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囲碁界の今後の展望と課題 ~阪急納涼囲碁まつりに参加して~

阪急納涼囲碁祭り 会場1日目(2022年8月14日)

 個人的に初の囲碁イベント「令和4年 阪急電鉄納涼囲碁まつりin大阪」に出かけてきた。
 本来はそれだけの記事であったが、noteで「#一歩踏みだした先に」とのお題で記事募集があったので、急遽「阪急納涼囲碁まつりに一歩踏み出した先に」知ることが出来た事柄から、このイベントを通じて、囲碁界の特徴や改善点を挙げていけるのではないかと思い、加筆するに至った。

 このイベントに参加したことで筆者は囲碁界特有の特殊事情を知ったり、まさか(でもないが)トラブルが起きたり(と云うより起こしたり)したので、囲碁に興味のある方やよく知らない方にも、何かの参考になればと思い記録しておくことにした。

棋士との距離の近さ その魅力と危険性

 説明するより手っ取り早いので、当日筆者が実況していたツイートを貼り付けておく。
 まず筆者が最前列の席を買えていたと云うのもあるが、とにかく対局者の棋士とファンとの距離が物凄く近いと云うのが分かるだろう。
 プロ野球やサッカーなどをこの距離から観戦することは絶対に不可能だ。
 プロレスならこの距離から選手を観戦出来ることもあるし、選手が場外に乱闘しに観客に近付いて来ることもあるが、これに関しては後述する。

 また、単に客席との距離だけでなく、普通に会場内に居る棋士の先生達に話し掛けるのも容易だった。
 具体的に述べてしまえば、会場前の通路を佐田篤史七段や芝野虎丸竜星が普通に歩いていたり、時間があればファンと記念写真を撮っていたりして、ファンにとっては物凄く嬉しい出来事だったに違いない。
 他にも、イベントに出た棋士の先生以外だと、
村本渉三段(厳密には棋譜読み上げ係として1日目に参加)
芝野龍之介二段
岩田紗絵加初段
三島響初段
 などの姿も筆者は会場で見かけた。
 なお日本囲碁界の第一人者である井山裕太先生に似た男性も見かけたが、本人なのか確認出来ていないので、あくまでも参考程度に。

 特に三島響初段は、初日に飛び入り登壇していたが、筆者のツイートでも再生回数が最も多く、彼女の愛らしいルックスから察して、潜在的ファンが多くいることが数字的にも証明された。
 ちなみに三島響初段は筆者のツイートにいいねボタンを押してくれたのでそのお礼を直接本人に言うことも出来た。
 囲碁ならではの特有の出来事と云えるだろう。

 しかし、距離が近いというのは当然デメリットもあって、棋士の先生達の安全性がほとんど担保されていないことも同時に感じた。
 納涼囲碁まつりと同日にUUUMが行っていたイベントで、HIKAKINさんが登壇中に不審者の男が乱入してきた事件が報じられた。
 このイベントは警備体制が甘かったのではないかと批判されてはいるが、納涼囲碁まつりと比べたら警備体制はしっかりしていたとさえ感じた。

 筆者から座っている距離でもちょっと手を伸ばせば、対局者の上野愛咲美女流二冠や藤沢里菜女流三冠に触ることも出来た。
 それくらい近い距離だった。
 勿論、そんなことをしたらすぐに係員に取り押さえられて、警察に突き出されていただろうが、囲碁ファンは他のジャンルのイベントと比べればそのファンの質が高いだけの話であり、棋士の安全性は全く担保されていないと言わざるを得なかったのも事実だ。

 ファンは棋士の先生達の存在を知っているが、棋士の先生達からすれば、ファンは赤の他人でしかない。そんな赤の他人が馴れ馴れしく近付いて来てサインや写真撮影を求めてくるのは、少々怖いのではないか?
 筆者は岩田紗絵加先生から「声かけてくださればよかったのに笑」などと呟かれたが、スマホの画面を出して「いいね、ありがとうございました」と事情を明かすことが出来た三島響先生とは異なり、若い女性がいきなり30過ぎの見知らぬオッサンに声を掛けられるのはやっぱり怖いと感じるのではないか?と配慮して、岩田先生には話し掛けられなかった。

 もしも囲碁の人気が高まり、囲碁への関心が高まって、もっと大勢の人がイベントに来るようになったらどうなるだろう? その時、会場に来る客の質は明らかに落ちるのは目に見えている。
 可憐な女流棋士の先生に近付こうとするような不届き者が現れる可能性は決して否定出来ない。
 っつうか筆者自身が「囲碁フォーカス」に出演していた稲葉かりん初段が可愛くて囲碁を覚えたと云う不純な動機から興味を持った身である。
 自分の熱狂的ファンのオッサン達が自分に近付いて来る状況と云うのは、アイドルが握手などをするためのイベントが多く開かれていたせいもあって皆忘れているが、女性にとっては中々に根性が必要なことではないか。

 このイベントは何事も無く終わったから良かったが、何かしらの事件やトラブルが発生してからでは遅いのではないかと心配した。

なぜ未成年をプロにしなければならないのか

 先日、囲碁界に明るいニュースが入ってきた。
 関西棋院の「英才特別採用規定」に基づいて、9月1日から、小学3年生の藤田怜央さんが、史上最年少の9歳4か月で囲碁のプロ棋士になることが決定したのである。
 まさに今回のテーマである「#一歩踏みだした先に」を体現する、新世代スター候補生の誕生だ。
 小学生のプロ棋士は既に仲村菫さんの例があるが、それを大きく下回った上に、男の子ということもあって、その活躍が大きく期待される。
 プロ棋士として一歩踏みだした先に、何が待っているだろうか。

 将棋界には、藤井聡太という中学生棋士が誕生して大きな盛り上がりを見せたが、どの業界やスポーツにもスター選手の存在というのは必要不可欠。
 その意味で、日本棋院や関西棋院が「特別採用」で若い才能を発掘しようと考えるのは自然な成り行きだが、筆者は問題点も多いと考えている。

 囲碁界が他のスポーツと大きく異なるのは、小学生~中学生まででプロへ進めるか進めないかが確定してしまっている点だ。
 プロ棋士になりたければ、幼稚園生から遅くとも小学生までにその競技の鍛錬を積んでいて、棋力を発達させていなければならない。

 プロ野球を例に出そう。
 高校野球や大学野球で活躍した選手が、ドラフト上位の指名を受けてプロ野球選手になるニュースは幾つも見てきただろう。プロ野球の場合、有望な選手の下にプロ野球関係者が「プロ志望届」を書くように声をかけて来て、ドラフトに掛けられて指名を受け、プロ入りしていく。
 プロ野球の場合、基本的に高校や大学を卒業するのと同時にプロに進んで行くから、一般人が学校を卒業するのと同時に就職するのと人生のテンポが変わらない。

 ところが、囲碁界の場合、高校生になる前に既にプロ入り出来るか否かが決まってしまっている。
 囲碁の場合はプロ棋士になりたければ日本棋院や関西棋院の院生として、修行を積んで合格しなければならないのだが、問題なのはその年齢制限だ。
 申請時に14歳・中学2年在学中以下、棋力はアマ六段位を要求される。
 アマ六段と云うのは、インストラクターとしてアマチュアの人々に指導を行って良い棋力であって、ゴルフにおけるレッスンプロのような存在だ。
 それほどまでの実力を遅くとも中学2年生までに体得していなければプロ棋士になることは不可能なのだ
 恐るべき世界である。

 しかし、囲碁界のこのプロ入りの制度が悪いとは決して思わない。
 この囲碁棋士のプロ入り制度には、他の競技には無い利点がある。
 それは野球などと違って、中途半端な実力しかない選手が、プロに憧れて大学⇒社会人⇒独立リーグなどといつまでもダラダラ競技を続けてしまうのとは異なり、やり直しがいくらでも効く10代から20代の頭までにプロの道を諦めて、通常の人生に進んで(戻って)行けることである。
 院生だった男の子や女の子が大学に進み、社会で就職して生きていくのに必要な学歴や資格などを得るのに、一般人に遅れを取ることが無い。
 14歳以下でアマ六段と云うのは厳しい気もするが、プロになれなかった院生の人生を保護するのには必要な制度でもあるのだ。
 その意味では、非常に良心的な制度と言えるのは事実である。

 ただし、メリットには当然デメリットもあって、囲碁界には、将来有望な選手がアマチュア時代に大活躍することでその人気や知名度を上げる機会が非常に少ないことがデメリットとして挙げられる。
 人気や知名度は選手本人だけでなく、競技そのものも含んでおり、これが囲碁普及の足枷になっていることは傍から見ても明らかなのだ。

 プロ野球を例に出すと分かりやすい。
 例えば甲子園で大活躍した清原和博さんや桑田真澄さん、松井秀喜さん、松坂大輔さん、斎藤佑樹さんや田中将大さん、大谷翔平さんなどなど、野球の場合は本人達がプロ入りする前にその人気と知名度を高めていて、球団に入団する以前から抜群の存在感を発揮していることが多い。
 メディアは彼らを積極的に扱って、それと同時に野球という競技そのものにも人気や注目が集まるといった構図が発生する。

 ところが、囲碁界の場合はアマチュア時代にプロ棋士になる前の子供が、大会で大活躍して人気と知名度を上げて、プロ棋士になっていくという話は生まれにくい。
 それは院生がアマチュアの大会に参加してはいけないといった制約があることも少なからず影響しているだろう。
 一応少年少女囲碁大会がこれに該当するが、対象は中学生までしかない。
 高校生が戦う甲子園が、その都道府県や高校の名前を全国的に知らしめるのに用いられているのに対し、囲碁界にはこのような制度が一切無い。
 例えば何処何処高校がアマチュアで囲碁が強い子を特待生として入校させるとか、県や高校の代表として戦って活躍した後、卒業後にプロ棋士に進むといった話が成立する環境ならば、現在の囲碁の人気や知名度はまた違ったモノになっていたことは容易に想像がつくだろう。

 そこで囲碁界の場合、未成年の囲碁棋士の若さで世間の注目を集めようという作戦に#一歩踏みだした先に」ってわけだが、これ自体が絶対にダメとは言わないが、未成年者をプロとして働かそうと云うのは問題点や課題が多いような気が個人的にはしている。
 それは「納涼囲碁まつり」に参加して感じたことでもあった。

未成年者を働かすのに必要な配慮と保護

2022年8月14日
2022年8月15日

 1枚目は1日目の8月14日、2枚目は2日目の8月15日の写真だ。
 多少画角は違うが、初日と二日目で違う所があるのがお分かりだろうか。

 まず一つ目は、1日目の写真では、大盤の前に足場が置かれていないが、2日目では大盤の前に足場が用意されているのが分かるだろう。
 これは初日に、院生達が大盤に磁石付きの碁石を貼り付ける作業を行っていたのだが、横の1線や2線の辺りになると手が届かないことがあった。
 よって、二日目から大盤の前に足場が用意されたわけだが、ということは院生の身長では大盤の上段に手が届かないことをイベントの主催者が事前に把握していなかったというわけだ。
 大盤は見れば分かる通り、左下にテープを貼られているなどかなり年季の入った物で、このイベントのために新しく作ったものとは思えない。
 ならばこれを使った際の注意点や上段が非常に高い位置に来ることも日本棋院の職員達は事前に認識していなければならなかったはずだ。
 これはお粗末としか言いようが無い。

 そして、もう一つ指摘しなければならないのは、壇上写真右の女の子。
 1日目では、恐らく彼女が通っている中学校か高校の制服を着ていたが、2日目では青~紫色のロングドレスを着ている。
 何故、衣装を変えたのか、筆者には分かっている。
 彼女の履いていたスカートは決して丈が短いモノではなかったが、大盤に碁石を貼り付ける際などにスカートがめくれ上がって、太ももなどが見えてしまうことがあった。
 恐らく、それを見た師匠や親御さんが配慮して、急遽露出が無い衣装を用意したと云う経緯があったに違いないが、未成年を壇上に上がらせて大勢の観客の前に見せる際、そういう事態が発生するのを誰も想定していなかったというのは、未成年女子に対する配慮が無さ過ぎると言わざるを得ない。

 囲碁界ではそのような不届き者は居ないのだろうが、例えば陸上や新体操などでは、露出の多い衣装を着用した未成年の競技者を狙い、際どいカットから写真を撮影しようとする者達の存在が大きな問題になっている。今後、囲碁界にもファンの中にそのような不届き者が混じって来る可能性もゼロとは言えない。
 前の項目で指摘した「距離感の近さ」と併せて、警戒心の無さと云うのはイベント全体を通じて感じたことである。

 また、大盤の横で長時間立たされた彼ら彼女達も足がつらそうで、椅子を用意したり、30分は片方が大盤を担当してもう片方は休んで交代制で担当させたりとか、彼ら彼女らの負担を減らす工夫は幾らでもあったはずだ。
 彼ら彼女らが足がつらそうで足を大きく上下させたり、疲れからか何度も碁石を落としたり、手で足に触れて庇ったりといった挙動は、観客の盤面の集中力を欠かせた。
 しかし、未成年である院生の彼ら彼女らを責めてはいけない。
 彼らはまだ責任能力の無い未成年なのだ。

 囲碁界は、若手の小学生棋士の存在に自分達の業界の命運を託していると言えるわけだが、それならば未成年者に対する配慮や彼らを保護するために大人である職員達が創意工夫するのは必要不可欠だ。
 若い棋士が大活躍するのは結構だが、囲碁界を支えるのはあくまでも大の大人である自分達であることを、日本棋院や関西棋院に所属している棋士の先生達や職員達は忘れないで欲しい。

日本棋院はイベントに関してはまだまだ発展途上

 これは薄々そういう事態が起きるのではないかと思っていたのだが、先日日本棋院(恐らくは関西総本部)さんから連絡が入って、Youtubeの動画は削除してくれと伝えられて、削除するに至った。
 しかし、著作権を持っている立場上、日本棋院さんは筆者に対してもっと強く言って良かったはずだが、むしろ筆者に謝罪でもするかのような丁寧な口調で、「あの大会はお金を払ったお客様が見られるものだから」と云った説明を受けて、削除を要請され、筆者は動画を即刻削除した。スマホですぐ投稿した動画を削除するといった作業は、やりながら時代を感じたものだ。
 一方、Twitterでの投稿は大丈夫だとも同時に伝えられた。
 それどころか「拡散してくれてありがとうございました」とも言われて、筆者は中々に動揺した。片方ではYoutubeの動画削除を要請されながらも、Twitterでの短い再生時間の動画の撮影と拡散にはお礼を言われるのだから、日本棋院さんにはさじ加減が難しい対応を強いてしまった。

 日本棋院さんには大変なご迷惑をおかけして申し訳ないと思っているが、実は、筆者がYoutubeに撮影した大会の模様をアップしたのには、運営側がどのような対応を取ってくるのか見極める狙いもあった。下手したら出入り禁止にされかねない危険な行為なので、真似しないで欲しい。

 例えば、新日本プロレスでは「動画の撮影」は一切禁止であって、動画をSNSやブログなどに載せるのもダメだと警告している。
 今回、筆者が行った行為が日本棋院ではなく、新日本プロレスだったら、筆者はアカウントごと削除されても反論出来なかった
 このことから挙げられるに、日本棋院はファンのSNSでの発信に関して対応が手探りであることだ。
 新日本プロレスのように、「やったらファン失格」と強い方針を立てても日本棋院は立場上何の問題も無い。むしろ日本棋院の職員の中には、今回、筆者が行った動画を上げた行為について強い憤りを覚えている方々も居るに違いない。
 しかし、筆者のツイートに現役の棋士の先生達が何人もいいね♥ボタンを押していた都合上、ダメとは言えなかったのかもしれない。
 あくまでも「あの大会はお金を払ったお客様が見られるものだから」との説明だったが、その裏で色々な思惑が動いていたことは容易に想像がつく。
 
 プロ野球やプロレスなどと、囲碁将棋の最大の違いだが、プロスポーツは『試合=興行』であるが、囲碁将棋は『試合≠興行』であることだ。
 プロ野球やプロレスは、試合と興行が基本完全一体である。
 よって、金銭が絡む興行を行うプロスポーツにとって、試合中の動画にも著作権があって、それは自分達の会社の収益に繋がる重要なコンテンツだ。
 さらに、プロ野球やプロレスは年間100試合以上行われており、その分興行に関するノウハウを心得ていると言えるだろう。

 ところが、囲碁将棋の場合、『試合=興行』ではない。
 毎日のように対局が行われているが、有名棋士の対局なら最近はYoutube中継されるようになったが、ほとんどの棋士の対局は興行として催されてはいない。棋譜が分かれば良い方で、自分の好きな棋士がどんな対局を行ったのか分からないことなどザラである。


 今回、阪急納涼囲碁まつりに参加して、日本棋院はまだまだイベントに関して手探りで行っていることは否めないと知ったが、それは全ての公式戦が興行(イベント)として執り行われるプロスポーツとは異なり、ほとんどの公式戦が興行ではない日本棋院では、ノウハウを蓄積する機会があまりにも限られていることは影響しているだろう。
 筆者は過去に何回も新日本プロレスを試合会場で観戦したが、現場対応に問題を感じたことはほとんど無い。プロレスラーは試合中、それこそ今回の納涼囲碁まつり以上に観客と近い距離で、場外乱闘などで試合を行うこともある。しかし、プロレスラーは一般人を遥かに凌駕する屈強な体格を誇るに対して、囲碁棋士は頭脳以外は一般人と体格は変わらないので、女流棋士や未成年者の棋士や院生達を保護する上でセキュリティの強化は必須であると感じてしまうのは、それほど偏ったモノの見方ではないはずだ。

 今回、イベントに参加して、色々な体験をさせてもらったが、もしも日本棋院や関西棋院の職員達の中に、この記事を読んで頂ける方が居て、今後の参考になるのなら幸いである。
 この記事を読んで、囲碁や囲碁界に興味を持っていただける方が居れば、「#一歩踏みだした先に」を体現出来る、素晴らしい世界が待っているのは間違いない。
 皆さんもぜひ囲碁に興味を持って頂きたい。

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