見出し画像

WAVEは、かつて確かにあったのだ。

かの林伸次さんが以前に池袋WAVEでアルバイトしていた、というnoteを拝見し、居ても立っても居られなくなってしまった!

私はWAVEの末期の華々しき頃、大宮WAVEでアルバイトしていたから。

その頃には、林さんの仰っていたようなエッジィなWAVEではなく、マジョリティに迎合しながらもかつてのWAVEの幻影を背負いこんだ過剰な自意識を捨てきれずに、隆盛を極めていたミュージックストアの末席にちんまりと存在しながらも、外資が進出してきていない一大商業圏・大宮においては、それでもなお名を轟かせていた。

林さんがアルバイトされていたのは、イルムスの向かいにあったころの池袋WAVEと思われるけれど、私が初めて訪れたのは、恐らく西武の上層階に移転する少し前の頃。

当時は山野楽器にいて、ヒットチャートとaccessと演歌を重んじる買い付けに嫌気がさしており、山崎洋一郎編集長の大判のロッキンオンジャパンを読み漁り、見逃した映画を文芸坐で観てはWAVEで目新しい日本のバンドはないか探していた。

池袋といえば、オンステージヤマノもあったけれど、シアターブルックの佐藤タイジさんがアルバイトをされていたりなんだりで、同じ会社なのに敷居が高かったから、もっぱらWAVE派だった。

大宮WAVEに話を戻そう。
WAVE自体はそれまでの勢いはなくなりつつあったが、地域1番店のスタッフとして、充実した日々を送っていた。映像ソフトの担当で、ディスプレイを凝ったりオススメ作品にPOPをつけたり。沢山の仲間に恵まれ、人生に大きな影響を及ぼす出会いもあった。

私が辞めた随分後だけど、配信がメインストリームになるにつれ、ミュージックストアはどんどん苦境に立たされ、他のストアのように持ち堪えることができずに、懐かしいふるさとのような大宮を最期にWAVEはなくなってしまった。

そして昨日。

林さんのWAVEのnoteを拝読し、同じくWAVEにいた夫と衰退の理由について話してみた。
外資系の進出に伴い、国内の主要ミュージックストアのバイヤーは次々とヘッドハンティングされていたから、やはり人材の流出を食い止められなかったことが大きく、恐らく輸入盤の仕入れルートの違いによる利益のあがり方の差などもあるのでは?etcやいのやいのと。

末期の華々しき大宮WAVEにおいても、頭角を現していたバイヤーはおり、それが『雨と休日』の寺田氏。

寺田くんはタムラミドリさんのnoteで紹介されていたことがあり、今回WAVEのことを色々考えるうちに、林さん・タムラさん・寺田くんと少しずつリンクしていて、やっぱり、WAVEって凄い磁場だなぁと実感した次第!
noteもね!

よくわからない話にお付き合い、感謝です。

#林伸次さん #タムラミドリさん #雨と休日 #WAVE

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?