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鈍感人間のすゝめ

ストレスの原因の一つとして、理想と現実のギャップがある。それに対して自分がどの程度許すことができるかでストレスの大きさが変わってくるという話を聞いた。

理想が高ければ高いほど、自分が納得することができなくなり、ストレッサーになるという考えもあるし、目標は高くても「しょうがない」とわりきれればそれでことが収まるという考え方もあるが、、。

「どうしてできないんだろう」という自責の念なのか、「何で思い通りにならないんだろう」というやり場のない思いなのかは人それぞれだが、「ここまでは絶対大丈夫」とか「これくらいなら許容範囲」を超えてくる出来事に対して、「まあまあ、そういうこともあるよね」と受け流せる人間は、きっとストレスを感じることなく物事を対処できる大きな器の持ち主だと思う。

全てに対してそういうわけにはいかないが、何事にもそのような「スルーする力」はかなり重要な能力だと感じている。所謂鈍感力というやつだ。

かくいうわたしは、全て受け止めるタイプの人間なので、他人に言われたことは一字一句理解しようとしてそれはどういうこと?と常に頭の中で何かを考え、あーでもないこーでもないと咀嚼して飲み込んでから返答する。家に帰ってもあれはどういうことだったのかな、、と再考することもあるし、あの言葉は言わない方がよかったな、、と1人反省会をしたりすることもある。

こんな人間なので、うれしいニュースには喜び、悲しいトピックにはひどく落ち込み、まるでジェットコースターのような曲線を描くであろうわたしの情緒。正直しんどい(という堂本剛の番組が昔あったな、、懐かしい)

全て左耳から入れて右から受け流せていれば、きっともっと楽に生きていけると思っているのだか、生まれ持ったものなので、付き合っていくしかないのだけれど、これは努力次第でどうにかなることなのだろうか。

どうでもいいことは考えない、とシャットアウトしてしまえばいいのかもしれないが、そうするとギクシャクしてしまうし感じが悪くなって、わたしがわたしではなくなるのか?と考えてしまうこともしばしば。

ちがうちがう、そうじゃない!という声が聞こえてきそうだが、「気にしなきゃいい」というのはなかなか難しい。

そもそも、脳は否定的な言葉を考えないということが不可能だという話を聞く。例えば、「アイスクリームをイメージしない」と言われてもイメージしてしまうのが道理である。

「気にしない」というのは、やっぱり難しくて、苦しい。

けれど、それをいじいじうじうじいつまでもこねくり回していてはどうにもならないので、「気にしないふり」をして回避する力はこれまで生きてきてつけたスキルである。そして、まわりからはストレスフリーで意外とあっけらかんとしているという印象をもたれているからわたしはすごい(ドヤア)褒めて。全力で褒めて。

そうやって、辛いことも、できないことも、たくさんあった様々な出来事も乗り越えてきたんだから。

自分の感情に振り回されながら、でも人生の要所要所でたくさんの感動や嬉しさ、美しさや優しさに触れてきたんだから、こんな自分のことも、少しは愛してあげてもいいかなと思える。

最近『チーズはどこへ消えた』というスペンサージョンソンの本を読んだ。いつまでもチーズがそこにあるわけではなく、食べつづければいつかは消えてしまう。その当たり前の事実に気付き、変化を受け入れ楽しむことが大切だと書かれていた。

わかってる。そう、簡単にできたら悩まないんだけどな(ぼそっ)

と、最後なげやりになってしまったのだが、物は考えようなので、うまいこと自分の中でつつがなく流れていくよう意識していくことは必要だなと感じた。『チーズはどこへ消えた』を読んで、気持ちが楽になったのは事実。鈍感であれ、と自分に言い聞かせながら、この本との出会いに感謝して前進しよう。

終わり(いや、ここから始まるのかもしれない)

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