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知ること、と考えること、と

僕はいま、三重県と長野県の二拠点で生活をしている。田舎と田舎の二拠点生活。どちらも田舎なので結構不便。5(三重):5(長野)くらいの割合で行ったり来たりしている。 田舎でも、都会とは割とダイレクトに繋がってたりするんですが、田舎と田舎というのはアクセスがよくない。三重から長野の場合は電車とバスを乗り継がないとたどり着かない。車だと3時間半くらい。電車とバスだと6時間くらいかかる。 

長野県では、「株式会社やまとわ」という会社でディレクターをしている。このやまとわが何を目指して、何をしている会社かというと、 「森の入り口から出口までをデザインして、森の価値を高める」ということを目指している会社。 そして、森や地域に関わる生業の価値が高まることで「森で食べていく」、「ローカルで生きていく」が当たり前になる未来を作っていこうよ、という感じです。

 話が少し横にそれますが、最近「知ることと、考えること」の大切さをとても痛感するのです。 知ること、考えること。

 京都府綾部市で平飼いで養鶏と軍鶏を育てている蓮ヶ峯農場さんのアートワークのお手伝いしている。蓮ヶ峯農場 代表の峰地さんと打ち合わせをしているととても面白い。 鶏のエサのはなしや飼い方、鶏の内蔵の話。何を聞いても裏付けされた知識と理念がマッチした回答が返ってくる。 

「僕らの目指す鶏飼いは、こう。そのために、この方法を取り入れる」ということがとっても明確。とても気持ちがいい。話をしていると、「うわぁそれは美味しいわけだ」と思わされる。 それで、じゃあちょっと卵かお肉を買って行こうかしら、と思ってみるけれど、ダメなんです。

今日の分の売り先はすでにあるので、急に言っても買えない。峰地さんをみていると何かを売るというのはとても楽しいことに思える。 理念と方法が一致しているから、人に伝わる。 その源は、きっと知ること、と考えること。 どんな職業でも同じだと思う。商品のこと、サービスのこと、その先にあることを知らずに、人に話すことはできない。

知っているだけでもきっとダメで、それを自分なりにどれだけ考えるか、が大切だ。 峰地さんは、命を命として扱う、ということをとても大切にしている。鶏の本能のことをよく知っている。鶏は砂浴びが好きとか、寝るときは止まり木止まって眠るとか。鶏飼いからしたら当たり前のことなのかもしれけれど、その本能を大切にするために、どうするか、までをデザインしているのだ。 方法は、知ること。理念は、考えること。この二つが噛み合ったとき、モノコトを売るのはとても楽しくなるんだと思う。 やまとわでは、地域材の伐採から、家具デザイン、製作までを行っている。 知ることはたくさんある。大学では林学を専攻していたので、少しは知ったつもり、だった。でもまだまだ違う。全然違う。僕もまた、知ることを見つめる。


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