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猫とそだつ ミーがおしえてくれたこと

1歳の息子はわたしの第一子、なので兄弟はまだいません。

ですが、、「おねえちゃん」がいるような気がしています。おとうとっぽいけど、「おにいちゃん」も。

それはわが家の4歳(ミー)と3歳(ボン)の2匹の猫たち。

猫はきょうだいじゃないでしょう!
という感じですが、なかなか侮れないのです。このふたりの存在。

ベビーベッドの試し寝をしてくれていた


息子が産まれてから初めての育児がはじまり、産後うつになったり、家事が思うようにできなくなったり、もう自分のこともままならない、わけのわからない状態になっていたわたしは、当初、猫のミーに当たってしまうことがありました。

もともと、ごはんをくれとか、トイレを掃除してとか、わりと人間への要求を言葉(ニャー/ガリガリ)にするタイプのミーなのですが、産後はこれがとてもとてもつらかったんです。

ようやく子どもが寝そうなのに、ニャー
ちょっと一緒に寝ちゃおうと思ったら、ガリガリ
つかのまお茶を入れて座ったところで、ニャー!
・・・。

ミーのせいではないことはわかっているのだけど、前のようには動けないし動きたくないわたしの気持ちなど考えてくれません。お母さんちょっと疲れてるからごはん1時間待とう、なんて言ってくれません。これがヒトの大人だったら、話し合うこともできるでしょうが、話したとてミーの要求はかわりません。

欲しい、と思ったら言う(鳴く)。

ニャー!!

ジロリ

そんなふうに、ミーはいつも通りなのにわたしに余裕が皆無になってしまっていた、産後数ヶ月。ボンはもとから一匹狼風の猫なのであまり気にかけていなかったのですが、猫たちとの関係が希薄になってしまった感じがして、ミーには子育てのイライラもぶつけてしまうようになって、飼い主失格だ、とものすごく罪悪感を感じる日々でした。

そのときのイライラの根本的な原因は、子どもの睡眠トラブルだったと思います。よく寝ていた息子が、4ヶ月頃から頻繁に夜起きてしまうようになって、お昼寝もぜんぜんできない、寝かしつけに1時間もかかる、みたいな時期で、わたしのストレスは爆発寸前でした。

あるとき、母がSOSに気づいてくれて、そこからいろいろなことが好転していくのですが、その時期にハッと気づいたことがあったんです。

もし、息子の上に子どもがいたら、こんなふうに当たってしまっていたんじゃないか・・・?

そう、もし息子が第二子だったら、上の子が「お母さんかまって!」って言ってくるはずで、相手をしてあげる余裕のないわたしはミーに対するのと同じ態度を「自分の子ども」にとってしまっていたんじゃないか?

そして、ミーはわたしに余裕を持つことの大切さをおしえてくれたんじゃないか??

自分の子どもはまだひとり目なのに、こんな学びをさせてくれたミーは、ものすごくありがたい存在なんじゃないか?!

このとき、自分のなかですごい衝撃があったのを覚えています。
「ありがとう」「ごめんね」「ごめんねごめんね」「ごめんね・・・涙」

はたから見ているとあたりまえのことだろうに、気づくの遅くて、ごめんね・・・。

このことがあってから、自分の周りで起こっていることに対する向き合い方がすこし変化したのを感じます。わたしの思い通りに行かないときや、自分の感情をコントロールしづらいとき、すこし立ち止まって「この出来事にはどんな意味があるかな?」と問いかけることができるようになったんです。夫や子どもや猫のせいにせず、自分の心と向き合う。そんなマインドフルな子育てをできるようになってきたのは、このときのミーのおかげです。

わたしのせいで猫たちにはさんざん苦労をかけてしまいましたが、息子とミー・ボンはいまでは大の仲良し。特にミーは、いつもそばで見守ってくれています。

追っかけまわす息子(5ヶ月頃)


いつも近くにいるふたり


ぐずりやすい夕方は猫を鑑賞させていた


「子育て中にペットがいると大変」という話はよく聞きますが、それは、それは、大変だと思います。兄弟がいるのと同じくらいに!でも、たくさんのことを教えてくれているんだなと感謝できれば、母として2倍も3倍も成長できるのかもしれない、といまでは思います。

そのあともミーの要求鳴きは続いていますが、わたしも爆発したりせず、たまに喧嘩しながらも仲良く過ごすことができています。

家族でいるって、相手がヒトであれ猫であれ、大変なこと。だけど、みんながいるからわたしは嬉しい。

子も、猫も、今日もわたしと一緒にいてくれてありがとう!

ミーとボンがぼくは好き


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