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ひな人形 (少しこわい不思議な思い出)



ひな人形の少しこわい思い出がある。


もう30年以上も前の話。
大学生の頃、友達と4人で金沢へ女子旅に出かけた。兼六園周辺をぶらぶら歩き、前田家の歴史博物館を訪れた。

春の観光シーズンだったので館内の人も多く、一定の流れで進みながら展示を鑑賞していった。
甲冑や掛け軸などの展示を見ながら進んで行き、ひな人形の展示が見えたとき、私は急に強烈な金縛りにあったように体がかたまり、冷や汗が出て、雛壇のまわりの空気の重苦さが怖くて足がすくんでしまった。

でも、友達はすーっとひな人形を見ながら次の展示へと歩いて行く。私はひな人形からできるだけ離れて廊下のような通路を通り友達に追いついた。
本当は友達にゾッとしたことを言いたかったけれど、館内にいる間はひな人形に聞かれそうな気がして(それくらい妙に怖かった)楽しい旅の空気も
壊したくないのでやめておいた。

私は小さい頃から心霊現象のようなものを見た体験は何度かあるが、自分の強い思い込みや潜在意識による脳の誤作動かもしれないとも思う部分もあるため、深く考えないようにしている。「正解」のないものだから「謎」のままにしておくのがいいと思っている。
信じる人の気持ちも分かるし、信じない人の考えも分かる。
やっぱり一生「謎」でいい。


だから前田家のひな人形に対しても、歴史的な重みが醸し出す圧のようなものを感じたのかもしれないし...肌寒い外から人が多い館内へ入ったために体温調節などのバランスが崩れたのかもしれないし...と、深く考えないようにしていた。

正解が分からないことは「気のせい」にするのが
いいから。惑わされずに気が楽だからだ。


ところが、その金沢旅行のあと実家に帰省していた時に、偶然ある記事に出会うことになった。

私には7歳上の姉がいるが、当時姉がよく読んでいた25ans(ヴァンサンカン)という自分では絶対に買わないタイプの雑誌を帰省中の退屈しのぎにパラパラ見ていたときだった。

あるエッセイのページが出てきた。

酒井美意子さん(侯爵前田利為の長女で日本のマナー・皇室評論家)のマナーについての連載だったと
思う。「金沢にある私の実家は...」のような書き出しで前田家の説明がされていた。ヴァンサンカンの読者が好みそうな良家の桃の節句のお祝いの仕方やお料理などについて書かれていたと思うが、それよりも美意子さんの子供時代の記憶の箇所で鳥肌が立った。

その内容はこんな感じだった。

美意子さんが一人で留守番中に昼寝をしていた時、隣の部屋からの騒がしい音で目を覚ました。
寝ている間に家族がお客さんを連れて帰ってきたのかと思い戸を開けると、その部屋に飾られていたひな人形たちが雛壇から畳の上に降りて宴会のようにわいわい楽しく騒いでいた。(男のおひな様たちがお酒で顔が赤くなっていたなど細かい描写もあったと思う。)美意子さんがびっくりして声を出してしまうと、人形たちがハッと美意子さんに気づき、さーっと雛壇に戻り、何もなかったように元の状態で座ったそうだ。

まるで「うれしいひなまつり」の歌詞の世界のようだ。

「五人ばやしの ふえたいこ 今日はたのしい ひなまつり」

「すこししろざけ めされたか 赤いお顔の 右大臣」


そしてページの最後に、そのひな人形たちは
現在金沢の前田家の資料館に展示されていると
書かれてあった。

私はあの金沢のひな人形で感じた怖さを「気のせい」で終わらせられなくなってしまった。



前田家の長い歴史の中で受け継がれたひな人形。

その時その時のおひな様を飾り愛でるヒトの感情が人形にこびりついて重なっていき、波動のように存在しているのかもしれない。





「春のやよいの このよき日 なによりうれしい ひなまつり」











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