見出し画像

父と母の日本語学習法

父は私が母のお腹にいた時に日本語学習を始めた。
母は出産と育児があったので、それから数年遅れで始めた。

父が習い始めた頃は、韓国と日本は国交はあったものの、民間の交流はそこまでなく(冬ソナブームのだいぶ前)、日本語を習う人も少なかった。

だからか、父は独学で日本語を習得した。
元々暗記が得意な父は、辞書を丸暗記した。いわゆるガリ勉スタイル。

当時は日本語ができる人が少なかったので、父は勤務先で日本担当となった。それから出張やら単身赴任やらで、よく日本に行き来していた。

習い始めてから9年目に父は国費留学生に選ばれる。そして次の年に家族を連れて来日する。

独学で論文を書けるまでになったが、家族の中では日本語が下手だと、よくからかわれた(笑)
まぁ、発音や表現力の面では、日本の学校に通う子どもたちや、パートという現場で仕込まれた母よりも劣るのは確かだ。

でも、父は今でも日本の新聞を難なく読める。とにかく漢字には強い。
辞書の丸暗記、恐るべし。


一方、母は私が生まれて4,5年後から勉強を始めた。
その頃には、語学学校があったので、そこに通っていた。
母は元々言語が得意で、学生の時はドイツ語が大の得意だったらしい。

語学達者なだけあって、習得も早かったと思う。
でも、母の日本語力が飛躍的に伸びたのは来日してからである。

それまで専業主婦だったのに、急に外で働きたいと宣言してパートを始めた。
周りの同僚は日本人のみ。
怒られもたくさんしたらしいが、そこで彼女は生きた日本語を身につけていった。

ある程度日本語ができていたとは言え、海外でいきなり働くなんて!たくましいというか、チャレンジャー。

今でも彼女は普通に日本語で会話ができる。体で吸収したのって強いかも。

弟と私への特訓も母が担当した。来日する1,2ヶ月前から夏期講習並みのスケジュールでみっちり。

ひらがなとカタカナは、教材があって、文字のくぼみをなぞることで覚えるやり方だった。なぞって、なぞって、テストする。それの繰り返し。カタカナが特に難しかった。形似すぎやろ!とぶーぶー言いながら、何回も間違えた。
後は挨拶と自己紹介の暗記。日本の学校に通うための最低限を叩き込んだ。


言語の学習方法は、人それぞれ適したやり方があると思う。
父のようなガリ勉スタイル、母のような体当たり吸収スタイル。
でも、どっちにしても使えてるから、ルートはなんでもいい気もする。

使えれば、なんだってええ。

ちなみに私は、観察吸収系トライ・アンド・エラースタイル(笑)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?