反出生主義 その壱

反出生主義


この言葉に出会ったのは
去年の年末だった。

反出生主義


なんだそれは? まずそこから入った。 しかし、これぞ私が思っていた考え方。
わかる!と、共感しかなかった。

しかし、反出生主義という思想を総ての人間には勧めない。
あくまで、一個人として、あぁとっても解ります。
もしも反対派がいるのなら、その人たちを炙り出し、火だるまにしたいほど攻撃的には思っていない。


中立ではないが、争うほどのことではない。
と、思うくらいに留まる。


だから、
さらっとこの記事は読んでほしいと願う。


まず、人口が増えた。


戦争という悲劇から人類は、なんどもなんども立ち上がった。

そのお陰さまで、人間という、人類という種は増えた。

だが、
人が人を殺しあい、こんなにも豊かなのに地球のほとんどが貧富の差。


わたしのだいっっきらいな満員電車の元凶をつくったり、人の皮を被った悪魔のような人間も確かにいる。


で、あれば。
いったん総ての人類、リセットしよーよ。
ちゃちゃっとー!っと、わたしが創造の神なら思うな。

死ぬことは特にすすめないが
産まれることも特にすすめていない。

私はそんな考えに至った。

生きたきゃイキロ。
生みたきゃウメ。


わたしは、そんな風に思うようになっている。
それはきっと年齢を重ねて、考えることも思うことも面倒になってきたからかもしれないし、生い立ちのそのせいかもしれない。




わたしの母親は
女手ひとつでふたりの娘を育てた。
義務教育期間、学生のときは、
親には感謝しろ。と耳にたこができるほど言われた。
言われ続けた。
誰に。母親にだ。

同時に
こんなに私が大変なのはお前たちのせい。
という言葉もふるうようになった。
辛いとき、しんどいとき、体調不良のとき、子供が自分の思うまま動いてくれないとき。


しあわせだと思っていたいけど、こんな風に育てられたし、そりゃあの人の子供だもん。

いや、誰も産んでくれとか頼んでねーっつの!と、こちらもひねくれてしまうわけです。

もう人間辞めると思ったのは、何万回あるだろうか。
貧乏で、2部屋しかないアパートに三人で暮らす。
今にも倒壊しそうなボロアパート。

その前に大阪に住んではいたけれども、なんやかんや、親戚をたどり、関東へ。
しかし、頼った親戚からは絶縁を宣告されて。
世の中って厳しくてわらう。


人間なんて
産まれて来なきゃいいんだと思う。


貧乏だったなーと思う。
学校行ってからが、辛かった。
自分の知る世界はあまりにも、あまりにも、狭くて。
こんなに自分とまったく違う世界に暮らす人間がいるのかと。

つづく。