2021/07/19~24

五輪開催のゴタゴタでネットの空気が最悪になり、ネットからの情報を遠ざける生活を送る。五輪が始まれば騒いでる国民も黙るだろうなんて舐めた発言を首相にされながら、まさにそのとおりに開会式で騒いでるタイムラインに唖然としたけど、こんな時だからエアコンを掃除したり、ダンボールをまとめてゴミに出したり、本を読んだり映画を見たり。いつもの自分の生活をやっていくしかない。

今年の夏アニメを2本見る。

サイダーのように言葉が湧き上がる

この映画のビジュアルを見てパッと目を引くわたせせいぞう的な、と書こうとして、落ち着いて調べてみたら下記のインタビューを見つけた。

わたせせいぞうみたいな80年代風と一口で言ってしまいそうになるけど、アメリカのポップアート、スーパーリアリズムが永井博経由でわたせせいぞうの作風に影響を与え、日本のイラストレーション、漫画界に入ってきたという流れなのか。

いきなり話が横道に逸れた。

という雑なメモをツイートしたんだけど、あらすじは俳句好きでヘッドホンで外部を遮断しがちなチェリーと、出っ歯にコンプレックスを抱えてマスクで隠す人気配信者のスマイルが出会うボーイミーツガールものである。

だけど、印象的だったのはその物語を構成している舞台設定だった。

そもそも高齢者の介護を扱うだけでもアニメ映画として珍しい部類だが、今作ではショッピングモールにあるデイサービス事業所が舞台になっている。

母の代打でデイサービス事業所でバイトする主人公が、俳句好きなことから彼らと交流して、それがやがてスマイルとの馴れ初めにつながっていく。ショッピングモールにデイサービス事業所が、という話だけでも取材がないと書けない話なのだが、デイサービスを利用する高齢者が句会を開き、モール内を練り歩いて俳句の題材を探すというエピソードにリアリティを感じた。

そしてデイサービス利用者の一人、フジヤマが本筋に大きく絡んで話が動く。彼が無くしたピクチャーレーベル盤を探すために、チェリーとスマイルが協力してそのレコードの素性を探し当て、彼がかつて経営したレコード店にあるすべての在庫をディグる。モールの土地自体がかつてレコードのプレス工場だった場所で、フジヤマと奥さんの馴れ初めの場だったという歴史も明らかになる。

他にもブラジル系?移民の子が苦手な日本語の書き取りの勉強だといってチェリーの俳句をモールや団地にタギングしている話も印象的だった。

これらの、ショッピングモール、高齢者介護、レコード、団地、タギング、そして俳句といった要素がクライマックスの盆踊りでライムとなって結びつきエンディングを迎える。

見た目の1980年代テイストとは打って変わって現代日本の風景が描かれ、かつ過去の歴史と結びついてリバイバルされる。牛尾憲輔の劇伴が相まって、淡い恋とショッピングモールの風景がMVのように一本の映画に封入される。今物語で語られるべき題材を的確に捉えて、幅広い層に向けてきれいにパッケージングして送り出されたいい作品だと思った。

延期に次ぐ延期で、タイミング的に竜とそばかすの姫に隠れてしまった感のある本作だが、宣伝の青春ラブロマンス風な予告編に怯まずに見に行って正解だったと思う。

竜とそばかすの姫

予告編の情報を見たところ、細田監督の過去作、ぼくらのウォーゲームやサマーウォーズにディズニーの美女と野獣をかけ合わせた作品のように見えた。仮想現実パートはピクサーのように3DCGで描きわけて、歌を題材にしてアナ雪のような、と見ていくとマーケティング戦略のような…と思ってしまうところもあった。

だが実際のところ完成した作品を見てみると、結構とっ散らかった出来になっていた。サマーウォーズどころか、時かけのような男女の三角、四角関係が出てきたり、おおかみこども、バケモノの子のような親子関係の話が出てきたり。細田監督の手札を全部出して、美女と野獣的なモチーフを使って再編集し、切り口を変えてみせようとする目論見。海外クリエイターに依頼したというパートも見られたが一本の映画としてそれらがきちんとハマって効果を上げていたかというとそうでなかったと思う。もっとやりたい事、見せたいパートが整理されて提示されればなあ。そう思った。

ただ、それでもラストで鈴がベルのアバターを捨ててUの世界で自分の姿を晒して歌うシーンのクオリティは高かった。そして、終盤になって突如明かされる、竜の正体が虐待を受けている子供だという事実。Webカメラ越しに発見されるそのパートだけが突出して異様な重さを放っていた。

細田監督が描く親子関係の歪さ。おおかみこどもであえてオオカミというメタファーを使って表現した人間の動物としての野生と狂気。バケモノの子で終盤に唐突に描かれる一郎彦の闇。一見親子愛を描くヒューマニスト的な語りで反感を買う細田監督だが、その実、子育てというものの危うさ、虐待やネグレクト、隠れた支配関係等を見据えている人だと思う。今作でもその姿勢はブレていない。

作家が一生のうちで使えるテーマやモチーフはそう多くないし、それを繰り返し語ることに自分は抵抗を覚えない。ガンダムやエヴァは一体何度繰り返されていることか。だから細田監督の今回の棚卸しと変奏のような挑戦もネガティブなものだとは思わなかった。そして、むしろネットの向こう側に隠れる暗い世界への想像力を表現しようという姿勢が評価できると思った。

細田監督作品は度々構成が歪な作品を作ると思うが、その歪さにこそ作家性が宿っている気がしてならないと毎回思う。





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