GPAが言えないほど低くても獣医解剖病理学レジデンシーにマッチできた話

こんにちは、あらめんです。
今年の2月に獣医大学院を卒業し、3月からNYCの1次診療動物病院で働いています。

最近はワンピースを再読しているので、”真の”合格通知をもらってからは飲酒することを”宴”と言っています。樽にビールを入れたいです。

働きつつも水面下で専門研修医プログラム(レジデンシー)に応募していたのですが、なんとか1校からオファーをもらうことが出来たのでその記録です。これは自慢でもなんでもなく、諦めない心とタイミングさえ合えば、米国レジデンシーはなんとか入れる、ということを同じような境遇の人に届けばと思い書きました。

レジデンシーとは?
専門研修医プログラム(レジデンシー)とは、とても簡潔に述べると卒業後に3年間特定の専門分野にてトレーニングをつみ、専門医を目指すプログラムです(おそらく)。お医者様の世界だとレジ〜とかフェロー〜とかアテンディング〜みたいな言葉が存在しますが、獣医の世界は少し異なります。

まず第一にお医者様との大きな違いは、獣医は専門分野を決めず”1次診療医”として働くことが多いです。すごく簡単にいうと、なんでも屋さん、です。専門医は2次診療医として活躍することが多いです(多分)。現に自分の働いているところでは、入院が必要な患者や骨折などの緊急性を伴う手術は基本的には診ません。うちで診断をつけたらより高度な環境やチームがいる所謂2次診療センターに紹介します。分業ってやつですね。
また、2次診療センターに勤めている専門医の方に電話で治療方針を聞いたり、検査を提案してもらったりもします。普段は2次診療センターで診てもらっていて、血液検査などの経過観察をうちのような1次診療病院でしてもらう方も多いです。

話は逸れてしまいましたが、レジデンシーというのは3年間で特定の分野に特化することでその分野を主として医療に携わっていきます。

学生時代、クラスメイト達とよく卒業後の進路について話していました。
何でも屋になるか、専門家になるかは大きな選択で、色々悩みの種はあります。

まず一番の話になるのは、給料です。
最低8年間の学生生活が終わる、というところで大抵の人は学生ローンで気が気ではありません。そこで卒業後まず初めに考えるのは獣医師としての給与です。
小動物1次診療病院、新卒で自分の就活の情報の限りですがよほど田舎の辺鄙なところに行かない限り初年度の年収は1000万は下りません。そこにボーナスやら色々入ってくるので、稼ごうと思えば2000万位は行くと思います。
レジデンシーは場所や生活圏にもよりますが大体一次診療の半額(か、それ以下)です。
また、大抵の臨床プログラムはレジデンシーに入る前に2年間のインターンシップを必要としているところが多いので、5年間給与がおおよそ半額になります。専門医になった後は、分野にもよりますが1次診療よりも給与は高い傾向にあるので最終的に回収はできるとよく言われます。が、圧倒的初任給で10年近く地獄にいた生徒はことごとく釣られていきます。

第二に、生活面です。
獣医大学院の最終学年は1年間大学病院で見習いとして働きます。科にもよりますが、忙しい時は本当に地獄のようでした。一度だけ、3日間睡眠時間ゼロでシャワーためだけに帰宅、それ以外はずっと患者と一緒、ということも体験しました。また、一緒に働くインターンやレジデントの人の忙しさと消耗度を目の当たりにするので、とても厳しい世界ということを痛感しました。
ちなみに自分が知っている範囲の1次診療は、週40時間勤務+/-残業、お昼休憩しっかりあり、休みも取れる、長期休暇もあり、のようなハイポ(ハイパーの逆)なのを売りにしているところが多いです。
自分のところは40時間を超えると注意喚起で早上がりさせられたり出勤時間が遅くなったりと色々してくれています。
獣医は自殺率が高い職業なので、バーンアウトしないように、長く続けてくれるように、と業界的にホワイト化が進んでいるみたいです。数年前は修羅の時代だったとボスから聞いているのでタイミングかと思います。

以上の背景から、専門医を初めは目指していたけれど金銭的、生活面で一次診療を選ぶ友人は少なくなかったです。

その中で専門医を目指していた人はだいたい2パターンでした。
1. やる気と情熱、絶対になるんだという志がある人
2. 単純に超優秀すぎて余裕がありすぎる人

2の人はさすがアメリカ、一定数いました。名家でお金も困らず学びたいことを突き詰めていく、すごい人たちでした。その点からすると自分はどちらかというと1に当てはまるかもしれません。とはいえ、他のレジデントの方々の熱量と比べると申し訳ない気持ちでいっぱいです。

学生時代、自分は特に志もなくふわふわしていました。というのも学生生活がしんどすぎて獣医大学院を無事卒業することそのものがゴールになっていたからです。そのためいざ終わりが近づいてくると達成感があるものの、次のゴールを探さないとな〜とぼんやり思っていました。元々気になっていたのは東洋医学や鍼灸だったので、卒業後数年したらそちらを勉強してみたいな、くらいのゆるふわでした。クラスメイト達と卒業後の進路について話してる時は、よくありがちな”卒業後最初の数年は一次診療で働いて、落ち着いたら何かのレジデンシーか資格を取りたいです、何かは数年働いた末決めます”みたいなことを言ってました。というのも金銭的問題であったり卒業後のビザの制約があったりと色々面倒ごとが多かったので、とりあえず一次診療、という言葉がちょうどよかったのかもしれません。

そんな感じで色々な科を回って学んでいくうちに、意外と大動物と馬はいける、とか外科は絶対にやりたくない、と考えるようになってきました。そのため、1年間で色々な科で学べたのはいい経験でした。
そこで、10月末から始まったのが病理学のローテーションでした。獣医病理学って何?て思う人が多いと思いますが超簡潔に述べてしまうと、

”動物版アンナチュラル(主題歌が米津玄師のLEMONのやつ、ウェッ)みたいなもの”です。

tbsの番組紹介に詳しく書いてあるので、石原さとみ様の職業を読めば大体わかります。法医学ではありませんが、やることはかなり似ています。

トレーニングは3週間の臨床病理と3週間の解剖病理の合計6週間でした。臨床病理も楽しかったですが、個人的に解剖病理がとても楽しかったです。
理由としては、”知りたい”欲が満たされたことが大きかったと思います。
どうして亡くなったのか、この病気だとこの臓器がこんな感じになるのか、という理由や現象を目で見て確かめることができることがとても興味深かったです。
また、自分の4年生のトレーニングをしていたミズーリ大学には日本人の解剖病理の先生がいます。職歴などでたまたまご縁がありとても仲良くしてもらっていた中で専門職の楽しさなどを教えてもらっていました。また、病理レジデンシーは数少ない2年間のインターンをしていなくても合格できるチャンスがある分野というのは大きかったです(実際はやっていることに越したことはありません、が、知り合った先生で一次診療出身の人も何名かいました)。

他にも色々理由はありますが、専門を取るなら病理がいいと思い、スキル、即行動を発動。そこでとんでもない事実が発覚ーーーー。

興味が出てきたので出願条件などを調べ始めたのが11月半ば。
なんと、今年度の出願締切が3日前に終わっていましたw
そして、顔を覚えてもらうための絶好の機会である病理学学会も数週間前に終わっていました。
アメリカのインターン、レジデンシープログラムは原則Match Programという共通アプリケーションにて出願するのですが、そちらの締切は年明けだったため完全に油断していました。
病理学は数少ないMatch Programを利用しない独自のプログラムを採用していて、出願期間は9月ー11月で他のレジデンシーより早く期日が設定されていました。

既に就職先も決まっていたし本来は数年働いてから出願しようと考えていたので、出来ることをしつつ毎年出願していつか行けたらいいな〜位の気持ちに切り替わりました。

基本的に病理学のレジデンシーの募集情報はACVP(American College of Veterinary Pathology:米国獣医病理学会)のジョブポストに載っているので、1−2週間に1度追加募集がないか調べるとともに、各プログラムの特色をまとめたりしていました。また、同時進行で病理の先生何人かに放課後や休日にシャドウさせてもらったりレジデントラウンドに参加させてもらったりと、出来る限りの経験は積みました。

年明け1月半ば位から、レジデントの枠が余っている大学が追加で募集していたので、そこで初めてダメ元ですが応募してみました。が、結果は全滅。2次募集では他にあぶれてしまった人も多いため厳しかったです。

そんなこんなであっという間に卒業、NYCでの仕事が始まりました。
仕事である程度の病理の経験は積めたのでよかったです。この時点で今年度は諦めていた為、visitの予定を立てたり詳しくプログラムの話を聞いたりしていました。留学生にとってビザの有無が生命線なので。
病理レジデントのプログラムって本当に幅広く、大学病院の横にあるのが普通と思っていたのですが、独立して病理だけがあるところ、人様のところで獣医として学ぶところなど色々なところがあるのが分かりました。
そんな中、東海岸にある大学附属の大学病院がないタイプの病理プログラムについて話を聞いてみようと思い連絡をしてみました。理由は単純に住んでいるところから車で行けるから、それだけです。
そこのプログラムからの返信はなんと
”実は今年の枠が1つ余っている、今から面談できないか”と言われました。

一応連絡を送る時は自分の履歴書を添付していたのですが、それが採用担当の教授がたまたま気に入ったようでした。

そこで急遽翌日、病理医3人とインタビュー。
突然のことでプログラムについて軽いリサーチしかしていなかったので、こちらからも色々質問しました。
大学院が付属するプログラムだったため募集要項に、”病理医と面接した後に可能性がある人は大学院に出願することをお願いしています”と書いてあったのですが
インタビューの最後に、時間ないから大学院出願しといてね〜なんてカジュアルに言われました。期待しちゃうやつですよね。
その時が5月下旬、プログラム開始は8月1日なので時間はなかったです、向こうも焦ってたでしょうね。

熱は熱いうちに〜なんていうのがモットーなので、翌日休みだったので急遽実際にvisitに行ってきました。250km、車で3時間弱だったのでひとっ飛びです。こっちの縮尺で言うと、まじで近いです。まじです。成田空港から東の聖地”サウナ しきじ”位の距離です。
朝5時に出発し8時過ぎからvisit開始、色々な偉い人と挨拶回り、インタビュー、施設見学、インタビュー、などと目まぐるしい1日を過ごしました。
感触は悪くないかなーと思っていたのですが、その翌週末に採用担当から、”君にオファー出すことにしたわ、visaとか色々間に合うように準備しといてね〜”とメールが来ました。その時たまたま両親がこちらに来ていたので大喜び、夜はステーキを食べました。久しぶりに味がしました。

そのまま週末はお祭りムード、恐ろしいことが起こるなんぞ想像していませんでした。


早くオファーレター来ないかなー仕事も辞めないとなーなんてふわふわしてましたが連絡があった約1週間後、メールが来ました。

”ごめん、やっぱ他の人で行くって決まったわ、まじごめん、なんか手伝えるこt”

これはですね、あれですね。たまにあることです。
Verbal Offerもらった後にやっぱなくなったってやつですね。
電話して色々聞きましたが向こうも意見が変わるわけないので諦めですね。
味のしない食事が数週間続きましたが、気持ちを切り替え来年度の募集に向けて準備を始めました。

が、その翌週仕事中、某州の電話番号から電話があり、むむむむむ????なんて期待をしてしまう間抜けな私。
そうです。waitlistからの繰り上げです。

採用担当のボス曰く、あらめん推し派閥と第一候補推し派閥で割れて、第一候補にした人にvisitしてもらったのだけど、対面での印象があまりにも悪すぎたので悩んだ挙句却下、てなわけでおめえの番、みたいな感じでした。あらめん推しは病理医、他の人達は別の人推しだった様なのですが結局レジデントを受け持つのは病理医、かつ採用担当が病理医だったためゴリ押し?でいけたそうでして。

ここからわかることは、採用担当(レジデンシーコーディネーター)に気に入られるのはまじで強い、てことです。それはここから先で顕著になっていきます。

そこからは本格的な大学院の審査に回されました。
ここで一つ、とても重大な問題がありました。

GPAです。

学部生時代から人生そのものと言わんばかりに気にしてきた数字、大学院になって低迷していました。
というのも、卒業したらGPAなんて見られんし大丈夫っしょ、いっぬが”成績見せろや、GPA3以下の獣医の診察は受けん”なんて言わないでしょ〜なんていう大学院受験未経験かという舐めプムーブをかましていました。まあ勉強に疲弊していた当時は将来学び直すなんて考えは全くなかったので一概にお咎めはできません。できます。
将来大学院受験を考えてる人、考えていない人全ての大学生/大学院生に告げます、GPAは高いに越したことはありません、取れ、数字。

というわけで簡潔にいうと、GPAが大学院入学条件まで届いていなかったんですね。そこでまず学部内審査が止まりました。が、なぜ低いかレターを添えていたのでそちらをフル活用してもらい(こちらでは成績が足りなかった時になぜ足りていないか、足りてないが何故候補者に相応しいか、などを追加で説明できる/しなければならない場合があります)、主に採用担当のボスのゴリ押しによりなんとか学部内審査を乗り越えました。

そこから2週間音沙汰がなかったため流石に落ちたかな〜なんて過ごしていました。まあ元々こちらの成績が良くないのでむしろ頑張ってもらってすまん、なんて思っていました。
メールが届きました、”合格!!!!!明日公式のレター発行するわ”とのこと。

嬉しさ!!よりもまずは深呼吸、レターが来るまでは絶対に認めない、厳重警戒体制です。と、ピリピリしていましたがその数時間後にレターが発行されました。アラート解除。ようやく喜びました。

というわけでとんでもなくバタバタしましたがなんとかレジデンシーを始められそうです。

ここからはテクニックでもなんでもないのですが、自分が心がけたことを記録しておこうと思います。

過去のnoteからも推測はできると思いますが自分は決して優等生、トップオブエリート道ではなくあの手この手でしぶとく生き残ってきたタイプです。
なので、これをやれば受かる、ではなく受かる確率を少しでも上げるためにやった事です。こんなことをしなくても恐らく受かる人は受かります。

毎日欠かさず情報収集をする
まずこれが今回の勝因かと思います。あらゆるサイトでジョブポストがないか確認しつつ、いつでも書類を送れるようにCVや志望理由書をアップデートしておく。

前向きかつniceな姿勢を示す
例えばvisitに行く計画が立てられない場合はonlineでもいいので顔を合わせて話を聞く、など。自分は2ヶ月で4校くらいの話を聞きました。そこの中で親しくなった人はCVや志望理由書の添削をしてくれたり、今どんなことをできるか一緒に考えてくれたりしました。あとは感触がいいなと思ったら直接会いに行ったり、気持ちあるよ〜てことを示しました。

自分のアピールポイントを最大限に推す、欠点は最小限
今回の場合は特殊ですが、正攻法で書類審査にかけた場合GPAの足切りで確実に書類で落とされると思いました。今回はたまたまラッシュだったのでラッキーですが、自分のアピールポイントは履歴書と志望理由書、後は推薦状だったのでそちらを先にガンガン送り、成績表を求められた時にレターと共に成績表、また、必要ないですが学部時代の成績表は良かったためリファレンスとして追加で送りました。

競った時の推薦状は結構大事
学部内審査で渋られた際、推薦状の内容次第で決めると明確に告げられました。病理レジデンシーの推薦者は3人、できれば病理専門医からが好ましいと言われていますが、それはその通りだったかと思います。自分は運良く病理専門医3人と、外科専門医1人の4人から推薦状をもらっていました。内容は知っていたため自信を持って頼むことができましたし、インターン経験がないという欠点を外科医からのレターでほんの少しは補えたそうです。これは個人的な意見ですが、有名な人からの関係性が薄いレター、よりも近しい人からの詳しいレター、の方がよっぽど説得力があると思います。

各プログラムで欲しい人材を見極める
レジデンシープログラムは数十箇所で受けることができます。各大学のカラーや採用担当のカラーによって取りたい人材が明らかに違うことが話してくうちにわかりました。自分の進学予定のところや、実習先だったミズーリでは、経験よりやる気、辞めなさそうなやつ、一緒に働きやすいやつを優先しているとのことです。別の所では、クラスの成績上位n%しか絶対に取らないところや職務経験やリサーチ経験、PhDの有無などを設けているところもありました。今回は自分にたまたまあったところが見つかって良かったです。

他にも書きたいことは山ほどありますが、終わらない気がするのでこの辺りで終わりにしたいと思います。

次こそは大学院受験の話を書きたいと思います。



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