不完全さを愛するということ①―Modern Love~今日もNYの街角で~

こんばんは。
青井あるこです。

最近TVCMやtwitterなどで何かと話題のAmazon Primeオリジナルドラマ『Modern Love ~今日もNYの街角で~』を見ました。

もともとアン・ハサウェイが出演している、しかも躁鬱病の女性を演じているということで興味を持って見始めたのですが、これがまた彼女のエピソードもその他も想像していたよりかなり良かったので、感想を書きます。

このドラマは各話が約30分、1シーズン8話という短いシリーズなので、海外ドラマって長くて最後まで見られないと思う人にこそ見てもらいたいです。

ちなみに私は、プラダを着た悪魔もレ・ミゼラブルもワン・デイも好きです。

以下、ネタバレを含みますのでご注意ください。

このドラマはニューヨーク・タイムズ誌の「Modern Love」というコラムに実際に投稿されたエッセイを元にしたアンソロジー。
そのため各エピソードごとに登場人物は変わっていく。

私が特に気に入ったのは、以下のエピソード。

1, 私の特別なドアマン
3, ありのままの私を受け入れて
5, デートの幕あいは病院で
7, 僕らが見つけた家族のカタチ
8, 人生の最終ラップは より甘く

1, 私の特別なドアマン
"When the Doorman Is Your Main Man"

もうグズミンと結婚したい。いや、結婚できなくてもいい、せめてあんな人が私の人生の傍にいてくれたらどれだけ心強いだろうか…。

NYの高級アパートで独り暮らしをする書評家のマギー。彼女がデートのたびに、ドアマンのグズミンがお相手を品定めするが大抵は気に入られない。ある日、グズミンが低評価を下した相手と関係を持ったマギーは妊娠してしまう。その相手は結婚にも育児にも興味が無いようで、子どもを生むならマギーは必然的にシングルマザーになることになる。

妊娠が発覚した夜、マギーはエントランスに降りて行ってグズミンの胸で大泣きする。一人きりで子どもを育てられないという不安。両親に何を言われるかわからないという不安。

そんなマギーをグズミンは優しく、凛としたことばと態度で励ます。
「村が子供を育てる。NYは巨大な村です」
そしてシングルマザーになった彼女に対して、グズミンは自身がその”村”の一員として、献身的に彼女を支えるようになる。

仕事で忙しいマギーの代わりに娘の面倒を見たり、休憩時間には娘を博物館に連れて行ったりと、まるで本当のおじいちゃんのよう。

グズミンは過度にマギーの心配をしない。必要なときには手を差し伸べるけれど、基本的にはマギーならできると分かったうえで、静かに温かな眼差しを持って見守るだけだ。
それは家族ではなく、年の離れた友人だからこその居心地の良さなのだろう。
人から貰う心配も期待も、度を過ぎれば受け取る側にとってはプレッシャーになる。自分が未知の世界に挑戦するときに、ただ自分のことを信じて見守り、そして必要なときには傍にいてくれる、そんな存在がいたらどれだけ心強いだろう。

そしてマギーは仕事のオファーを受けて、娘を連れてLAへと飛び立つ。その際にもLAでの子育てを不安がりオファーを受けるか迷っているマギーに対して、グズミンは「不可能などありません。(Everything is possible.)」とことばを掛ける。
そのことばを受けてマギーは、シングルマザーとしての子育てと仕事の両立もかつては自分には無理だと思っていたことを思い出したのではないだろうか。
そしてそのかつては不可能だと思っていたことが、今の自分にはできているということも。

エピソードのラストでは、マギーが娘と新しい恋人を連れてグズミンのいるアパートを訪れる。新しい恋人がグズミンにどう見られるか心配をするが、グズミンは彼を一目見るなり「合格」の判定を下す。
そしてかつてのようにマギーと娘とグズミンの三人は、博物館を訪れる。
こんな風に帰る場所があるのは素敵だ。

望まない妊娠をしてしまうことやシングルで子育てをすることは、今でも風当りが強いし、それによって描いていた人生を諦めてしまう女性がたくさんいる。だからこそグズミンのようにただ静かに見守ってくれる人が、誰にでもいればいいのに、と思う。

マギー役のクリスティン・ミリオティの表情がとても可愛らしいので、そこも見どころ。

3, ありのままの私を受け入れて
"Take Me as I Am, Whoever I Am"

このエピソードについての感想で散見されるのが、「これって私のことじゃん」というもの。そして私も正にそのように感じた。アン・ハサウェイが演じるレキシーという双極性障害の女性、彼女の姿に自分が重なって思わず涙が出た。

スパンコールの服を着て髪を綺麗にセットしたレキシーが向かったのは、早朝のスーパー。彼女はそこで理想の男性に出会う、というのがミュージカルテイストで描かれる。彼女のまるでミュージカル女優のようなチャーミングな様に男性も惹かれ、一緒に朝食を摂った後、改めてデートをする約束をする。

しかし当日になってみると、レキシーは寝起きの姿でぼさぼさの髪のままデートへ出かけ、スーパーで出会った時とは別人のように陰鬱とした表情を見せる。あまりの変化に男性は「もしかして双子?」などと聞くほどだ。

エリート弁護士であるレキシーは躁鬱病を患いながらも、これまで誰にも打ち明けてこなかった。うつ状態になってベッドから抜け出せずに学校を休んでもその分勉強をして好成績を収めれば、なんとかなった。躁状態であれば残業も厭わず熱心に仕事をするから評価をされる。うつになって欠勤の回数が増えて解雇されれば、また別の就職先を探す……ということを繰り返してきた。

彼女のうつ状態は突然やってくる。何がきっかけというわけでなく、急に動けなくなってベッドでうずくまることしかできなくなる。

やり直しも兼ねた二回目のデート。彼女は部屋を片付けて料理を用意してメイクもファッションもばっちり決めて、あとは彼を待つだけ!……というときに、またも突然うつが襲ってきてトイレから動けなくなる。立ち上がって、歩いて、と自分の足を何度も叩き、なんとか立ち上がるもハイヒールでよろめいてトイレの床に座り込んで泣くレキシーの姿に、私まで苦しくなってくる。結局、彼は彼女の状態に気づかないまま去って行ってしまう。

私は彼女ほど深刻ではないのだが、うつ病を患っている。私にもハッピーなときとそうでないときがあって、その差が激しくて自分でも疲れるほどだ。うきうき気分でデートの約束をして、その当日、もしくは前日の夜に急に気分が落ち込んでデートが面倒くさくなるどころか、相手のことを憎々しく思った経験も何度もある。結局デートを断って、ドタキャンをしたことに罪悪感を覚えて余計に落ち込んでベッドに逃げる。

そしてその感情の変化を自分ではコントロールできない。約束をしたときは本当に行きたいと思っているのだ。だけどその当日までに、何かしら予期せぬことがあって、――もしくはない時もあるのだが――、どうしても気分が乗らなくなる。

「行ってしまえば案外楽しいんじゃない?」という人もいるが、それはギャンブルなのだ。行ってしまって楽しいときも確かにある。だけどどうしても身体が怠くて重くて相手が何を言っているのかもあんまりわからなくて、食事も喉を通らない。そして次第に相手の表情が暗くなっていたり、ああ、私に対して呆れているな、というのが伝わってくるともう、本当に消えてしまいたくなるのだ。

そして何もそれは恋愛に限ったことではなくて、仕事でも気分のムラがあって、後から自分の態度が悪かったことを反省して、やがて反省を通り越して自己嫌悪に陥って落ち込む、ということも日常茶飯事だ。

とにかく自分が望んでいないタイミングで気分の激しい落ち込みがやってくるから困るのだ。

その後レキシーはやはり欠勤日数が多く、勤めていた事務所を解雇されてしまう。だけどそのときになってようやく仲の良かった同僚に、躁鬱病を患っていることを告白する。同僚は「話してくれてありがとう。これで謎が解けたわ」と理解を示してくれて、レキシーは初めて受け入れられた喜びと安心感からか泣いてしまう。そして私も泣く。

一人で苦しんでいたレキシーに理解者が現れたことが嬉しくて。
それから私ももしかしたらこのままの状態でも、誰かが受け入れてくれるかもしれないという期待で。

だけど受け入れてもらうためには、自分の状態を説明して、分かってもらう努力をしなければいけないということも分かった。
だから私はこうして今、このドラマの感想を書いているのかもしれない。

5, デートの幕あいは病院で
”At the Hospital, an Interlude of Clarity”

ブロンドのゴージャス美女とちょっと内気っぽい男性が自宅で二回目のデート。いざ良い雰囲気になったときに、主人公ロブはグラスを割って腕を切り大出血をして、救急車で運ばれる。そして緊急手術を受けることに。

美女ヤスミンは、救急車のなかでロブが服用している薬に言及したときに、二人の関係を恋人ではなく友だちと答えたり、現在の状況をリアルタイムでSNSで発信したりなど、「ん? 大丈夫か?」と思わせるような言動もいくつかあったけれど、一晩中付き添い、一時的に片腕が不自由になったロブを献身的に介助する。

二回目のデートってまだお互いに格好を付けたい時期。なのにロブが一番格好悪いところをヤスミンに見られてしまう。それでもジョークを交えながらロブの血で汚れたワンピースを着たまま、傍にいてくれるヤスミン。なんていい子なんだ……。と思ったところで、ヤスミンは実は恋人と破局したばかりであることや常に男性の関心を引いていないと気が済まないといったこと、そしてそれが破局の原因であることを語り始める。

このエピソードは、二人の関係が深まっていく様を見られてよかった。ヤスミンはカラコンやエクステなどを外して、エピソードの後半ではかなりナチュラルな姿を見せているし、ロブは弱っているところを見せざるを得なかったし、ヤスミンの打ち明け話を聞いても否定せず、「深い話はしてこなかったしね」と受け入れようとする。

退院後、公園で二人が話すシーンがあるのだが、画面が美しくてなんだかジーンと来る。大騒動で眠れない夜が明けて、風呂にも入っていないし着替えもしていないぼさぼさの髪や疲れた顔を照らす朝日の優しさ。ともに大変な夜を越えたいう二人の信頼感とか、距離の近さ。膝で眠るヤスミンにロブは語り掛ける。

「この先何があってもこの一夜は大切な思い出だ」
たぶん性格も考え方も育ってきた環境も異なる二人。だけれど凹凸がぴったりはまるように、お互いの傷を癒し合いながらナイーヴな部分を支え合っていけるような気がする。

そしてエンディングで流れる"Day's aren't long enough"という曲がまた最高なので、ぜひ耳を傾けてほしい。

少し長くなりすぎたので、次の記事へ続きます。








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