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ほんのわずかな山行記録 5

谷川岳は錦秋の時期を少し過ぎていた

2011年10月19日、午前9時30分。

西黒尾根をゆっくりと登り始める。

しかし気持ちが急くのか、すぐに息が上がってしまう。だって、めちゃくちゃいい天気なのです。
早く稜線に出て肩の小屋から始まる主脈の、あのどこまで続くきれいな稜線を見たいんだ。そしてその稜線を悠々と歩きたいんだ。そう思うとついついペースが上がってしまう。

この日の予定は肩の小屋まで4時間、大休止1時間を挟み肩の小屋から避難小屋まで2時間の計7時間の行程。余裕を持った計画なので焦ることはない。

白毛門も上層は紅葉のいい感じは終わっている模様
良かったー、いー天気で!
上層に雲が舞う清々しい空
雲海をバックにきりりとそびえたつ道標

まぁまぁいいペースで核心部の急登を乗り切ると左手に俎嵓の稜線が見えてくる。
やがてシンボリックに立つ避雷針を兼ねた道標が見えてくる。
その道標まで来ると肩の小屋が、そしてその向こう側には雲海に浮かぶ主脈縦走路が目の前に現れる。

一瞬、体が震えた気がした。

腹の底から湧きあがる何かを感じつつ、とりあえず肩の小屋で大休止。
結果的にはここまで3時間半、予定より30分早かった。これは最初の西黒尾根の時とほぼ同タイムだ。
いいぞいいぞ。調子はいい。

肩の小屋脇のベンチ。
稜線を眺めながらの昼食は最高だ。
満足感からか、ついつい顔がほころぶ。大変にぎやかな熟年登山者のネーサマ方の存在も気にならず、ニヤケながらラーメンをすする。
するとそのネーサマ方の一人が「どこから縦走してきたの?」と聞いてきた。
「いえ、これからあそこに行くところなんです」と主脈を指さす。
「えー、今から?今日はどこまで?」とまた聞いてきた。

おそらく谷川をよくご存知の方なんだろう。すでに13時を回っているので今から主脈縦走ということはどこかで宿泊が前提となり、このオネーサマはそのことを分かっている様子だった。

「今日は大障子避難小屋泊の予定なんすよ」などと少しお話。
程なくしてネーサマ方が下山するとのことで、その際「がんばりな」という意味でしょうか、おかきとアメを一掴みくれました。あざーす、ネーサマ方も気を付けてお帰りください!

興奮マックス気持ちよすぎ
稜線にかかっていたガスが取れて縦走路が現れた
歓迎してくれてるな~

肩の小屋に着いた頃、縦走路の最初のピークとなるオジカ沢の頭への稜線には群馬側を覆う雲海の端っこがかかっていたんだけど、出発する頃には引いて稜線が現れていた。

これ、歓迎してくれてるよね、と都合の良い解釈をしながらいよいよ縦走路に足を踏み入れる。
ここから避難小屋までは多少のアップダウンはあるものの穏やかな稜線歩きが続く、、、
はずだったんだけど、いきなり切り立った岩場をよじ登る怖い場所が出てきて少しひるんでしまった。しかし、そんなところはそこだけで以降は穏やかな稜線歩きが続いた。

うーん、最高の気分。
2人とすれ違ったがすぐに視界から消え一人ぽつーんと稜線の上に立っている。
遠目から見た通り、右側は深い谷が広がっていて、氷河が削りだした荒々しい岩肌むき出しの巨大な尾根が谷底からそびえ立っている。
いつまでも眺めていたいような雄大な景色が広がり、つい足を止めてしまうがのんびりもしていられない。一歩一歩踏みしめながらこの日の目的地となる大障子避難小屋を目指す。

氷河が削りだした岩の彫刻
来しかたを振り返る
陽が傾き始め縦走路の濃い影がどこまでも続く

肩の小屋から2時間ほど歩くと避難小屋がポツンと建っている。いや、置いてある、と言ったほうが適切か。
途中、万太郎山ピストンの方とすれ違った際に「避難小屋に泊まるという方とすれ違いましたよ」と聞いていたので、もしかしたら同じ避難小屋かもしれないと少し緊張していた。

アルミ製の粗末な扉を開けると60代前半とおぼしき、いかにも山ヤな男性が食事の準備をされていた。その方の雰囲気に気後れしたのか、その男性のお宅にお邪魔するかのようにペコリと頭を下げながら「あ、こんにちは、失礼します」と告げて中に入った。

その方は穏やかな口調で、「もうこんな時間(16時ごろ)なので今日は自分一人かと思ってましたよ~」と第一声。景色見ながら歩いてたらこんな時間になっちゃいました~、みたいなことを言ったかどうか覚えちゃいないんだけど、とにかく何か一言二言言葉を交わしてとりあえず寝床と食事の準備を始めることに。

食事の間は少し話しをした。どちらからですか?と来たので神奈川です、川崎です、と丁寧に返すと、あっ、私も神奈川なんですよ、横須賀なんですがね、近いですね、と来た。
正直、その当時は自分チから横須賀が近いのかさえ知らない状態だったんだけど、そうなんですか~、近いですね~と相槌を打った。今いる群馬と新潟の県境から神奈川までの距離を考えれば神奈川県内なら近いと言って差し支えないだろう。

この方、以前はクライミングを中心とした山行をしていたクライマーの方で、谷川連峰の中でも特に有名な一の倉沢という日本のクライミングのメッカともいえる岸壁にも挑んでいたのだそう。
すでにクライミングは卒業してのんびり登山を楽しんでいるのとのことで、昔のクライミングにまつわる苦労話や冬はBCスキーヤーがこのあたりまで入ってくるんだよ、すごいよね~とか、いろいろな話を聞かせてもらった。終始穏やかな語り口だったのが印象に残っている。

陽が沈むと外からゴーッという風の音が避難小屋の中に響き渡るようになってきた。外に出てみると息もできな程の爆風が吹いていた。身体を持って行かれそうになるような強烈な風だ。

この避難小屋はコルと呼ばれる稜線の中の窪んだ場所に建てられている。コルは風の通り道になるのでこの時のような強い風が吹くんだけど、この強い風で冬でも雪が積もりにくいんですね。
なので雪深い冬でも避難小屋が使えるようにという理由でこんな場所に建っているらしいです。
しかし谷川連峰の積雪はハンパないと聞いているので実際には雪に埋まってしまうのでしょうが。

そういう訳で強い風が吹く中、写真を2、3枚撮り小屋に逃げ込んだ。
この風は一晩中吹いていたようだ。明日は一体どうなるんだろう、こんな爆風の中、吹きっさらしの稜線を自分のようなヒヨッコ登山者が歩けるのだろうか、、、などと考えているうちにあっさりと眠りに落ちてしまった。

爆風鳴り響く中、負けじと朝まで爆睡してやったのでした。

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