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オッペンハイマー

見てきました。
登場人物が多く、展開も複雑なので作品内で「〇〇はどうした」とか出てくると「え、それ誰?」みたいにはなりました。見終わってから考察や相関図などを見て復習してやっとわかった人物もいました。

ただその複雑さを超える魅力は確かにあります。前評判で「これは反戦映画だ」というのを幾つか目にしましたが、わたしはそれは違うと思いました。かと言って「戦争賛美」でもない。これはただオッペンハイマーという人間を冷徹に見つめた作品だと感じました。

原子爆弾の開発についてわたしはほとんど無知だったので当初はナチスドイツへの対抗武器として開発を進めたことも初めて知りました。オッペンハイマーが「とにかくナチスが開発する前に完成させなければ」と焦るシーンがありましたが、なるほどと合点がいきました。ナチスが先に開発に成功してしまったら、連合軍にもう勝ち目はなかったかもしれない。

しかしいくら焦って、とは言っても巨額を投じて何もない荒地に一つの街を作り、科学者を集め、開発を急がせるこのアメリカのやり方は凄すぎます。そして実際3年という短い期間に完成させるのですから、これ自体はなんかもうコメントのしようがないほどの偉業です。

ただその偉業が大量殺人兵器の誕生だったわけで、しかも完成に近づいた時にヒトラーは自殺。当初の目的には使用する必要が無くなったわけです。大体日本だってもうこの時点で戦争に勝つ見込みなんて無いことはアメリカはもちろんわかっていたでしょう。つまりは新型兵器のお披露目をしたかった。わたしにはそうとしか思えませんでした。

そしてそのお披露目で絶大な威力が証明されると、今度は軍拡競争になる。ソ連は水爆を完成させた。もっと強力なもっと多くの人を殺せる兵器を作らなければ。

「抑止力のために」

最近よく聞く言葉ですね。

抑止力

本当にそうなんだろうか。新型を作ったらまた「お披露目」をしたくなるんじゃないだろうか。

もっともっともっと

一体どこまで?

そんなことを考えました。

さて一時は時の人となったオッペンハイマーですが、その後「共産主義者でソ連のスパイ」というあらぬ疑いをかけられます。アメリカのために心血を注いで原子爆弾を作ったのに? ありえない。

でもそういう荒唐無稽な訴えが真面目に取り上げられるくらい、その当時、アメリカ社会は共産主義を恐れていた。あの人もそうじゃないか、この人だって怪しい、という「赤狩り」が嵐のように吹き荒れていた。

気の毒だな、と思ったのは結局オッペンハイマー自身は学者なわけです。政治的な駆け引きなんてものは全く無縁だったしおそらく興味もなかった。それでもその嵐に巻き込まれてしまう。そこにプライド傷つけられたオジサンの復讐心とかいろんなものが絡みつく。

彼が水爆の開発に否定的だったことが一体どういう理由によるものなのか。反戦なのか道徳的思想なのか、それともソ連を有利にするためなのか。それがこの映画のいわばテーマだとは思いますが、これは見た人がそれぞれ感じることじゃないかな、と思いました。作品の中では「これだ」という決めつけも主張も一切描かれていない。でもこの描き方がこの作品を重厚にしていると思いました。

オッペンハイマーを罠に嵌めようとするストローズ(Rダウニー・ジュニアが好演)にしても人間は裏表という2面だけではない。いろんな面を持っています。だからこそ「この人はこういう人です」なんてひとことでは表せない。作品の中でできることは、できるだけ多くの面に光を当てて見せることだけなんじゃないかな。

わたしが印象に残ったシーンは2つ。

ひとつは開発が終わり、爆弾が運ばれて行ってから
「私もワシントンに行こうか?」
と尋ねるオッペンハイマーに准将が
「なんのために?」
と答えるシーン。
オッペンハイマーは自分が開発の責任者だから見届けるのが当然だと思ったけれど、政府や軍にとってはただの「駒」。使える道具を作った、というだけ。「お前の役目はもう終わった」というのが「なんのために?」という短い言葉にはこめられている。それを瞬時に悟ったオッペンハイマーの顔がみるみる青ざめる。名シーンだと思いました。

もうひとつは原子爆弾を実験で炸裂させるシーン。もしこれがエンタメ作品ならここで「やったー! 成功だ!」とカタルシスを感じるシーンなのでしょう。でも見ていてただひたすらに悲しかった。つらかった。この映画の中で唯一涙したシーンでした。

映画はアインシュタインの言葉で終わりますが、決して納得できないし、もちろんスッキリもしません。

でもこの映画は見る価値があります。

それだけは確実に言えることです。

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