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仕事に存在意義を重ねすぎてしまう

思い出のスンドゥブを食べながら、仕事と存在意義について考えてた。就活生時代、前職の面接帰りに、よく通ってた恵比寿のスンドゥブ専門店(チャメ 恵比寿店)。心なしか、スンドゥブの鍋が2回りは小さくなった気がする。ボリュームは見た目以上。

社会人何年目にもなって恥ずかしいが、いまだに仕事との距離感がわからない。真面目にやってると依存と執着で苦しくなってしまうし、突き放そうとすると適当になりすぎてしまう。中庸がわからない。バランス感とは無縁。

仕事以外にも好きなものや大切なものはあるはずなのに、どうして、己自身まるごとかけてしまうのだろう。承認欲求というレベルではなく、生きるか死ぬかの勢いで生身をさらして、職場には私の屍がたくさん転がっている。それを神の視点で見てるもう1人の自分がいる。

仕事に感情が混ざるからうまくいかなくて、それで切り離そうとするんだけど、どうやっていいかよくわかってない。仕事と似てるかわからないが、創作でも同じことは起きがちだなと思う。自分とアウトプットを重ねすぎている。

私の創作に全く興味ない人は私にも興味ないだろうし、創作に興味ある人は興味持ってくれてるんだろうなあという気はする。これくらいフラットに考えられたらいいんだけど、なぜかアウトプットと自分をそのうち同一視してしまう。賞賛されたら天にも昇る気持ち、否定されたら自分ごとなくなってしまうほど辛い。

母にも相談してみたら、「うまくいかないときも私はダメなんだ、、みたいに変な方向に考えないで。何が良かったのか・良くなかったか、何をしたらいいのか考えてみるんだよ。あなたはちゃんと勉強してきて、(出身の)大学も卒業したのは素晴らしいのだから、自信やプライドをもって。」とのことだった。

頭ではわかってるんだけど、どうやればそうなるのか全然わからない。人じゃなくてコトに向かいましょう、と、もう何度も何度も口酸っぱく言われてきたが、行動に落ちていかない。たぶん仕事以外の活動やマインドシェアが少ない状態なんだと思う。結局何してても仕事に結びつけて考えてたりする。

あまり意識下にはないけれど、仕事に依存や執着をしているのだから、仕事がなくなったら自分が脅かされると思ってるのかも。だからもう少し仕事の割合を減らして、好きなことする時間を増やして、感情を落ち着ける必要があると思う。仕事をアイデンティティじゃなくて、生きていくための手段に据えないと。

先に仕事を通してどうなりたいのか、仕事で稼いだお金で何をしたいのか、ちゃんと考えた方がいいかもしれない。就活でよく聞かれる質問の代表例だと思う。そんなものないよと、当時は思ってたけど、こうして仕事をしていると、意識せざるを得ない状況になっていく。

仕事を通して、どんなふうになりたいのかな。少なくとも、私がいちばんやりたいのは創作・文章執筆・カレーであって、仕事はそれを支えるためのあくまで手段でしかない。よほど価値観に合ってない、とかでなければ、仕事内容に強いこだわりもない。ただ、営業や接客は全然向いてないけれど、自分ができることで、貢献できればそれでいい。

仮に仕事がなくなったとしても、私は文章書けるし、カレーだって美味しく作れるし、ジンだって語れるし、というくらいにまで誇りと技術を磨き上げないといけないかも。まだそこまで到達してないから、本業に依存してしまうんだ。今年中に原稿料いただいて執筆する目標を、まずは叶えた方がいいかもしれない。

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