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イタリア留学を思いつくまで

私は、極端な性格をしています。
15年ほど前、人生で一番好き!と思っていた人(10年近く付き合った彼)にクリスマスイブに振られ、何度か復縁をトライするも、終いには着信拒否をされ連絡が不通に。
ご飯も食べられず、どんどん痩せていき元気もなくなりますが、復縁への手立ては一切なし。
さすがに、待ち伏せなどのおぞましい行為に及ぶ勇気はなく、悶々とした日々を送っていましたが、同じ空の下にいること自体が辛すぎて、ふとある日

あ、日本じゃないどこかに行こう!

と思い立ちました。
30歳手前でまだ海外に行った経験がなかった私は、

うーーーーーん、どこに行こうかな。

と考える訳です。以下、私の中の連想ゲーム&独り言が続きます。

?!
そうだな、アメリカ…って感じじゃないな。ヨーロッパがいいな~
フランス?パリ?おしゃれは好きだけど、パリって感じでもないな…
うーーーーんうーーーーん。(10キロも激やせするほど、失恋のショックのサナカの割には、心の中の独り言は意外と元気)

その時、ふと目に入ったテレビの画面に映るパスタ。

あ!イタリア良いなあ。
でもイタリアと行っても、どこがいいかな…地理もろくに勉強して来なかったからなあ。よくわかんないなあ。でも、イタリアって革製品とかも有名だな。革の工房とか見学したり出来るかな。どうせなら、数か月滞在して留学しようかな。うんうん、そして何かやりたいことが見つかったら、移住するのもアリだな。革製品と言えば…(ポチポチ検索)あ、フィレンツェって町が有名みたいだな。よし!フィレンツェに行こう!

こんな連想ゲームから、一気に
失恋→海外旅行→いや、留学→フィレンツェ滞在
が決まりました。

翌日、当時コールセンターで働いていた私は、何の気なしに隣にいた仲良しのあっちゃんに、「私、ちょっと留学しようと思うんだわ。フィレンツェに」と話してみました。
するとあっちゃん
「え、私の学生時代の友達が、今フィレンツェで革職人やってるから、本当に行くなら連絡してあげるよ!色々教えてくれるかもしれないし」

あっちゃん…マジ神。という訳で、行く場所だけ決めた私にはとてもありがたいご縁が出来たのでした。
いざ留学!と決めた所から、ウソみたいなほんとの偶然が重なり、私の留学話はどんどん加速。

手始めにやったことと言えば、まず、滞在するには何が必要か調べる。

1.お金(留学資金)
2.留学の期間と、場所の選定
3.もちろんイタリア語はしゃべれないので、語学学校はどこがいいか調べる
4.滞在するにはホテル?ホームステイ?家を借りる?の選択
5.行くまでに必要な準備

などなど。
とりあえず、まず初めに空きのあるなしがあるかもしれないから、語学学校を調べてみました。
15年前と言えば、ギリギリインターネットが普及してきた頃だったと思います。なので、家の分厚いモニターのパソコンで夜な夜なポチポチ調べました。
まず、イタリア語学校を何件か。そうすると、イタリア語も学べて、課外授業として興味がある分野(革、家具の修復、料理、などなど)を勉強出来る学校を発見。ここ良いかも!
早速、翻訳サイトを使って学校の担当者にメールしてみます。

と、同時進行で前述のあっちゃんがフィレンツェの友達に早速連絡してくれたそうで、直接メールのやり取り開始。
彼女の名前はさっちゃん。さっちゃんは、忙しいだろうに、メールを送れば数日中に返信をくれて、しかも、自分が留学したころの体験から、イタリア留学への手順を手取り足取り教えてくれました。
みんな、なんて親切なんだろう…
大好きな彼氏に振られた私の心の穴を友たちが埋めてくれる…
ありがたすぎる毎日でした。

現地の語学学校の担当者は、もちろんイタリア人。
学校は午前中の3時間がイタリア語の授業。午後は希望があれば革職人のスクールに行ったり、家具修復やお料理などのプログラムが学べるそう。という訳で、この学校に即決。

そして、私が最初に決めたのは渡航時期。
とりあえず、2か月。そしていつから行くかと言うと、留学を思い立ったのが2月ごろだったので、その時点で溜まっていた貯金からプラスして必要資金を貯めるまでにかかる期間を算出。それから、諸々の手続き、家族の説得を含め、半年後の10月から12月末までの期間、留学する事に決めました。
何をするにも、いつからどれ位何をしたいのかをまず聞かれるので、手始めに決めたのはそんな所。
こんな安易な発想から、私のイタリア留学は決まったのでした。

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