。そうだ。マリアの事でお話があるんですの。カタリーナと一緒に聞いて頂けないかしら?」

 フィーネペルルは優しい笑顔を見せている。それに密かに焼き餅を妬いている自分に呆れるヴァルターだ。

  

 私の影もまだまだあるのだな。フィーネに指導するどころじゃない。だが、二人きりで旅など到底できるはずもない。どうなるか、空恐ろしい。

 

「まずはライアンとカテリーナ様の許可もいるか。では手短に東屋で涼みながら話をしようか。フィーネ、カテリーナ様をお連れしてくれないか?」

「はいはい。何でもしますよ」

 また不機嫌な姫に戻ったフィーネペルルは素知らぬ顔でカタリーナを探しに行った。

                                   

 

影の騎士真珠の姫 後編



第十六話前編 企みの開始


 フィーネペルルはカタリーナを探しに出る。いつもならあの花壇に水をやっているはず。侍女の仕事を取らないで下さいと言われながらも、懲りずに水をやっているカタリーナが本当に姉のように思える。ヴァルトのお姉様もこんな感じなのかしら?

 その片鱗すら見受けられないマリアの事を思うと心が痛くなる。

「なぁに、朝からそんなに暗い顔をしてるの? 一緒に水やりする?」

「カタリーナ!」

 かけられた声に反射的に反応するとカタリーナの肩をむんずとつかむ。

「今すぐ、東屋に来て頂戴。どうしてもカタリーナの力が必要なの!!」

「私が?」

 不思議そうにするカタリーナにフィーネペルルは強引に引っ張りかけて止まった。

「フィーネ」

「水やり、私も半分するから半分の時間で東屋に行くわよ」

「え、ええ……」

 何のことやらか、と思うも楽しそうに水やりをするフィーネペルルを見て変わったわね、とヴァルターが来てからのことをカタリーナは思い返した。

 

 確かにフィーネペルルの方が要領を得ている。半分の時間より早く終わった水やりを見てカタリーナは思う。フィーネペルルは内向的かと思っていたが、案外本来、外向的なのかもしれない。執務が得意なのもそういう所からだろう。

 

 物思いをしているとまたむんずと手を捕まれる。

「用事は終わったわ。さ、行きましょ」

 ようやく咲いた花を愛でることもなく、フィーネペルルは一直線に東屋に行こうとする。

「ちょっと待って。東屋って何をするの? 相手間違えてない? 東屋で会うのはヴァルター様じゃないの?」

「ライアン様はあなたがいいと思うわよ」

「ライアンが? ……あ」

 言ってしまった。呼び捨てにする間柄などと知られぬまま進んでいた恋なのに。

「でしょ? 二人の力が必要なの!」

 フィーネペルルは東屋へずんずん進んでいく。

「お待たせ。カタリーナを連れてきたわよ。ライアン様は?」

「いるよ。フィーペルル様のお願いと聞いているけれど、それとカタリーナ様とどんな関係が?」

「ライアン。もうバレたわよ。今更取り繕ってもフィーネは承知しないわ」

「え」

 ライアンの動きが固まる。

「ほう。秘密の恋はここでも咲いていたのか。ライアン」

 ヴァルターがにやり、と獲物の標的を定めたかのように言う。

「ヴァルター。頼む。フィーネペルル様が王位を継承するまでは隠さないといけないんだ。見逃してくれ」

「とは、言っても……。フィーネはどうするか……」

「王位は継がないわよ。カテリーナの方が向いてるもの。優しいし、思いやりもあるし、何よりも前向きだわ」

「と、言ってるが? この話に乗ってフィーネのご機嫌を損ねないようにするためにはここで一計を企てる方が身のためだね」

 二人の培ってきた連携具合はすでにライアンとカタリーナ一枚上だった。こっちの方が王位継承に向いてるとライアンとカテリーナは言いたい。

「わかった」

「わかったわよ」

 一人の騎士と姫がまた騒動に巻き込まれようとしていた。



第十七話東屋での企み


「カタリーナ、ライアンの隣で良いから早く座って」

 フィーネペルルがせかせる。

「って、ここを誰かに見られたら……」

「どうせ、騎士と姫君のただの戯れにしか見えないわよ。本気なんて誰も考えていないわ」

 すぱっと切り落とすフィーネペルルにカタリーナは首をかしげる。

「フィーネってそんなにはっきり物事を言う性格だったかしら?」

「人は変わるのよ。いつだって。それより、あなたの侍女のマリアの事なの」

「マリアの?」

 カタリーナも気にかけていたらしく、身を乗り出す。

「私の不思議な力についてはライアン様も知ってますね?」

「ええ……。まぁ」

 この城では触れてならぬ禁忌だ。

「それで、マリアがヴァルトのお姉様って事がわかったの。でも、私の力では記憶は戻せない。そこで薬を探していたのはカタリーナも知ってるはずね。そこで、こんな花を知ったのよ」

 古びた本を取り出す。

「ここよ」

 しおりを挟んだページをフィーネペルルは開く。

「ミィスティクローズ? 記憶を取り戻す薬……になるの?」

 カタリーナの言葉にフィーネペルルはええ、と肯く。

「ここから東方のアムネシアという国のエーデンローズの聖域という洞窟の中にあるらしいの。私はこの花を採取して薬を作りたいのだけど、ヴァルトが二人きりで旅行は自信がないんですって」

 最後の方は不機嫌になりながら言う。もちろんヴァルターへ向かっての言葉だ。

「察するよ。ヴァルト」

 ラインハルトがぽん、と肩を叩く。

「だろう? なのに、このお転婆姫は二人きりで旅行したいと言うんだ。私としてはカタリーナ様にもフィーネにも良い機会だから二人をアムネシアに連れて行きたい。フィーネは執務経験者で、王位継承者第一位だ、親書を持って行けば、なんとか花の採取が可能になるかもしれない。私が聞き知っている限りはエーデンローズの聖域は一般人も入れない聖域。簡単に薬草を下さいというわけにはいかない。ライアンとカテリーナ様に助力をお願いしたいんだ」

「助力って? 何するの?」

 カタリーナが不思議そうに聞く。

「いてくれるだけで良い。それで十分間が持つはずだ。それに旅は二人の女性に良い経験になると思うのだ。特にフィーネは一度、この国から出た方がいい。新しい自分と向き合う時間が必要だ」

「なるほどね」

 フィーネペルルより若干耳年増のカタリーナはそれで納得する。

「フィーネにはおしゃべり相手も必要ね」

 ヴァルターだけでいいのに、という顔をフィーネペルルはしているが、その表情にライアンも肯く。

「確かに健全に旅を続けるためには我々が一緒の方がいいね。カタリーナもいいかい?」

「ええ。私も外の世界には興味があったの。フィーネさえ良ければお供させて」

「私は別に構わないけれど、ずっと宿屋という訳にはいかないわよ?」

「だから、だ」

 ヴァルターが強調するとフィーネペルルはつん、とそっぽを向く。

「ヴァルト。お前、フィーネペルル様に何を教えたんだ?」

「何も」

 二人同時に答える。だが、不機嫌は治らない。ラインハルトがため息をつく。

「この国中がうらやむ仲の姫と騎士は行き違いを起こしているようだね。カタリーナ、恋の手ほどきをしてあげて差し上げないか?」

「そうね。フィーネは機嫌を損ねたら後々まで響く人間だから」

「そうなのか?」

 ヴァルターが驚きの声を上げる。

「何をしくじったのかは知らないけれど、協力させてもらうわ。それに、四人もいれば花も手に入るわよ」

「どこからそんな自信がでるの?」

 フィーネペルルが不思議そうにカタリーナを見る。

「カンよ。女のね」

「そう……」

 そう言ってフィーネペルルは思考の泉に落ちていく。

「よし。人数は決まった。フィーネ、いや、、カタリーナ様から国王に親書のお願いをしてくれませんか? この思考の泉に入ったフィーネを元に戻す方法を私は知らないんでね。それにマリアの主君はカタリーナ様であるし……」

「いいわ。しばらくここにおいておきましょ。何を考えてるかはわからないけれど、こうなったフィーネを元に戻す方法は私も知らないわ。エルフィを番犬代わりにおきましょう」

「エルフィなら私が連れてこよう」

 ヴァルターが立ち上がるが、フィーネペルルはまったく見ない。何を考えているのか。いや、何かを捕らえて分析しているかのようだ。戻す方法はあるにはあるが、不機嫌をさらにこじらせることになる。フィーネペルルは何を感じ取っているのか。それはまだ三人にはわからぬ事だった。



第十八話 フィーネペルルの決意


「まぁ。エルフィ。いつからいたの?」

 夕陽が沈もうとする頃、やっとフィーネペルルは現実に返ってきた。

「フィーネ。戻ってきたかい?」

「ヴァルトもエルマも。みんな揃ってるの? ライアン様とカタリーナは?」

 今更それを言うか? とでも言う表情のヴァルターである。

「戻す方法は知っていたが、刺激になるんでね。エルフィを番犬代わりにおいていって戻ってきても、君はここで物思いにふけってるんだからね。驚きだよ」

「ああ。少し、マリアの意識が飛び込んできて追体験していたの」

「姉上の?!」

 ヴァルターが身を乗り出す。

「聞きたい?」

 久しぶりにフィーネペルルの瞳が煌めく。それが意味していることを言外に読み取ってヴァルターが頭を振る。

「まぁ、いいわ。追求しないで。難しいの。人に説明するのは。停戦協定も復活させないと。カタリーナとライアン様に気を遣わせたわね。親書は書いてもらえるの?」

「聞こえていたのかい?」

「ぼんやりとは、ね」

「レガシア帝国の脅威が近いわね。今は大人しいけれど、いずれ大きな事になるわ。その前にアムネシアには行くべきね」

「レガシア帝国、か? フィーネ、まさか……」

 ヴァルターは恐ろしい予感を感じる。

「後方支援に行くわ。反対しても決めていたもの。ヴァルトが国にいてもいなくても元々行く気だったわ。反対しても無駄よ。私の力を使える良い機会だもの。魔女狩りにあうかもしれないけれどね」

 少し皮肉な色を瞳に映してフィーネペルルは言う。

「だめだ! 君がいない世界なんて!」

 ヴァルターがフィーネペルルを強く抱きしめる。

「死ぬとは限らないわ。いつまでも自分の力を恐れていては影を受け入れられないわ。上手くやり過ごすから行かせて」

「フィーネ!」

 ヴァルターの苦しげな声が上がる。

「大丈夫。奥さんにしてくれるんでしょ? 上手くやるわ。アムネシアの旅でその事を考えるつもりよ。自分と向き合うの。あなたが教えてくれた事よ?」

「フィーネ……。私はそんな事のために影の受け入れ方を教えたわけじゃない。フィーネが生きやすいように、と」

「それがそういうことなの。隠して生きて行くよりその道を選びたいの。国民の全員に言うわけじゃないわ。役立ちたいのよ。私の生きる意味を見いだしたいの。わかって」

 そう言ってぎゅっとヴァルターにしがみつく。手が震えていた。怖いのだ。だけど、フィーネペルルは一歩を踏み出した。ヴァルターの手から飛び立とうとしていた。それはフィーネペルルが自分を受け入れ、影を恐れていた女性が一人の自立した女性へと変わろうとしていた事だった。いつか来ると思っていた。ヴァルターはそっとフィーネペルルの額に唇を押し当てる。

「少女だった君が大人の女性になる時間は余りにも早い。それだけ、君は聡明な女性なんだな。負けた。君が力を受け入れることに賛同する。だが、無理だけはしないでくれ。頼れるときは頼ってきて欲しい。私はそのためにここにいるのだから」

「じゃ、キスして」

「この、お姫様は……」

 二人ははじめて唇を交わしたときから数日ぶりにキスを交わしたのだった。



第十九話 死の覚悟


「フィーネ、カロリーネから聞いたが、アムネシアの方に行くのか?」

 翌日の朝食の席、父のゲオルグが聞く。

「ミスティック・ローズがどうしても必要なんです。マリアはヴァルトのお姉様なの。お願い、お父様。ヴァルトにお姉様を返してあげて。二人だけの姉弟なのよ」

「それで、ただ行って花をもらえると思うのか?」

 いつもと違う厳しめの声で父は言う。いいえ、とフィーネペルルは首を振る。

「自生しているエーデンローズの聖域はヴァルトの話では警備が厳しいと。お父様、お口添えをお願いできますか? そのためになら私は何でもします」

「フィーネ……」

 ため息をついて父、ゲオルクは見る。

「ヴァルターとの婚約を破棄しても、か?」

 フィーネペルルの顔色が青ざめた。が、口を開く。

「破棄、されてもです。その方があの方にはいいのかもしれない」

 最後は自分への言葉のようだった。流石にカテリーナが口を挟む。

「あれだけ愛し合ってる二人を引き裂くのはお願いですからおやめください。ヴァルター様がいるからこそ、フィーネはここまで変わることができたのです。陛下もその様子を喜んでいらっしゃったではないすか」

「では、そなたが王位を継ぐか?」

「陛下?」

 カタリーナが真意を測り損ねて聞く。

「ここまで変わることのできた、フィーネは王となる身。身分の釣り合った男を婿にせねばならない。ヴァルターがそれだけの男かは私にはまだわからぬ。ただ、アムネシアへの旅でその意思を確かめさせてもらおう。二人に浮ついた恋で間違いを起こされては困る。将来、本当に添い遂げる意思を示してもらおう。どういうことか、わかるね。フィーネ」

 カロリーネは不思議そうだったが、フィーネペルルは肯く。

「はい。浮ついた恋に戯れることはありませんわ。それにミスティック・ローズの棘には毒があるとも。そして女性にしか手にできないこともわかっております。ヴァルターはお姉様と幸せに暮らしますわ。きっと」

 ヴァルトは見落としていたが、フィーネペルルはミスティック・ローズの説明書きをしっかりと頭に入れていた。マリアが姉とわかってからは特に思っていたことだ。

 死を覚悟したフィーネペルルの言葉にカタリーナと母エレナが真っ青になる。

「フィーネ」

「お願い。ヴァルトには内緒にしていて。今は、信じていて。きっといい方に転がると。ヴァルトのお姉様はレガシア帝国の男に狙われております。それを回避させるにはヴァルトをマリアの元へ返す事が必要です。私の身はどうなろうと構いません。レガシア帝国が襲ってくれば後方支援にも行くつもりでした。命を落とさずに済めば」

 一旦、言葉を切って父を見つめる。

「決めたのです。愛する人達の役に立ちたいと。それがこの力を持って生まれた宿命なのです」

 ゲオルグも顔色が青ざめていた。娘はすでに命の覚悟をしていた。何通りの運命にも立ち向かおうとしていた。普通に生きていければよい、と思っていたが、この場でこの娘以外に国王の座を譲る気にはならない。

「父からはこれしか言わぬ。決して死ぬでない。生きて戻れ」

「はい」

 フィーネペルルは泣き笑いの顔で肯いた。



第二十話 旅立ち


「では、この親書をアムネシアの国王に」

「ありがとうございます。お父様」

 フィーネペルルは丁寧に手紙を受け取った。それから父が何かを言おうとしたその矢先、封じるように言う。

「大丈夫ですわ。信じてください」

 強い口調の娘に父はもう何も言えなかった。ここまで強い姫だったろうか。ふと、父は思う。母、エレナは涙を浮かべている。

「泣かないで。お母様。ほんのちょっとの旅ですわ」

「でも……」

 死なないで頂戴、とは言えなかった。ヴァルターが知れば、即刻取りやめていただろう。それはフィーネペルルの望みではない。娘の望みなら叶えさせたかった。娘は困難を乗り越えてくる。そうとも思っていた。母のカンだった。この大きく成長した娘ならば大丈夫だと信じていた。ただ。怖い。ここまで美しく育った娘が遠い所に行くことは。死を覚悟してまで行くなどとは。

「フィーネ?」

 家族の尋常でない対応ぶりにヴァルターは不審がる。フィーネペルルはそのヴァルターに馬に乗せてもらうよう頼む。

「わかった。カタリーナ様はライアンの馬に」

「ええ」

 カタリーナの顔も強張っていた。だが、それを上手く隠すと馬に乗る。

 

 四人は旅立った。

 

 戦で荒れ果てた土地を馬で通る。荒廃した街のあとが随所に見られた。

「まだ、領地を終えてないのに、こんなに荒れてるなんて」

 フィーネペルルの心は痛かった。何も知らず、あの城と泉の間で過ごしていた自分が嫌だった。いつも自分の顔とにらめっこするだけの身。しかし、ヴァルターと出会えた。この奇跡には感謝したかった。ふいに、フィーネペルルの視界がぼやける。涙を隠すように一人言を言う。

「あら。目にほこりが入ってしまったわ。旅も楽ではないわね」

 ヴァルターが布きれを渡す。

「これで、拭けば良い。綺麗な布だ」

「用意がいいのね」

「旅慣れているからね。こうも、荒廃している土地ばかりだと野宿になる。ライアン! 急ぐぞ!」

 そう言って馬を走らせ始める。景色がどんどん変わっていく。だが、目で追う程具体的には見えない。それほど早く走らせていた。

 どれぐらい走っていただろうか。いつの間にかフィーネペルルはヴァルターの胸の中で居眠りをしていた。ふっと目を覚ますとカタリーナがライアンに馬から下ろしてもらうところだった。

「この辺に唯一あるオアシスだ。水分を補給しよう。フィーネ」

 ヴァルターが両手を広げる。フィーネペルルはその腕の中に勢いよく飛び込んだ。がっしりとした胸に抱きしめられる。このまま、と思うが、軽率な真似はできない。なにしろミスティック・ローズを手に入れてないのだから。

「ヴァルト。オアシスでは何をするの?」

「馬を駆けさせてきたから水を飲ませて休ませる。そうすれば乗り潰すことはない。フィーネもここのオアシスの水を飲むと良い。相当美味しい湧水だ」

 フィーネペルルはしゃがみ込んで水辺に近づく。そして手を入れる。

「冷たい。綺麗な水ね。この辺りの生き物の命の水ね」

「そう。我々にとっても命の水だ。オアシスではみな平等だ。どんな国の勢力も干渉してはならないという昔からの慣習がある。レガシア帝国はそれをも無視しているが、この辺までは勢力外だ」

「そう」

 ため息をつくようにフィーネペルルは言う。レガシアと聞くだけであの恐ろしい追体験を思い出す。あのような思いをもうマリアにはさせられない。ヴァルトと幸せに暮らして欲しい。物思いにふけるフィーネペルルの頬に冷たい布が当てられた。きゃ、とフィーネペルルは言う。

「これでほてった顔を冷やすと良い。日焼けは女性に敵だからね」

「ご親切にどうもありがとう。日焼けは覚悟してたわよ。でも、ヴァルトの気持ちはありがたく受け取るわ」

 そう言って布で首元などを冷やし始めた。それを見ていたヴァルターは視線をそらしてライアンと打ち合わせを始めたのだった。側にヴァルターがいない事がこれほど寂しいとは思わなかった。けれど、一度覚悟したこと。フィーネペルルはヴァルターに離れたくないと言った自分の言葉を封印するしかなかった。



第二十一話 愛の贈り物


 何日かは街の宿屋に泊まれた。カタリーナとはしゃいで隣の部屋にいたヴァルター達に壁から叱られた事もあった。フィーネペルルとカタリーナはこの自由な旅が面白かった。城での堅苦しい行儀作法もここでは逆効果。素の女性として振る舞えた。いや、幼くなってはしゃいだ。周りはなんとうるさい客かとみているが、本人達は意に介することはなかった。ヴァルターとライアンだけにはこってりと叱られた。が、それもフィーネペルルにはいい思い出になった。なった、というほどアムネシアが近づくたびにそれを感じていた。自分はアムネシアで死ぬのでは。そんな感覚が強まっていた。ヴァルターを悲しませたくなかったが、ゾフィの記憶を戻す事、それが、フィーネペルルの最初で最後の愛の贈り物だった。

 

 途中、何泊か野宿をしたが、フィーネペルルとカタリーナは火の番をヴァルター達に任せることとなり、ぐっすり眠っていた。その寝顔に優しい視線を投げかけていた男性達である。

 

 やがて、風景がすこし変わってきた。東方にあるというアムネシア国に近づけば近づくほど自分の国の文化とは違うものに接するようになった。フィーネペルルは街の中のお土産屋を何軒も見ては楽しんでいた。ある雑貨屋に髪に飾る簪があった。長く細い金具に花が何連かついている。フィーネペルルはそれに魅せられた。手に取ってみては挿してみる。亜麻色の髪には似合わない。そう思ってため息と着いて鏡を見ると簪を元に戻した。すると、すっと、違う簪が挿された。

「ヴァルト!」

「これなら君の髪の毛の色にも合う。記念に贈らせてくれ。愛する人への最初の贈り物だ」

「ヴァルト……」

 フィーネペルルは泣きそうになった。最初で最後の贈り物。もうすぐこの姿を見ることもできなくなる。そう思うと涙があふれそうだった。

「フィーネ?」

 フィーネペルルは慌てて涙を隠すと後ろを向いて簪を挿して、とねだる。何か違うものを感じていたヴァルターだったが、珍しくねだるフィーネペルルに負けて、簪を挿す。

 その自分の姿を鏡に映していろいろな向きで見つめる。もう、鏡の自分に悪態を言うことはなかった。そこにはありのままの自分がいた。

 

 不思議ね。あんなに嫌だったのに、この姿を愛おしいと思えるなんて。

 

 フィーネペルルは心の中で回想する。はじめて出会った森の泉。執務でほったらかしにしながらも護衛を続けてくれていた日々。そして、優しい声で家族の話をしてくれた。自分は泉に映る自分の姿を見ながらずっと聞いていた。そしてヴァルターの姉のことがわかってお互いに離れたくないと言い合って抱き合ったあの日。そして、唇を交わしたあの熱い日。すべてがフィーネペルルの宝物になっていた。

 

 振り向くとフィーネペルルは背伸びをしてヴァルターに軽いキスをした。

「フィーネ!」

 とがめる声にフィーネペルルの明るい声がかかる。

「お礼よ! カタリーナ! あっちの食べ歩きのお菓子を見ましょう!」

 装飾品を見ていたカタリーナの手を引っ張って店をでる。

「こら! おいていくな。すまない。主人。勘定はこれで」

「毎度ありー」

 商人の明るい声を背にヴァルターとライアンは二人のお転婆姫を追いかける。

「フィーネ!」

「カタリーナ!」

 男二人が追いついた頃には少女に戻った姫達はお菓子を食べていた。

「路銀は私が持っていたはずだが?」

 鬼の形相で追求するヴァルターにフィーネペルルは小銭の入った袋を見せる。

「お母様がお小遣いをくださったの。これで美味しいものをたくさん食べなさいって」

「妃殿下も甘すぎる」

 ため息をつくヴァルターにフィーネペルルはいいじゃないの、と言う。

「殿方では買えないものもあるのよ」

「例えば?」

「下着、とか」

 男どもは沈黙する。それは確かに買えない。

「わかった。だからといって無駄遣いはナシだ。もう、宿屋に行く時間だ」

 えー、と少女に戻った姫は文句を言う。

「もうすぐアムネシア国に入る。行儀作法のお時間だ」

 さらにえー、の声が大きくなる。

「成長どころか、退行してるぞ。ヴァルト」

 ライアンがため息をつきながら言う。

「二人には楽しい旅だったようだな」

「二人は違うの?」

「秘密、だ。男にも事情があるのだ。さぁ、行くぞ」

 ヴァルターがフィーネペルルの手を引く。ライアンもカタリーナの手を引く。二人のお転婆姫は宿屋に放り込まれて堅苦しい行儀作法をマスターしなければならなかった。



第二十二話 花咲き誇るアムネシア国


 最後の宿からほどなくして、一際明るい様々な色であふれた、国境が見えてきた。もう、アムネシアに着くのだ。フィーネペルルは旅の終わりを残念に思うも、ヴァルターに秘密を知られてはいけないと、肝に銘じる。女性しかエーデンローズの聖域に行けないと言うことは知られても良いが、ミスティック・ローズの棘の毒のことは絶対に知らせてはいけなかった。猛毒なのかどうかは記載されていなかった。ただ、「取扱注意」という印が付いていた。それはより詳しい花の本にてフィーネペルルだけが知り得た事だった。カタリーナは聞いているが言わないで、とフィーネペルルは何度も釘をさしていた。カタリーナもマリアの記憶のことを考えると、強くダメ、とは言えなかった。カテリーナにとってもこのアムネシアの任務は賭けに近かった。

 関所を越えて、アムネシアに入る。その花々の美しさにフィーネペルルは息をのんだ。

 

 こんな美しい国で死ねたら本望だわ。

 

 改めて決意を固める。それほど、アムネシアの至る所に花があり、人々は花の手入れを楽しんでいた。城に近づくと四人は馬を下りた。フィーネペルルが国を代表して親書を預かってきたと言って身分証明となるものを見せた。衛兵はあっという間に頭を下げ、謁見の間にすんなりと行く事ができた。

 

 謁見のまでしばらく待っているとアムネシア国王が入ってきた。特訓通りにアムネシア国流の礼儀作法で最大の敬意を表す。

「フィーネペルル様。此度は国王の親書をよくぞ持ってこられた。西の国は未だ、争いに満ちていると聞く。危険な旅をすることとなった理由を国王自らお書きだった。記憶を戻すミスティック・ローズが必要らしいの。ミスティック・ローズのあるエーデンローズの聖域の規則は知っておられるか?」

「はい。未婚の男女しか入る事が許されぬ場所と聞いております」

 フィーネペルルが淡々と国王と話を進めていく。ヴァルター達には新しい情報ばかりだ。

「今、ミスティック・ローズはちょうど開花の時期。エーデンローズの聖域に入る事を許可する。その愛にあふれる理由で長旅を成された今夜はゆっくり休まれよ。護衛の騎士達にも言っておく。この今のやりとりは今限りで忘れてもらうことになる。あくまでも、親書を届けに来た姫と騎士達ということにしておくように。みだりに聖域に入ることは許されぬ事なのでな」

「はい」

 跪いたヴァルター達はただ、了解の意思を示すしかできなかった。国王が立ち去ってフィーネペルルが立ち上がってヴァルター達を見た。哀しげな目だった。

「黙っていてごめんなさい。ミスティック・ローズの事は禁忌の事なの。だから、ヴァルトのお姉様のために私が全部仕組んだの。だますつもりはなかったのだけど、知らせることができなかったの。ごめんなさい」

 そう言って出ていこうとする。そのフィーネペルルをカタリーナが抱きしめた。

「一人ですべてを抱え込まないで。私達はあなたのためにいるのよ」

 カタリーナ、と言ってしばらく見つめる。

「ミスティック・ローズの採取、手伝ってくれる? 持ち出す人が必要だわ」

「フィーネ?」

 花の採取に二人も女性が必要な理由がヴァルターとライアンにはわからなかった。一人で行って帰ってこれるはずだ、と。ただ、中が未知の所だから一人では心細いのか、と推察することしかできなかった。その割には女性二人は既知となっている事柄があるように思えた。

「今日は東方の国の食事がでるらしいわ。楽しみにしましょ」

 そう言ってカタリーナの中からするり、と抜け出すと謁見の間を出て行った。ヴァルターには悪い予感がじわじわと心の中で沸きつつあった。



第二十三話 ミスティック・ローズの試練


 翌日、国王の代わりとなる貴族の男性が、フィーネペルル達をエーデンローズの聖域へと案内する。

 目の前には鮮やかな花と水晶が点在する聖域があった。隣に神殿らしき建物がある。あまりにも美しい景色にフィーネペルル達は息をのんだ。

「ここからはあの神殿の神官達に任せます。どうか、ご幸運を」

「ありがとうございます」

 フィーネペルルは会釈した男性に会釈を返した。

「フィーネペルル様方でございましょうか?」

 白髭を蓄えた身分の高そうな神官が目の前にいた。前触れの気配もなく現れた神官に皆、驚く。

「神官達はここの花々に気配を悟られないよう訓練されております」

 驚いたフィーネペルルに神官は不思議な事を言う。

「気配?」

「その通りです。ここの花たちは不思議な力を持っております。ですが、人前になると花を閉じてしまうのです。ですから、ここの花を採取して薬を作る神殿の者達は皆、気配を消す訓練をするのです」

「では、ミスティック・ローズも?」

 カテリーナが安堵したように問いかける。

「はい。ですが、一途な乙女の願いには花々は負けます。王からそれほど一途になってこの遠い国にやってこられたと、お聞きしています。取れるか取れないかは五分五分ですね」

 そう、と逆に今度はフィーネペルルが安堵して息を吐く。この従姉妹同士の姫の態度の不可解さにラインハルトもヴァルターも不思議に思うが、問いかけさせられないほどの神聖な空気をフィーネペルルは纏っていた。まるで女神のような一途な乙女の視線を二人に向けていた。

「行ってくるわ。ヴァルター。ライアン。さぁ、カタリーナ」

「ええ」

 伏し目がちにカタリーナは答えると神官と一緒に聖域に入っていった。

 

 洞窟の中には様々な水晶の柱があった。それを縫うように花々は咲いている。だが、花々は近づくとすぐに花弁を閉じてしまった。それにカタリーナは一縷の望みを託した。ミスティック・ローズが開花せず、棘の毒でフィーネペルルが死に至らないように、と。フィーネペルルはそんなカタリーナの心にも気づいていたが、考えないようにした。ただ、咲いていますように、と願いながら歩く。どれだけ歩いただろうか、周りは薄暗く、ほのかに光を放つ花があった。

「あれがミスティック・ローズ。記憶の妙薬を作ることのできる花です」

 そっと神官が言う。

「お願い。大人しく薬になって」

 細い声で呟くとフィーネペルルが高所に咲いているミスティック・ローズに近づく。花は閉じない。カタリーナは息を飲んで見つめていた。

「いい子ね。いい子ね」

 まるでエルフィに語りかけるように花に言う。そして、手折った。その時、棘がフィーネペルルを刺した。

「痛っ」

「フィーネ!」

「大したことはないわ。意識も何もかもあるわ。毒なんて少しなのよ」

 そう言って戻ってきてカテリーナに花を渡す。事前に神官がカテリーナに棘が挿さないように布を広げておいてくれていた。

「ミスティック・ローズのは試すのです。棘に恐れを成すかどうか。手に渡った今、ミスティック・ローズの意思はあなた方に従います。さぁ、神殿で記憶の妙薬を作りましょう」

 しかしそう言うも、神官は動かない。

「フィーネペルル様、どれほど刺さったかおわかりですか?」

「大したことはないわ。ただ軽く触れただけよ」

 フィーネペルルは意外そうに一蹴する。しかし、神官は真顔だ。次の瞬間、フィーネペルルはくずおれるように倒れた。

「フィーネ!! 毒が!」

「早く神殿に戻りましょう。中和薬があります。あとはこの方の意思の力のみ」

 神官が小さな笛を吹くと入り口で待っていた神官達がやって来てフィーネペルルを運び出す。

「フィーネ!」

 青白い顔で唇が紫色に変わりつつあるフィーネペルルを待っていたヴァルターは悲痛な声で名を呼んだ。様々な経験をしてきたヴァルターには今、フィーネペルルは毒にさらされているとすぐに察知できた。

「ミスティック・ローズの棘には毒があるの。フィーネが絶対にあなた達に言わないで、って必死だったの。やっぱり、止めるべきだったんだわ」

 ぽろぽろ泣き出すカタリーナをライアンは抱きしめる。ヴァルターは運ばれていくフィーネペルルの後を追って神殿に入っていったのだった。



第二十四話 死と再生の奇跡


 ミスティック・ローズの毒はすでにフィーネペルルの全身に回っていた。それでも中和剤を飲ませると少し唇の色が回復していた。あとは本人の意思だけ、と言われたヴァルターは何日もフィーネペルルの側に座って手を握っていた。

「どうして、君はそこまでしてくれたんだ。私には記憶がなくても姉には変わりはない。記憶のないままで生活しても良かったのに……」

 力のないフィーネペルルの手を握り、唇をつける。まるで自分の命を送れればと言うように。

 どれだけそうしていたか、フィーネペルルがかすかに体を身じろがせた。

「フィーネ!?」

 部屋の外で同じように見守っていたカタリーナとライアンに言う。

「フィーネが勝った。もう少しで目覚める!」

 部屋の外が慌ただしくなる。そしてヴァルターが部屋へ戻ると不機嫌そうなフィーネペルルが身を起こしていた。

「目覚めたときにあなたがいないのはどうしてかしら?」

 頬を膨らませて言うフィーネペルルの頬にヴァルターはキスをすると強く抱きしめる。

「フィーネ! 生き返ったんだね」

「元々死んでないわ」

 相変わらず、構っていないと不機嫌なフィーネペルルになっていた。それを嬉しく思うヴァルターである。

「ヴァルト、泣いているの?」

「いや、目から水が出ているだけだ」

 そう言って顔を見るとフィーネペルルは不思議な顔をしていた。それから近くにある果物ナイフを手に取る。自分の手を切りつけようとして慌ててヴァルターが取り上げる。

「何をしているんだ!」

「ないのよ!」

「ないって何が」

 今度はヴァルターが不機嫌になる番だった。

「力を感じないのよ。せっかく後方支援に行こうと思っていたのに!」

 フィーネペルルのその言葉をやっと理解したヴァルターはフィーネペルルをまた抱きしめる。ヴァルターの口に微笑みが浮かぶ。

「変わった姫だね。あると困ると言うし、なかったら困ると言うし……。君は全ての治癒能力を使ってこの世界に戻ってきたんだ。死んでまた生き返ったんだよ。影をすべて受け入れて影が君の中に入っていたんだ。もう、力におびえて暮らすこともないんだよ」

「でも! 後方支援が!」

「後方支援なんて出なくて良い。出てもいろいろな役割がある。兵士達の胃袋を満たす料理人の仕事も武器を直す職人もいるんだ。治癒だけが後方支援じゃない。それに、君は母君からけが人を治療する方法を教えられているはずだ。それだけでも戦士達には十分なんだよ」

「ヴァルト……。私はここで死ぬとずっと思っていたの。だから、あの簪とっても嬉しかった。最初で最後の贈り物だったから」

「簪ぐらいならいくらでも買う! どうして君はそんなに純粋なんだ。人を救おうとするんだ」

 私は、とフィーネペルルは言う。

「あなたにもらった無償の愛情をそのまま返しただけよ。ずっと見守ってくれていたあなたへの贈り物だと思っていたの。でも、違ったようね。カタリーナとライアンが鬼の形相だわ」

 ヴァルターの肩越しに見るもう一組の恋人達がお説教をせんとして部屋の入り口に立っている。

「ライアン、カタリーナ様、フィーネを許してやってくれ。フィーネは私の姉を助けることだけが私の幸せだと思っていたんだ。それにあの影ももうフィーネは受け止めた。そのためだけに私はフィーネの側にいて恋をした。私からきつく言うから今日は許してやってくれ」

 恋人にとことん甘いヴァルターの嘆願にしかたないわね、とカタリーナが言う。

「フィーネはヴァルター様しか目に入っていないもの。さぁ。しばらくこの国に逗留した後はまた過酷な旅よ。今のうちに幸せを堪能しておきなさいね」

「カタリーナ」

 部屋から出て行こうとしたカタリーナをライアンが追いかける。

「ライアン様も大変ね」

「君が一番厄介なんだ!」

 そう言って赤くなっているフィーネペルルの鼻をつまむ。それを振り払うとフィーネペルルはヴァルターの首に手を絡めてキスをねだる。あいかわらずのお転婆ぶりにヴァルターは文句を言いつつも久しぶりのキスを味わったのだった。


第二十五話 帰国の喜び 


 帰りの道はあっという間だった。体調が万全でないフィーネペルルを思ってヴァルターとライアンは最短距離で移動したのだ。

「こんな近道があるなら、どうして最初から使わなかったの?」

 フィーネペルルが不機嫌そうに言う。まるでまた少女に戻ったようだ。

「この道は結構危ないんだ。それに君たちは旅を通して成長する目的もあった。目的に地に一直線という訳にはいかなかったんだよ」

「もう。成長なんてないわ。ただの旅行だったもの」

 そう言って不機嫌そうに言うと首に手を絡める。

「こら。間違いは犯してはいけないんだろう? 男を試すんじゃない」

「わかったわよ」

 腕を解くと前を見る。その目は不安げだった。何か嫌な予感がする。こういう予感は大抵当たるのだ。それを紛らわそうと恋人と戯れている。自分にはもう異端の力はない。何かが起きればどうすればいいかわからない。

 そんな旅を続けて、見慣れたエルフリア国の国境が見えてきた。見慣れたと言うよりは旅に出る折に振り返って見ていた国境を覚えていたのだ。

「カタリーナ、帰ってこれたわね」

 隣の馬のカタリーナに言う。

「ええ。あなたが無事で陛下もお喜びだわ」

「だと、いいけれど。ヴァルトが告げ口をしそうだわ」

「そのつもりだ。こんなお転婆に誰が育てたんだ?」

「あなたよ。ヴァルト」

「フィーネ!」

 恋人の痴話げんかにカタリーナとライアンが笑う。可愛いままごとに見えるらしい。

「カタリーナは城に帰れば婚礼の式ね」

 何歩も先の恋の道を歩いているカタリーナにフィーネペルルが言う。カタリーナは寝耳に水だ。

「それはフィーネの即位の後じゃ……」

「何言ってるの。おめでたいことは早くするものよ」

「じゃぁ、フィーネも……」

「私はまだまだ、よ。何もないもの」

「何があったって言うのよー!」

 カタリーナは叫び、ライアンは顔を赤くする。

「図星、ね」

「図星じゃないわよー!」

「ほら。もう、お父様達がいるわ。ただいまー。お父様」

 フィーネペルルが手を振る。フィーネペルルの元気な姿を見て両親がほっとしてるように見えた。

 近づくと危なげにも馬から飛び降り、両親へ駆け寄る。父の胸に飛び込む。

「ただいま。お父様。無事戻りました」

「ああ。それはよかった。ヴァルターに叱られはしなかったか?」

「え?」

「今も動いている馬から飛び降りて鬼の形相だ」

 振り返って、あ、とフィーネペルルは言う。

「フィーネ!」

「ごめんなさい。ヴァルト。嬉しくて……」

「いい。さぁ、体調が万全でない。早くお休み」

「まだ、大丈夫よ。早く、マリアに薬を」

「その前にアムネシア国からの親書を」

「あ」

「あ、しか言わなぬな」

「お父様!」

 揚げ足を取られてフィーネペルルが文句を言う。

「今、この地帯は緩衝地域だが、レガシア帝国の脅威が近づいている。今、帰ってこれて幸いだ。さぁ、城へ行ってマリアに飲ませなさい。猶予はない」

「レガシア帝国が……。急ぎましょう。ヴァルト」

「わかった。だが、馬には一人で乗り降りしないこと」

「はぁい」

「フィーネ!」

「わかってるわよ。早くマリアの元へ」

「ああ」

 フィーネペルルを馬に乗せると城へと急いだ。


第二十六話ゾフィーの記憶


「姉上!」

「マリア!」

 二人でカタリーナの部屋の方に急ぐ。

「はい?」

 のほほん、とマリアは仕事をしていた。

「いいからこっちへ」

 乱暴な言葉になりながらマリアをカタリーナの部屋に連れて行くフィーネペルルである。嫌な予感が的中する前に記憶を呼び戻したかった。

「はい。これ飲んで」

 ヴァルターがコップに水を入れ、フィーネペルルは薬を出す。絶妙な連携だ。段取りの良さに驚きつつ、なんの事かわからないマリアである。

「この薬は『記憶の妙薬』という薬よ。記憶を戻す事ができるの。信じがたいけれど、私達が命がけで持ってきた薬よ」

「フィーネがね」

「ヴァルト!」

「はいはい。先に種明かしをするとマリアは私の姉上なんだ。だけど、フィーネは記憶がないままでもいいのに、命を賭けてこの薬を手に入れた。できれば飲んで記憶を戻して欲しい。姉と弟としてもう一度会いたいのだ」

「ヴァルター様……」

 必死なフィーネペルルとヴァルターに戸惑うマリアだが、コップを持つ。

「はい、この丸薬をのんで。味の保証はないのだけど。誰も飲んだことがないから」

「はい」

 マリアはじっと掌の丸薬を見ると一気に飲む。

「どう?」

「思い出したか?」

「え、と。……あ、頭痛が」

「大丈夫?」

 フィーネペルルが肩に手を回して背中を撫でる。しばらく頭痛に悩まされていたが、すっと表情が変わった。

「姉上?」

「ヴァ……ヴァルト? 私は……あ」

「大丈夫よ。ここはエルフリア国。レガシア帝国ではないわ。今、危ないようだけど。怖かったわね。連れ去られそうになるだなんて……」

「どうして、それを……」

「あなたの体験を以前、追体験したことがあるの。もうその力はないのだけど。今度こそ、私とヴァルターで守ってみせるわ」

 そう言って不安そうなマリア、いや、ゾフィーを抱きしめる。

「フィーネペルル様、そのような事」

「フィーネでいいわ。ヴァルトのお姉様だもの。私の姉だわ」

 そして城が急に慌ただしくなってきた。

「フィーネ! 早くこちらへ! レガシア帝国の急襲よ」

 後から来たカタリーナが手を引く。

「マリアを、ゾフィーお姉様をおいてはいけないわ」

 ゾフィーを抱えながらフィーネペルルは言う。

 

 あんな思いをもうさせたくない。

 きっとマリアとわかったのだ。

 レガシア帝国の皇帝は一度狙った女性は離さないと聞いている。国の国交を脅かす存在として手当たり次第に女性をさらっていると噂が流れてきている。

 エルフリア王国の領土とゾフィーを狙ってきたんだわ。

 

 嫌な予感が当たった。

 

 フィーネペルルはヴァルターと視線を交わすとカタリーナの手によって避難しはじめ、ヴァルターは騎士団の元へと急いだのだった。



第二十七話 狙われたゾフィー


「早く、こちらへ!」

「お母様!」

 細くひんやりとした地下道に行く。王族だけが使う避難路だ。

「ゾフィーなのね。あなたが」

「はい。でも、私はする仕事が……」

 戸惑うゾフィにフィーネペルルが抱きつく。

「あなたを狙って来たの。いないとなればすぐに去って行くわ」

「フィーネペルル様……」

 ゾフィーのおびえた表情にカタリーナも励ますように肩に手を回す。

「エルフリア国の騎士団は無敵よ。大丈夫」

 避難路を抜けた後に用意されている小さな屋敷までもう少しだ。

「ここは民家とみられるような屋敷よ。そうそう気づかないわ」

 エレナが言って中に入ろうとしたが、入り口で伏兵がいた。先回りされていた。ゾフィーの記憶の中にいた男、ルドルフ、だ。

「やはりゾフィーか。何年もたぶらかしてくれたな。お前だけでも連れて帰る。この城はもう終わりだ。エルフリア国は滅亡する。その有様をとくと見るがよい」

「きゃ」

「フィーネペルル様!」

 ゾフィーを抱えていたフィーネペルルからゾフィを奪い取るとルドルフがそのまま走って去る。

「おば様! 城が!」

「煙が上がっているわね」

「お母様。ゾフィーが。ヴァルトになんと言えば……」

「大丈夫よ。ヴァルターと切り込んでいきなさい」

 母エレナはしっかりという。後方支援に行けとは言わない。むしろ、ヴァルターと行けと言う。

「あなたもそうしたいでしょう? 折角助けたゾフィーをそのままにするよりはあなたが助けたいのでしょう?」

「でも、私の力は」

「あなたの新しい力は勇気。何か力が目覚めるとも限らないわ。行ってきなさい。城は大丈夫。簡単に燃えないのよ。私とカテリーナはけが人を治療します。あなたは大事な姉を救いなさい」

「お母様! ありがとう!!」

 一瞬抱きつくとまた元来た道を戻る。集まった騎士団長達は国王の下で作戦を練っていた。

「お父様! ヴァルトはどこ? ゾフィーがさらわれたの。先回りされて連れ去れていったわ。ヴァルトと一緒に助けないと!」

「ハインリヒ。ヴァルターを呼べ」

「陛下?」

 一介の姫が戦場に出るとは、と皆、懐疑的だ。

「『影の騎士との糸を切ってはならない』。これが星読みだ。フィーネペルルを救ったのは影の騎士ヴァルター。フィーネ、二人でこの困難を乗り越えなさい。普通の幸せで良いとは思っていたが、それを私は改める。皆の者に言っておく。このフィーネペルルと影の騎士ヴァルターを次期王位継承者と認める。異議のある者は?」

 国王ゲオルグがぐるりと見回す。

「異議はないな。フィーネ。この剣を持ちなさい。王の印だ。そなたは女王となりこの国を治める。その証だ。二人で行ってきなさい。ヴァルター、頼んだ」

「はい。フィーネ」

 いつの間にか来ていたヴァルターが頭を下げそしてフィーネペルルの前に膝ずく。

「最愛なる女王にして愛しい人よ。永遠の忠誠と愛を誓う。さぁ、行こう。この争いに終止符を打つ」

「ええ」

 二人は広間から出て行く。多くの騎士団長が忠誠の姿を取って見送っていた。



第二十八話 ゾフィーを追って


「しっかり馬のたてがみにつかまっておくんだ!」

 馬を走らせながらヴァルターは言う。フィーネペルルは必死になってたてがみをつかむ。乗り慣れない馬だが、旅で相当慣れた。一気に近くで幕を張っていたレガシア帝国の本陣に駆け込む。正面突破だ。矢が降り注ぎ、歩兵が足下にまとわりつく。それをヴァルターは一蹴して陣に飛び込んで行く。

「姉上!」

「ゾフィー!」

 しかし、本陣の中には誰もいなかった。

「どういうこと?」

 フィーネペルルがつぶやく。途端、ゾフィーの悲鳴が聞こえたような気がした。

「ゾフィー! どこにいるの?!」

 フィーネペルルは辺りを見回しながら声を出す。ぱっとゾフィーの気配が感じられた。その方向にたどっていく。

「フィーネ。一人では危ない!」

 ヴァルターが腕をつかむ。

「こっちなの! ゾフィーの危険が!」

「わかった。丸腰では危ないんだ。その剣は武器ではない。象徴だ。馬で後を追う。フィーネは気配が読めるんだね」

「ええ。ゾフィーだけは」

「では。教えてくれ」

「こっちよ」

 二人はまた敵陣の中を駆け巡ることとなった。

 

 いつしか、二人は暗い城のような建物の中にいた。

「砦だ。エルフリア国はそっと狙われていたらしい。旅の途中でやられたな」

 馬を下りてゾフィーの気配を必死で追う。

「こっちよ」

 階段を上がり始めた頃ゾフィーの声が上がった。

「フィーネ一気に上がるぞ」

 ヴァルターはフィーネペルルを抱きかかえると階段を一気に上る。

「あの奥の部屋だわ!」

 フィーネペルルも降りて二人で奥の部屋に突っ込む。そこにはゾフィーの肌がはだけ、今にも野蛮な行為をしようとする男がいた。

「姉上!」

 ヴァルターが男に体当たりしてルドルフを引き剥がす。

「生意気な。この女は俺のモノだ。俺が王妃にしてやるというのに相変わらず拒否しやがって。弟ごと殺してやる」

 嫉妬深いねとりとした闇を持ったルドルフが、剣を抜く。ヴァルターが男と対峙している間にフィーネペルルはゾフィーを部屋の端に連れて行く。ゾフィーは震えていた。

「怖かったわね。もう大丈夫よ。今、外に出ると他の敵に会うとも限らないから、ここで見守りましょう。あの男がレガシア帝国の王ね?」

「どうしてそれを……」

「感じるのよ。なんとなく。あの陰湿な気配から感じるのよ。残虐で非道な事を繰り返してきた男の気配として。ゾフィーも知っていたのね」

「五年前、あの男に狙われてさらわれかけました。必死に逃げようとしている内に河に転落しました。まさか帝王自身だなんて……。自分の戦ぶりを自慢げに話していました。そして王妃になれと。拒んだらこのように無理矢理……」

「ああ。ゾフィー。怖かったわね。私は剣はできないの。出て敵に遇えば一巻の終わりなの。だからもうしばらく待って」

 ヴァルターとルドルフは剣を何度も交えていた。ヴァルターより剣の腕は良いらしい。ヴァルターが時々危機的な状況に陥るのを見ていたフィーネペルルはすくんだ足と手に勇気を出すように鼓舞し、王の象徴の剣を持った。

「ゾフィー。ここで待っていて」

 そう言って気配を消しながらルドルフの後ろへ近づいていく。

「平和の世をもたらさんことを!」

 そう言ってフィーネペルルは細い剣を帝王の心臓近くを一突きした。一瞬男の動きが止まる。だが、振り向いた途端に剣は折れた。

 

 殺される!

 

 フィーネペルルはぎゅっと目をつむったのだった。



第二十九話 戦の終わりに


 体が硬直して動けない。剣が振り下ろされようとしていた。反射的に目をつむる。だが、剣は降りて来なかった。そのかわりばさり、と大きなものが近くで倒れる気配がした。そっと目を開ける。ヴァルターが一刀両断していた。

「フィーネ。姉上と部屋の端に言って目を閉じるんだ。見ていいものではないが、討ち取った証として首をさらさないといけない」

「わかったわ。ゾフィー。さぁ」

「ええ」

 耳を塞ぎ目をつむる。だが、部屋の中は血のにおいで一杯だ。気分が悪くなる。しばらくして部屋の人間の気配が消えた。どこかでヴァルターの声が聞こえる。討ち取った事を知らせているらしい。聞き覚えのあるエルフリア国の騎士団の声が聞こえる。

「勝ったのね……」

 フィーネペルルはずるずると床に座り込む。

「フィーネペルル様」

 ゾフィが手を差し出す。

「あなたは強いのね」

「フィーネペルル様こそ。よくあの男を刺して」

「必死だったのよ。これからこんなことの連続だわ。なんたって女王らしいから」

「まぁ!」

 慌てて臣下の立ち位置を取ろうとしたゾフィーをとどめる。

「あなたは姉よ。堂々としていて。故郷に恋人は?」

「もう、五年近くになります。私の事など……」

 哀しげなゾフィーにそれなら、とフィーネペルルは立ち上がって肩をぽん、と叩く。

「エルフリア国で婚活しない?」

「婚活?」

「結婚活動よ。我が国の騎士は美形ぞろいよ。お見合いしていい結婚をなさい」

「姉は嫁に出さない!」

 急にヴァルターの声がする。

「ならあなたは一生私と結婚できないわよ。姉から嫁ぐのだから」

 ヴァルターは声を詰まらせる。

「即位式と婚礼の式だな。その前に挙げてしまいなさい。ゾフィー」

「お父様!」

「フィーネは王の証を綺麗に折ったな。直すのに相当時間がかかるぞ。腕自慢の騎士なら山ほどいる。平和の証としてエルフリア国に滞在して欲しい。ゾフィーが我が国にいなければヴァルターはこの国に来ず、フィーネはこれほど成長しなかった。王族の身分を授与し、幸せな人生が送れるよう取り計おう」

「お父様。大好き!」

 フィーネペルルがゲオルグに抱きつく。それを面白げなく見るヴァルターである。

「ヴァルターは一度故国へ帰るか? 此度のこと父君に報告したいだろう」

「もう。争いが起きない世であれば、一度報告に。姉上と共に」

「ヴァルター」

 切ない声でフィーネペルルが名を呼ぶ。

「帰ってくるの? 私の事嫌いになってない? 血で汚れた手の持ち主よ」

「嫌いなもんか。愛する妻だ。血でと言ったが、致命傷を負わせたのは私。フィーネの手は汚れていない。これからこんなことが何度もある。それを私とともに乗り越えて欲しい。春には戻ってくる。来年の春には」

 もう、この辺りの季節は冬に近かった。春。命芽吹くとき。フィーネペルルはその言葉を胸に抱く。

「じゃぁ。それまでにうんと女を磨いておくわ」

「磨かなくていい!」

 父と婚約者の声が重なる。集まってきていた騎士団長達とともに笑い声が上がったのだった。

 

 それから数日後、ヴァルターはゾフィとともに馬上の人となった。フィーネペルルは姿が見えなくなっても手を振り続けた。

「さ。フィーネ。ドレスにつけるレースを編みますよ」

 涙を浮かべて別れを惜しんでいる娘の手をひっぱて母、エレナが言う。

「カテリーナの方が得意よ」

「他人のレースなんて編むものですか」

「そうね」

「編んでいる内にあの二人は帰ってきますよ」

 母はそれで気を紛らわせろと言っているとわかるとフィーネペルルは顔を上げる。

「私の新しい力は勇気。この力ともに生きていくのね」

「わかったら、さっさと来なさい」

「はい」

 フィーネペルルは編み物が得意なカテリーナに教わるためにカテリーナの元へと向かった。



最終話


 春になった。

 

 アムネシア国ほどではないが春を告げる花が咲き誇っている。

 フィーネペルルは毎日城の入り口で想い人を待ち続けた。

「フィーネ。また、こんな所に。婚礼の準備話終わらないわよ。エルフィもエルマもあなたの散歩を待ってるわよ」

 カタリーナが呼びに来る。

「まずはあなたとライアン様の式でしょう。私はまだ夫が帰ってこないんだから」

 それから、散歩、と言う言葉でまるっきり一ヶ月以上ほったらかしにしていた愛犬たちを思い出す。

 

 あの子達にまで嫌われたら……。

 

 まるで、全ての人に嫌われた感覚に陥って、慌てて部屋へ向かおうとするとカタリーナが付け加える。

「と。その目の前に歩いてくる馬は誰が乗っているの?」

 面白げに言う言葉に目をやると、見慣れたヴァルターの馬がこちらに早足で向かってきていた。

「ヴァルト!」

 フィーネペルルはドレスが汚れるのも気にせず駆けていく。

「フィーネ!」

 ヴァルターは馬から飛び降りるとフィーネペルルを強く抱きしめる。

「よかった。約束通りに帰ってきてくれたのね」

「当たり前だ。フィーネを他の男に渡すつもりはない」

 そう言って、跪く。

「ヴァルト?」

「愛しいフィーネペルル姫。この愛の証を受け取って欲しい」

 そう言って指輪を二つ見せると二つともフィーネペルルの薬指にはめる。

「これ……」

「そう。婚約指輪と結婚指輪だ。母上の形見だ。姉上がフィーネに、と」

 フィーネペルルは戸惑って歩いてくる義理の姉になるゾフィを見る。

「あなたがつけなくて良いの?」

「きっと、姫が見つけてくださる殿方がくださいますわ」

「ま。お見合いする気が十分みたいね」

 フィーネペルルが言うと少し悲しげにゾフィは言う。

「恋人はもう家庭を持っていました。一緒に暮らそうとヴァルトが……」

「もちろんよ。お姉さん!」

 そう言ってフィーネペルルはゾフィを抱きしめる。

「姉、と言ってくださるのね」

「当たり前でしょ。ヴァルトの家族は私の家族よ」

「フィーネペルル様」

「フィーネって呼んで。みんなそう呼ぶのよ」

 戸惑っているとヴァルトがやって来てゾフィからフィーネペルルを奪う。

「姉上でもフィーネを独り占めするのは困ります」

「ちょっと! ヴァルト! 姉妹のいい場面を奪わないで!」

 叱りつけるフィーネペルルにヴァルトがキスをする。熱いキスをしてヴァルトは言う。

「これでも?」

 フィーネペルルの顔が険しくなる。不機嫌姫の登場だ。

「知らない!」

「ヴァルトは少し姫の扱いに慣れた方がいいな」

「ライアン! 婚礼に間に合わなかったか?」

「いや。ちょうど明日に挙げる事になっている」

 よかった、と心底胸をなで下ろしているヴァルターにカテリーナもライアンも不思議だ。

「家族の一大事に立ち会わなければこの不機嫌姫の不機嫌を治すに一苦労する」

 それを聞いたカテリーナはけらけら笑う。

「何言ってるの。ひとつ熱いキスをしてあげれば治るわよ」

「この状態をみても?」

 相変わらず、フィーネペルルの顔には不機嫌が乗っている。

「フィーネ。待ちに待った恋人の帰還よ。機嫌直してキスしてあげたら?」

「キスって何? 聡明は姫には聞いたことのない言葉ですわ」

 そう言って澄まして言うとゾフィの手を取って城の中に入る。

「恋人より姉?」

 ライアンが驚いて言う。

「ずっと一人っ子だったあの子には従姉妹だけじゃ無理なのよ。甘えられる人がうんと必要なの。ほら。ヴァルト、追いかけて」

「あ、ああ」

 入り口ではゾフィと一緒に瞳を煌めかせたフィーネペルルが待っていた。首に手を絡めて熱いキスをしている。姉の前で。

「気難しい女王様にならないで欲しいのだが」

「ヴァルトにだけよ。きっと」

 そう言ってカタリーナはライアンの肩に頭を乗せて甘える。こちらは落ち着くところに落ち着いているらしい。これからしばらく、城では恋の花が咲きっぱなしになる。それを思うといろいろしがいがあると思うカテリーナだ。フィーネペルルも甘い婚約時代を送れると言ったところこか。

 

 女王としてこれから険しい道を歩むこととなるフィーネペルル。

 

 影の真珠姫は見事に影を受け入れ、死と再生を経て新しい、愛と勇気という力を手に入れた。これからもいろんな影が現れることだろう。そのたびに影の騎士ヴァルターと乗り越えていく。

 

 春の風がフィーネペルルとヴァルターの髪をなで新しい時代が来たことを告げていた。

 

 影の騎士真珠の姫 完 

 

  

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?