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僕は崖から飛び降りた

アメリカの小説家であり詩人であるポール・オースター氏が亡くなった。現代文学のうち、おそらくこれまでに私が最も作品を読んだ作家だった。作家の死亡日は2024年4月30日、ニューヨークまで会いに行くほど作家に傾倒していた、ある友人の命日の前日だった。

学生のころ、私は演劇に夢中だった。大学では大所帯の演劇グループに所属したものの水が合わず、気の合う友人6人で小さな演劇集団を作った。私を含むメンバーは(演劇をするほどには)文学青年であり、感銘を受けた本を読んでは、夜通し誰かのアパートで語るという、大変古風で愛しい日々を送ったものだった。思い出すと恥ずかしいことも多々あるが、私たちはとにかく青くて真剣だったのだ。その頃に出会った本がポール・オースターのいくつかの作品だった。答えのないものを捉えようとする観念的な私たちに、一つの指針を示してくれるような作品だった。

冒頭の友人はそのメンバーの中学時代からの旧友で、大学卒業後もしばらく続いた我々の集まりに、たまに顔を出すようになった。フリーランスの戦場ルポライター、絵描き、そして詩人だった。彼は心優しくて誰にでも紳士的だったが、その内面まではあまり人に見せることはなかった。ただ、彼の発する言葉は繊細で強く、彼の描く絵は心を打った。

戦争の爪痕が深く残る地から帰った彼は、その後ほどなくして心を病み、さらに何年か後に共通の知り合いから彼が自ら命を絶ったと聞いた。彼はよく晴れた5月1日、崖から飛び降りたのだと。その最悪の知らせは私を動揺させたが、少し経って落ち着きを取り戻すと私はポール・オースターの作品の一節を思い出していた。

I had jumped off the edge, and then, at the very last moment, something reached out and caught me in midair. That something is what I define as love. It is the one thing that can stop a man from falling, powerful enough to negate the laws of gravity.

僕は崖から飛び降りた。そして正に最後の瞬間に、何かが腕を延ばし僕を空中で捕まえたのだ。その何かを僕は愛と定義する。重力の法則を無効にし、人を落下から止めるほどに力強い唯一のものだ。

ポール・オースター 「ムーンパレス」
(訳は適当)

彼と音信が途絶えてから既に何年も経っていたため、彼の死に、彼の生に、自分が関与できたかもしれないと考えることは非礼であり、濁った感傷だ。ただ、彼にその「何か」が腕を延ばして彼を捕らえることがなかったのだという、そのことを、今でも繰り返し考える。

ポール・オースター氏と友人へ、遅ればせながらの追悼の意を表して。

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