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もうひとつのサンクチュアリ

サンクチュアリ(Sanctuary)とは、聖域や保護区、避難所といった意味を持つ英単語。

実用日本語表現辞典



しばらくの間、私にとってそれは月いちで通うセラピストさんのサロンだった。

心が大きく揺れ動いてどうしようもない時、駆け込み寺のようにそこに逃げ込み、伴走してもらいながら揺れの原因を見つけ、見つめ、解放する。

ここ数年ひたすら繰り返しやってきた。

おかげで私はずいぶん軽くなったし、伴走者がいなくても1人で心を癒すことができるようにもなっていた。

が、しかし。

先日、久しぶりに私の中で激震が起こった。

原因は妹。

父や母への思いはこの数年でフラットになったけれど、最後の最後に未完了だった妹への思いがドーンと出てきたのだ。

彼女から来たメールをきっかけに「怒り」という真っ赤なマグマがバーン!と噴出したかと思ったら、その奥から大きな黒いドロドロとしたものがとめどなく流れ出てきた。

うわぁ、まだこんなんあったんか。

と思ったと同時に、

あ、これって自分の一番見たくない、受け入れたくない部分なんやな

とすぐに氣づいた。

いい子ぶるところ。

私のことを心配している風に見せかけて結局はマウントをとろうとしてくるところ。

自分さえよければいいという「保身」。


妹のそれらが、私にはどうしても許せない。

それは結局、自分の中にあるものを彼女が鏡となって見せてくれているだけだと頭では理解していても、心としては

あーやだやだ。やっぱキライ。
そういうとこ一番キライやねん!

となる。

そんなタイミングで昨年夏、魂のブートキャンプを共にした心の友たちに会った。

彼女たちは、冷静かつ的確に私の心の状態を紐解き、整理してくれた。

ざわざわとする私の心を静かになだめてくれた。

そのありようがありがたくて。

自然と涙が出た。

心を無防備にさらけだせる人たちがいることの安心感。

こんなにもホッとするんだと心が熱くなった。


自分の心と向き合うようになった当初、メンターに言われたことがある。

「これから本当の自分に還っていくと、あなたの周りには心から信頼できる人しかいなくなるよ」と。

その言葉は本当だった。


ありのままの自分をまるっと受け入れてくれる人たちの存在は私を強くする。

何があっても私は大丈夫なんだ、と思わせてくれる。

そんな人たち。

私のサンクチュアリ、ここにもあった。






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