本当の効率化について考えてみた

皆様、こんにちは。



たまーにいますね。

「社内の人相手にいちいち『釈迦に説法ですが〜』とかいらない」

「リマインダーとかうざいから逆に送るな」

「余計だと思うかもしれないなら書くな」

と言った発言をされる会社勤めの方々。

彼らのことは簡素化信者と呼ぶことにします。

簡素化信者の言い分はわかります。

「用件を簡潔に言うだけで結構」

内容の簡素化や効率化を図るとか、何が要求されているかの明確化…他にもありますが、だいたいこれでしょう。

その通りなんですよ、最新の対応を要求しているのにできない奴が悪いのです。

…そう、個人と個人でやりとりしているのであれば。

ただ例えばですが、CCにお互いの上司がいたらどうでしょう。

状況が変わってくると思います。


上司と呼ばれる方々、例外はいますが、総じて言えるのが平社員の平均年齢より高いことです。

ということは、一昔以上前の文化のほうが馴染みのある確率がその分高くなります。

彼らの世代というのはいわゆる挨拶を始めとしたビジネスにおける礼儀を、今では考えられないほど重んじられた世代です。

親族から聞いた話ですが、秘書課に配属されたら、礼をする角度の練習や表情の練習を鏡の前で1時間ずっとさせられた…という話まで聞いたことがあります。

また上司になる方は、模範を求められる存在です。

模範には沢山の要素がありますが、その中の1つに礼儀があります。

そのような若い頃を過ごした世代の方々、礼儀というものを要求される場面が多い方々が、自分が送った文章を読む可能性があるのです。

だとすると簡素化信者が正しいとする理論が通る確率って果たしてどのくらいなのでしょうか。



確かに色々と句があるとモダモダするし、読む時間も増え、効率が悪くなるのはわかっています。

しかし、簡素化信者に私は聞きたいです。

仕事を動かすの根源や、最終的な要素は何ですか。

個人事業主ならともかくとして、会社勤めのサラリーマンであれば、それは間違いなく人なんですよ。

簡素化信者の要件だけメールを読んだ時、こう思われる可能性があります。

「こいつ、挨拶もできないのか」

「礼儀がなってない」

「なんかぶっきらぼうで、横柄だよね」

特にそこまで信頼関係を築けていない相手から、要件だけメールが来たもんなら高確率でそう思われます。

また簡素化信者に多いのがF2Fの軽視です。

チャットやメールでサクサク…便利で早くてラクです。

しかし真意や温度感がわからず、仕事が錯綜してしまいかえって非効率になる…こういったことは案外多いです。

また仕事がかちあった時、下記のようにBさんが優先となるケースは実際にあります。

「Aさんは、いつもメールでぶっきらぼうに頼んでくるからなぁ…あまり、対応したくないな。」

「Bさんは、進捗管理のためにしっかりコミュニケーションを取ってくるし、注意点も事前に共有してくれるもんなぁ。」

「優先度は同じ、じゃぁBさんの方を先に対応しよう!」

人間は感情を持った生き物であり、いつでも絶対平等になんてできるわけがないので。

F2Fって実は信頼関係を築く、最古で最大の方法なのです。

お互いがどう言う人かが直接わかるので、そこで安心感も生まれたり、良い意味での暗黙の了解も生まれたりします。

よって逆を言えば、F2F軽視はそういったことを無視するので、信頼関係は築きにくいと言えます。


こういうことを言うと簡素化信者の中には、こう切り返す人もいます。

「それは非効率な日本社会の話でしょ。海外は違うよ」

本当にそうなのか、海外相手に働いている外資系の方、海外相手に情報交換を行うマーケティングの方に実際に数人ではありますが聞いてみました。

そうでもないケースは、少なくはないようです。

例えば『〜社長じゃないとダメ』とか『最初に挨拶文は絶対』といった尊厳社会が根強い企業、ビジネスマナーに日本よりもうるさい企業も思っているより多いといった回答でした。

必ずしも日本社会は非効率ではないようです。

(あとこれは余談ですが、私は教育関係の事務局を仕事の1つとしていますが、私と仲良くしてくださる外資系出身の講師の方、簡素化信者たちへの評価がむしろ低いですし、その講師の方のメールには挨拶文はしっかり入ってます。)


色々と書きましたが、簡素化信者の効率化は概ね正解しています。

え、さっき色々と否定とも取れる文を連ねてたじゃん!

……ありがとうございます。

しかしながら、あくまでも『概ね』正解なんですよ。

しかも私はずっと彼らを『簡素化信者』と呼んでおります。

なぜ効率化信者ではないのか。

簡素化信者が考える効率化には、明らかな欠落があります。

それは、人間の感情が要素に入っていないのです。

なので人間の感情を要素に入れなかったことによって、かえって非効率になるケースを彼らは想定していないということになります。



「社内の人相手にいちいち『釈迦に説法ですが〜』とかいらない」

「リマインダーとかうざいから逆に送るな」

「余計だと思うかもしれないなら書くな」

今でも、そう思う。

そう思う方は、それを貫いてください。

私は否定しません。

一方で私のような人間は、本当の効率化を実現させるのであれば、人間の感情によるリスクと機会の考慮が必要であると。

そう、自由に考えるのです。

「用件を簡潔に言うだけで結構」

この言葉を振り翳す前に、私は深呼吸するのです。

そして問いかけます。

「今は、あなたと私だけの世界ですか」

と。



最後まで、お読みいただきありがとうございました。

この記事が参加している募集

今こんな気分

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?