私の世界で1番かわいい女の子

彼女は幼稚園で知り合った。幼稚園から小学生の途中までは一緒だった。
だけど、小6とかそれくらいで引っ越してしまって、1時間半とか2時間とかかかるようなところに行ってしまった。だから小学校の卒アルには名前がない。
とはいえ中学に入っても親交は続き、たまに遊んだものだ。
だけど、ある日私のLINEからアカウントは消えた。おそらく機種変更とかLINEのリセットとかしたんだろう。今は「メンバーがいません」と表記されている。

彼女の名前はみくちゃん。この世代にはありふれた名前なので、まあ、これくらいの情報開示はよかろう。

みくちゃんは本当にかわいかった。目が大きくてクリクリで長く伸ばした黒髪はいつもサラサラだった。
私も152cmと身長が低いが私よりも小さくて、まるでリスみたいだった。
声も高くて女の子らしくて、今も他の声の高い女の子がいると、どうしてもみくちゃんを思い出してしまうほどだ。
そんな彼女は当然女の子らしい装いが似合う子だった。フリルとかリボンとかが似合う子だった。もちろんそれ以外の服も着ていたけれど、どんな服も似合っていた。
親との会話でかわいい女の子の話になると、話題になるほど、
本当に、かわいかった。

彼女は別に友達が少ない方ではなかった。それどころか、小学生のうちから学内に彼氏がいるような子だった。
だからきっと私はその中の一人に過ぎないのだろうけど、それなりに仲良くしていた、つもりだ。

彼女の家にはよく行った。私にとっては特に親なしで友達の家に行く、ということがかなり特別なものだからそれを何度もしていた彼女はかなり珍しい方だ。
確か彼女は小1の頃は小学校に近い別の家に住んでいたはずなのだが、どこかで親が離婚して小学校の学区外に住んでいた。公園の隣、錆びた手すりの階段を登って2階のアパートだった。
何度かその公演でも遊んだ。そこにあったトンネルの滑り台は静電気がすごくて、私は以降トンネルの滑り台に近づけなくなる。
一本向こうにもっと広い公園があって、そこにはターザンがあった。だから結構好きだったが、そもそも二人ともあまり公園で遊ぶタイプではなかった。
それよりも彼女の家でゲームをすることが多かった。

私は彼女からボカロを教えてもらった。プレステvitaの初音ミクの音ゲーを借りてプレイしていた。秘密警察とか。彼女はブラックロックシューターが好きだったように思う。
彼女からボカロを教えてもらわなければ、小6の時にカゲプロ旋風をクラス内で私が起こすこともなかっただろう。
彼女の家でする初音ミクの音ゲーはとても楽しかった。よく記憶に残っている。
その後、私も欲しくなってプレステvitaを買って、初音ミクの音ゲーの2つ目の作品を買って、みくちゃんの家で一緒にやった。なんなら3DSの初音ミクの音ゲーも一緒に買って一緒にやっていた。フルコンを二人で狙っていた。
そういえば、彼女に自転車で行けるショッピングモールに初音ミクのアーケードゲームもあると教えてもらったっけ。あれは中学に上がってからやっとそのショッピングモールを見つけた。

それから、彼女はアイカツ!をやっていた。私もどハマりしてお年玉を全額投入するなどしていたのだが、彼女はロリゴシックのゴスマジックコーデをコンプしていた。
あの頃のアイカツ!女児はみんなロリゴシックが好きだった気がする。
私はゴスマジックコーデをコンプできなかったので羨ましく思いながら、オーロラファンタジーのブルーミングコーデとハッピーレインボーのマーブルキャンディコーデでプレイしていた。
みくちゃんとは夜遊びもした。夜遊び、といっても小学生なので18時以降に親に許可なく外で遊ぶ、みたいな感じだが。それでも私はずっと学童保育に預けられていたから、その後にみくちゃんと一緒にゲームセンターに行ってアイカツ!をやり、アイカツ!の台のカードを枯渇させるのが楽しかった。

中学生になるとソシャゲでもフレンドになってよくやった。#コンパスというゲームに彼女はハマっていた。彼女に連絡先を切られた後も、実はそこから彼女のことを見ていた。ある日気づくとフレンドから消えていたが。

彼女は病弱だった。でもまあ、さもありなん、という身体の細さだった。あと、飼い猫によく引っ掻かれて、そこから熱が出ていた。
私はあの当時からみくちゃんのことをすごくかわいくて、かつか弱い存在に思っていたから、死ぬほど心配だった。

だけど彼女は割と気が強かった。私はド猫背なのだが、定期的に「背筋伸ばす!」と背中を押されていた。今でも猫背治したいなぁと背筋を伸ばすたびに、みくちゃんを思い出す。

彼女とは初めてディズニーシーに行った思い出がある。初めてといっても記憶のない小さい頃に家族で行ったらしいのだが、まあワンワン泣いていただけで、ほとんどのアトラクションは乗れずじまいだったので、初めてといって差し支えないだろう。
ともかく、初めてディズニーシーに行ったのはみくちゃんとだった。中1の3月。私の誕生日に合わせて親がチケットを買ってくれたのだ。これは前日にみくちゃんが私の家に泊まって、朝親が送ってくれるようになっていた。
一応事前に絶叫系乗ってもいいかは聞いておいたのだが、やっぱり絶叫系を前にして怯んで、私が一人で乗ったアトラクションが2個くらいあった。少なくともタワー・オブ・テラーは私一人だったので、初めてで仕様が分からず、荷物を飛ばしまくった思い出がある。
あのときもっと私が彼女が一人になることに気を遣っているべきだったかな、と少し思うが、まあ、向こうもこちらの譲らなさみたいなものはここまでの数年でわかっていただろう。
別にこれで仲が悪くなったことはなく、それ以降もちまちまやり取りを重ね、たまに会っていた。

それからLINEでペアアイコンもした。中学生に著作権とかそういう概念はないので人様の絵を拾ってきて勝手にやっていたのだが、あれは仲の良さを感じさせるものだ。私は人生でみくちゃん以外とペアアイコンをしたことはない。
ちなみにのちに気づいたのだが、その絵は私の刀剣乱舞の推しとなるずおばみだった。世間は狭い。

LINEでいいねした人に一言みたいなものが流行っていたが、あのとき彼女は私のことを“相棒”だと評してくれた。あのときは厨二病真っ盛りだったので、軽い気持ちでしか捉えていなかったが、今見返すと泣ける。そんな風に思ってくれてたんだ。

だけどある日、みくちゃんのLINEは消えた。もしかしたら投稿とかで「LINE残したい人反応してください」みたいなのしていたかもしれないけど、それを知らないということは私は反応していないということ。
そして、それをしていなかったなら、私は彼女にとっての“相棒”の枠からは外され、もしかすると友達の枠からも外されてしまったのだろう。
時期的に高校生になってから会話も減ったし。

Twitterも繋がっていたのだが、それもブロ解されてしまった。何か気の触ることを言ってしまったのかもしれないし、普通に誰だか忘れて消した可能性もある。

私の後悔といえば、昔の私はすこぶる写真が苦手だったし、自分の容姿が醜いことを理解していたので、全然写真を撮らなかったことだ。そのせいでみくちゃんの写真は私の親が撮ったパジャマの写真しか手元にない。
ディズニーシーでもっとたくさん撮っておけばよかったと思う。


かわいいみくちゃん。今どこでどうしているだろうか。元気にしているだろうか。
個人的には彼女は量産とか地雷とかロリィタとかが似合う気がするが、かわいいからどんな服でも着こなせるだろう。
私もあの時のブスデブから少しはマシになって、2人でフリフリの服を着て立てそうになったよ。みくちゃんには全然及ばないけどさ。
でもまだ一人称俺が抜け切らない寒いオタクだから、やっぱり気持ち悪いかな。

かわいい衣装が絶対に似合うからコンカフェで働いていたらぜひ教えて欲しい。そのお店に時間作っていくからさ。アイドルしてたとしても呼んで。たくさんチェキ買うよ。

でもほんとはなんでもいい。元気にしてくれているなら。もしも私のこと覚えててくれたら、嬉しいけど。また会えたら、もちろん嬉しいけど。


彼女は私の中の特別だ。そして記憶はどんどん美化されていくものだから、きっといつまでもずっと美化され続けて、彼女はいつまでもかわいいを更新していくのだろう。

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