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ALS患者が生きる決断をするには

林優里さんの事件

2020年7月、ALS患者の嘱託殺人事件が公となりました。ALS患者の林優里さんという女性がSNSで知り合った面識のない医師二人に対して自身を死亡させるよう依頼した事件。2019年11月30日に発生し、その日に林さんは亡くなりました。まだ51歳。彼女はずっと安楽死を望んでいました。

偏った報道

この事件の報道以降、病や障害によって「生きることがつらいほどの苦しみや痛みを背負った人たち」のことをより考えるようになった。

私自身は多少の問題はあるものの、まずまずの在宅療養生活を送れていますが、
生活に支障が出るほどの慢性的な痛みがある人
介助者に恵まれず活動が制限されている人
家族介護などの問題で家庭が崩壊している(しかけている)人
今ある支援にたどり着いていない人、たどり着いてもフィットしない人
そもそも動けなくなってまで生きていく自分を受け入れられない人
など、既存の支援では助けられない人たちが少なからずいるようです。

こういう人たちの中には「安楽死」を望む人がいます。どれくらいいるのかわかりませんが、ブログやSNSなどで発信している数を見ると発信していない人がはるかに多いと思われるので、かなりの人が悩み苦しみ安楽死を望んでいると考えられます。

この事件をメディアが取り上げる中で多くのALS患者がコメントを寄せていますが、おおむね「安楽死や死ぬ権利について言う前に誰もが生きようと思える社会にせねばならない。安易に安楽死議論につなげてはならない」という内容です。みんな「私もずっと死にたいと思っていた。自殺しようと考えたことも一度や二度ではない」というような自身の体験を交えて「だから林さんの気持ちもわからないことはない」というようなコメントをしていますが、いったいメディアはどういう基準で患者を選んでいるんだろうか、と疑問に思わざるを得ない。コメントしている患者たちのほとんどは林さんとは年代も性別も異なり、療養環境もまったく違う。共通項は「ALS患者」であるというだけの人が多かった。しかもどの患者も同じようなコメントだ。それで林さんが抱えていた苦悩やこの事件の問題に迫れるとでも?正直、こんな偏った見方でいいのかと一連の報道を見ていて少し憤ってしまった。

他人の生きづらさや苦しみがわかると言ってしまう患者たちもどうかと思うが。

誰もが生きやすい社会

「誰もが生きたいと思える社会」になっていないことが問題なのでしょうか。そもそも「誰もが生きたいと思える社会」ってどんな社会?

福祉がすべての求める人に等しく届き、心に寄り添った介護者に囲まれ、テクノロジーの恩恵によって社会参加も可能で誰もが生きがいを見出せる、こんな社会でしょうか。

諦めたらそこですべて終わってしまうので理想を追求することをやめろとは言いませんし、やはりそこでたゆまぬ努力は必要なんだと思う。でも実現するのにどれほどの時間がかかるだろうか。間違いなく5年や10年では無理だしそもそも実現できるかどうか疑わしい。ということは今「生きていくことがつらい」人には届かない。だから林さんのような人が出てきてしまう。それ以前にどんな社会になっても生きていくことがつらい人がいなくなることはないと考えるべきではないのだろうか。

選択肢を増やすこと

ALSになると体のあらゆる部位が動かなくなりますが、眼球は最後まで持ちこたえるとされています。それでも3割ほどは眼球の動きすら失うと言われていて、これにより患者の意思を読み取るすべがなくなり、外部と意思疎通が困難な状態になります。この状態をTLSと言います。多くの患者はこの状態に至る前に呼吸のための筋肉が動きにくくなるので自発呼吸が困難となってしまいますが、人工呼吸器をつけて命をつなぐことができます。ALSは生きるための技術が確立された難病なのです。にもかかわらず呼吸器をつける人は3割以下。なぜなんだろう。

実はこの呼吸器が厄介で、一度つながったら離脱はできないというんです。そう、TLSになっても、周りの大切な人がいなくなって一人になっても、呼吸器につながった状態でそのまま生きていかなくてはならないのです。私はこれが嫌だった。5年後に死ぬのは嫌だけど、まったく動けず意思疎通もできないまま生きていくのも勘弁、というのが私の思いでした。だから「TLSになったら呼吸器を外せるようにしてくれよ」とずっと思ってました。これはメリットあると思うのです。私のような思いを持つ人は「もうつらくてたまらくなったら呼吸器外していいんだよね。じゃ、とりあえず生きる」という感じで決断がしやすくなるのではと思っています。「呼吸器を外す=延命治療をやめる」という選択肢を増やすのは安楽死の法整備を求めるよりは現実的だと思うし、現状でもできるんじゃないかと思うのですが。

とりあえず生きる

「とりあえず」でいいんです。とりあえず生きると決めて生きるための準備をしよう。7割以上のALS患者が呼吸器をつけずに亡くなっているなんてひどすぎる。生きていれば(良くも悪くもだが)あらゆる可能性が残されるのだから。生きると決めたその先に何かが見つかるかもしれない。ある程度制約はあるが「自分の意思で死ねる」ことが担保されていれば「とりあえず生きてみる」人が増えると思うんだが。どうだろうか。

死にたいわけじゃない。生きたいんだから。

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