平成旅情列車② 能登半島一日縦断

能登半島一日縦断

     行先変更

 能登半島は広い。広いと言うよりは長いと言った方が正確だろうか。
 2000年の八月の下旬のことだった。帰省ラッシュの時期を外して休暇を取った私は、二泊三日で南九州に行こうと計画を立て、九州に行く寝台特急の指定券を買った。宮崎県の高千穂鉄道に乗って高千穂に泊まり、翌日はバスで阿蘇の方に抜け、熊本県から福岡県を旅して、帰りは新幹線で帰って来ようと考えた。帰りを飛行機にしなかったのは、行きあたりばったりで動きたいからだ。
 しかし、予定とは時として崩れてしまうものだ。
 仕事終わりの夜に横浜駅に向かった私は、そこで寝台特急の運休を知り、指定券の払い戻しをして行先を変更した。九州は台風だったのだ。
 翌日の夜、私は上野駅から金沢行き寝台特急北陸で能登半島を目指していた。

     七尾線

 夏の行楽期間の割に寝台特急の車内は混んでいなかった。だから乗車日に指定券が取れたのだともいえる。東京から北陸くらいの距離だとそこまで長距離ではないからか、安い高速バスを使う人が多いのかもしれない。
 私が乗っているのはB寝台のコンパートメントで、二段寝台が向かいあっている席だが相席となった人はいない。この手の車内は相席となった人と会話が発生したりするものだが、そういったことはないままに朝を迎えた。
 早朝、目が覚めると列車は既に石川県に入っているようだった。あまりよく寝られないまま、車内放送がもうすぐ終点の金沢であることを告げているのを聞いた。
 上野駅を出てから六時間三十三分が経過した6時03分、金沢駅のホームに寝台特急北陸は到着した。まだ人気のないホームに降り立ち、とりあえず改札を出て売店によってから新聞だけ買ってホームに戻ってきた。
 これから乗るのは七尾線という路線で、能登半島の南東を走る。沿線には和倉温泉という観光地があるので、関西から特急が和倉温泉まで乗り入れている。そのため、ローカル線ではあるのだが電化もされている。
 7時12分に金沢を出ると、空いている普通列車は田園地帯を走っていき、七尾市の中心駅である七尾には8時24分に着いた。ここで第三セクター鉄道「のと鉄道」の列車が十四分の接続で待っている。のと鉄道は能登半島北部まで走っているローカル線で、電化されている七尾線に対して、こちらは非電化だ。このローカル線に今日一日お世話になる。
 七尾までは農村の田舎風景だった車窓は、次の和倉温泉で温泉ホテル群を迎えた。路線戸籍上はここからがのと鉄道の区間となるが、不思議なもので和倉温泉を過ぎると車窓も鄙びてきた。
 右窓に日本海が現れ、松林の海岸を往く列車となった。西岸駅から海岸線に沿い始め、青々とした海が近くなる。能登鹿島駅という海のそばに立つ桜並木のある無人駅では上り急行とのすれ違いで十三分停車した。降りて散策したくなる駅だが、先は長い。
 9時33分、のと穴水で降りた。輪島方面の路線が分岐する駅で、二十五分後に発車する輪島行きに乗り換える。時間まで駅の待合室に出て、窓口でフレッシュカードというのと鉄道のプリペイドカードを購入する。桜と「恋路号」という列車の写真がデザインされている。このカードを使って、輪島までの運賃五百八十円と急行券百円を支払う。次に乗る列車は急行だった。
 やってきた急行は国鉄時代に全国のローカル急行で活躍していたキハ58系の二両編成で、のと穴水を9時58分に出ると低い峠にさしかかっていく。車内は割と混んでいるが、沿線は小駅ばかりで人家の少ない風景となっている。10時28分、低い台地を背景にした町中に築かれた輪島駅と周辺は、観光地らしい整備された歩道と商店が並ぶ町並みだった。
 輪島は朝市で有名な町で、駅前通りから港に向かっていくと海岸近くの細い道で朝市が開かれていた。
 並ぶテントでは主に魚介類が売られ、食欲をそそる香りも漂っている。あちこちで魚や貝を焼いていたのだ。私は朝食がまだだったから、焼きたてサザエを三つ刺した串焼きを三百円で購入した。美味しかったのは、海を眺める立地と空腹だけが理由ではないだろう。
 遅い朝食のあと、のんびりと海を眺めた。急ぐ旅ではない。能登半島も長い。空は夏の青さに染まり、木陰にいると気持ち良さから眠くなってくるくらいだ。少し休んだあと、駅に戻りながら町歩きをして食堂に入ってカツカレーを食べ、駅の近くの古びた喫茶店でビールを飲んだ。

     のと鉄道能登線

 輪島駅を13時35分に発車した一両のワンマン列車は空いていた。観光客は急行を選択するのだろうし、そもそも観光客でローカル鉄道を足として使う人は少ない。
 行きに乗った急行は三十分ちょうどで輪島に着いたが、帰りの普通列車は三十一分でのと穴水駅に着いた。
 のと穴水は七尾線と能登線が分岐する駅で、のと鉄道にとっての要衝というべき駅だが、駅舎は小ぶりで町もさして大きくはない。地図で見る能登半島の長く突き出した姿は、真ん中あたりで大きな湾が切れ込んでいるが、穴水はその切れ込んだ湾の北端の町だ。
 列車は再び海岸沿いを走り始める。七尾線区間に比べ、地形が入り組んでいるため、集落はだいたい入江の近くにあり、海が近づくと駅が現れるという沿線風景となっている。九十九湾という地形を表した地名もあり、入江の漁村といった趣きを眺めながら、列車は北進している。
 駅名で企画入場券が売られている恋路駅あたりから海岸沿いとなり、やがて珠洲(すず)の町並みに入っていく。能登半島の先端が右に折れている部分の下側の海岸線が珠洲市で、珠洲駅から二駅目が終点の蛸島(たこじま)。15時56分、集落のはずれの農地に立つ片面ホームに列車は着いた。穴水から61キロ。寝台特急北陸から金沢駅に降り立ってから九時間半ほどの時間が経過していた。
 ここまでかかった運賃は、金沢~和倉温泉(JR七尾線)が千二百八十円。和倉温泉からのと穴水が六百六十円。のと穴水から輪島が急行券百円を含む六百八十円。輪島から蛸島までが千七百二十円。能登半島は長い。

     珠洲

 真夏の太陽は少しずつ夕方の優しい色に変わり始めた。蛸島に来るまでに車窓でさんざん海岸を眺めてきたが、やはり海が見に行きたくなり、小さなコンクリート駅舎の無人駅の前から伸びる細い道を歩く。駅のホームは畑に囲まれた牧歌的な立地だったが、駅から海までの道は漁村風景を往く。古めかしく高さのある蔵を持つ家が目立つ。蛸島の細道は、かつての繁栄を偲ばせた。
 高台に上がって漁港を見下ろしたりしたあと、17時19分の列車で終着駅蛸島を折り返した。あまり人とすれ違わず、駅も車内も人が少なく、長い半島の先端の駅には最果てらしさがある。名残り惜しい気持ちで再び珠洲の町にやってきた。今夜は珠洲に泊まる。
 17時28分、列車は珠洲の一駅先にある飯田駅に着き、私は片面だけのホームに降りた。飯田は珠洲の町の端ではあるが市役所と港が近い。だが、駅は斜面の中腹にあって木々に囲まれた無人駅で、町の中という雰囲気はない。
 珠洲市は、この辺りでは唯一の市制を敷いている町で、確かに能登線の沿線では一番大きな集落だった。まだ宿は決めていないが、なんとかなるだろうと思いながら、電話をかけていく。予約ができた宿は飯田駅のすぐそばだった。集落の背後にある小山の斜面が海岸沿いの平地となる境に飯田駅があり、そこから集落に入ってすぐに予約した旅館はあった。

 南九州に行く予定が天候によって変更となり、急遽出かけた能登半島での一日が暮れ始めてきた。思い返せば、海岸を見ていることの多い一日だった。珠洲でも海岸に向かっている。海岸までの道には代々続いていそうな立派な造りの民家が目立ったが、海岸近くには大きなショッピングセンターが立っていて、そこだけは、よくある地方の町の風景になりかけている。そんな平成の町風景を眺めているうちに、太陽はあっという間に空から消えていった。
 旅館の周辺には飲食店らしき建物は見当たらなかった。投宿した際に女将さんに相談すると、近くの店を推薦してくれた。
 その店内はスナックといった雰囲気で、初老のママが一人で切り盛りしていた。カウンターに腰を下ろし、旅館に紹介されて来たと説明し、神奈川県から来たと言うと、「遠路はるばる珠洲へようこそ」とママは歓迎してくれた。とにかく魚介類が食べたいとリクエストした私の前には、次々と魚や貝が並んでいく。
 私以外にお客さんがいないので、カウンターでママと話に花が咲く。話題の多くは珠洲の話である。夏祭りの日は町が大いに盛り上がること。町ではトライアスロンに力を入れていて大会も開かれ、その日も大いに盛り上がること。ママは楽しそうに語ってくれた。日本のどこに行っても、わが町を愛する人の地元話を聞くのは楽しい。地元愛は慈悲に満ちている。そこに理屈や損得の言葉はいらない。そこがいい。
 ママが作ってくれた珠洲の海鮮料理を食べきれなかった私は、タッパーに詰めてもらえないだろうかとお願いした。ママは笑顔で、容器の返却は女将さんにお願いすれば大丈夫だと言ってくれた。
 宿に戻ってひと風呂浴びて部屋に入り、タッパーを開けた。改めて美味しさに胸が熱くなる。ママは、夏祭りの時の盛り上がりをぜひ見てほしいから、祭りの時期にまた珠洲に来なさいと言ってくれた。私は心で頷きながら魚介をつまんだ。

(のと鉄道 のと穴水~輪島は2001年4月、のと穴水~蛸島は2005年4月に廃止された。「のと穴水」駅は現在「穴水」駅と改称されている)

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