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マトリックス レザレクションズ

一昨年公開されたマトリックスの第四作、「マトリックス レザレクションズ」をamazon primeで見た。まだ有料だが、何だか半額になっていたので、ちょっと見てみるかと思って。

マトリックスは第三作の「マトリックス レボリューションズ」で、キアヌ・リーブス演ずるネオがスミスとの死闘を通じて死んだ、と言うのが私の考えだった。アメリカ映画で比較的共通するパターンであるが、主人公が命を賭けて戦い、勝利して、そして世界を救う、と言うプロットに乗っていると思う。これは仏教もそうだが、キリスト教で顕著である「自己犠牲心」に則している。幼稚園卒園時に貰った聖書にも、ヨハネによる福音書に「人が友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」と書いてあるが、それがこれに相当する。

ただ、キリスト教では「精神は永遠の命を得る」と言う考えがあり、続編が作られるとしたらこれが用いられるだろうと思った。精神だけは電脳空間にプログラムとして残る、と言うことで、イメージ的にも親和性があるし。

一般公開終了後も、「いつか見るだろう」と思い、ネット上などで知ることの出来るあらすじの類も一切見ていなかったのだが、今回見て、その設定が自分の予想外であることが分かった。何とネオどころか、トリニティーまでまだ生存していた、と言う設定なのだ。あの戦いの後、何とマシンがネオとトリニティーを医術で蘇生させ、マトリックスに再度接続させていたのである。

自分の期待はあくまで「精神体として永遠の命を得た」と言う設定だったので、なあんだ、と思ったものの、科学技術が今よりも進んだ世界では、これはこれであっても良い設定かな、とは思った。

主人公であるキアヌ・リーブスや、トリニティー役のキャリー・アン・モスは、各々勿論年を重ね、ちょっと老けて変わったが、この映画で一番変わったのは監督や製作を担当するラナ・ウォシャウスキーだろう。何と、年を重ねただけでなく、性別まで変わっているのである。

映画そのものの評価は、前までの3作に比べるとそれほど芳しくないと言うのは聞いていたが、この世論は確かにそうかなとは思った。前3作は20年以上前の作品で、当時としてはネットワークの世界がそれ程一般的ではなく、かなり前衛的に未来の科学技術の姿が描かれていた感があり、その点での衝撃も大きかったと思う。一方、今作はこの20年で世の中が随分進んだことを実感するような感じがあり、劇中で描かれていることも、ある程度現実味を持って見ることが出来ると思う。今やメタバースが実現していて、視覚と聴覚を通じてであるが、ネット世界への自身の接続が、不完全ながら出来るようになっている。現実世界でもようやく「空飛ぶ自動車」や「AIによる全自動運転」などの開発も衆目に晒される感じになっているし。

上記に加え、物語が結構優しくなったような感じもした。過度な暴力性や破壊性は前に比べると見られず、ウォシャウスキーの人間としての精神的な成長から来る円熟味から、作られ方がマイルドになったのだろうか、と言う感じがした。前3作にある、尖ったような刺激性は殆ど感じられなかった。

と言うことで、案外興奮もなく、落ち着いて見終わった感じなのだが、さらなる続編作るのだろうか。ネオもトリニティも完全に復活したどころか、救世主としての覚醒もしており、設定上は続編が全然出来るようになってしまった。前3作で終わったままでも、全然良かったものの、現実感を持って振り返れば、この世は永続的に続いていたわけで、後日談的に本作が作られたと言っても、悪くはないと思う。これは決して良いと言っている訳でもない。

全体の感想を一言で表すと、「普通」だった。この映画を「普通」と思えるほど、この20年で、この世界はかなり変わったということを、改めて実感させる映画だった。


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