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ソウル生まれ、ソウル育ち…でした。9年半くらいは。 父の一存で初来日。10歳から12歳…

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ソウル生まれ、ソウル育ち…でした。9年半くらいは。 父の一存で初来日。10歳から12歳までを日本で過ごす。 海外暮らしによる考え方などの変化により、典型的な韓国人の道から逸れる(笑) 現在日本在住。 日本に初めて来た子供時代のことや最近面白かったことを書いていきます。

最近の記事

韓国滞在時に食するものーコスパ重視

最後の渡韓から約3年。規制もだいぶ緩くなってきたし、そろそろ韓国に行ってみようかなと思うようになってきた。 正直に言うと、今までホームシックになったことは一度もないが、フードシックになったことはある。対象が母の手料理とかじゃなく、あの店のキンパとか、あそこのおばあちゃんが作るスンデ(腸詰め)なのが自分でも笑えるけど。 慣れ親しんできた食べものというよりは、単純に好きな食べものが恋しくなるんだと思う。 準備から本番体制 渡韓前は、食べたいものをリストアップする。そして、そ

    • 降車ベルの数と人との距離感について

      ある日、赤い光が始めて脳に入った。 帰りのバスの中、ピーッという音で一斉に点灯する赤い光。そう、「とまります」の降車ベルだ。 今まで数百回は見てきた降車ベルだが、その日始めて気になりだした。 こんなに多かったっけ?って位、ギラギラと光っていた。 数えてみた。 前方 右側に10個、左側に8個 後方 右側に8個、左側に9個 計35個 バス一台に35個の降車ベル えっ?!!一台に35個もあるの?!!数えてみてビックリである。 どうりで一斉に付くと眩しかった訳だ。 もう少し

      • 韓国ではレアな白いご飯

        日本では白いご飯に対する"浪漫"があるように思える。 確かにいいよね。真っ白な湯気が立っている白いご飯。 韓国もあった。私が子供の時は。でも最近はあんまり見かけない。 家でも、外に食べに行っても、ほとんどは白じゃないご飯が出てくる。 スタンダードなご飯といえば、白米と一緒に雑穀とか他のものを入れて炊いたカラフルな雑穀ご飯だ。先日見てた韓ドラにも、当然のごとく黒米交じりの赤紫色のご飯が映っていた。 雑穀ご飯なんて、貧乏の象徴だった時代もあった。確かにその時は白いご飯に対する

        • 母国語コンプレックス

          実は、私は韓国語がちょい苦手だ。 自分から暴露していいのかしらという気もするが…本当なんだからしょうがない(笑) えーー母国語なのに?? と思われるだろうが、こうなっちゃった訳はちゃんとある。 その訳、環境要因と年齢を今日は書こうと思う。 環境要因 私は10歳から12歳までを日本で過ごした。 2年間一度も帰らず、 日本人しかいない地元の小学校に通い、 もちろん友達も日本人しかいない環境で、 韓国人に会ったのは片手で数えるくらいしかなく、 ネットも盛んじゃなかった時代

        韓国滞在時に食するものーコスパ重視

          バイリンガルのスイッチ

          私は、バイリンガルだ。少なくとも。 レベルはともかく、韓国語と日本語を自由に使える。 例えば、こんな感じだ。 この場に、三人いる。日本語しかできない人、韓国語しかできない人、そして私。日本語と韓国語をほぼ同時に喋べりかけられても、日本語には日本語で、韓国語には韓国語で返せる。あまりストレスなく。 「どこに言語の切替スイッチがあるの?」と聞かれたことがあるので、自分の中の言語システムを考えて見たことがある。 結論から言うと、スイッチはない。 切り替えてる訳ではないのだ。

          バイリンガルのスイッチ

          受験生と漢方薬−聡明への近道?

          韓国では東洋医学が盛んだ。 盛んというのは、特別なことではなく、普通に通っていることだと思う。 鍼もよく行くし、生薬もよく飲む。お灸はたまにかな。 どこか不調な時や、気力が落ちてきた、または体質改善したい時など、韓医の先生の所に行く。診察結果に合わせて調合した薬材を煎じて飲み薬の生薬にしてもらう。一回の診察で15日分。朝晩2回ずつ飲むので、30個のレトルトパックが出来上がる。 薬材は、植物の根っこや実などがあるが、動物系もある。有名なのは、鹿の角と熊の胆汁とか。あ、あと昆

          受験生と漢方薬−聡明への近道?

          何カ国語できるの?−答えにつまる質問1

          「何カ国語できるの?」 よく聞かれるけど、私の中の答えにつまる質問 No.1 だ。 理由は歯切れの良い返事がすぐできないから。 毎回、どれくらいのレベルから、”1”とカウントしていいんだろう?と 悩む。 自分の中に言語のレベルっていうのがあって、 挨拶レベル 旅行で使えるレベル 日常会話レベル ビジネスレベル 新聞レベル 原書レベル 作文レベル 論文レベル などなど、本当に細かくある。しかも挨拶から日常会話までは、段階的だと思うが、それ以降は必ずしも段階的ではない。道具

          何カ国語できるの?−答えにつまる質問1

          チヂミの世界で、海鮮チヂミはマイナー

          「チヂミ」っていう単語は、日本に来て初めて聞いた。 チヂミは、釜山辺りで使っている表現で、ソウルっ子の私には??だった。 一般的な名称は「ジョン」。 ジョンは、 小ねぎ、ニラ、白菜キムチ、じゃがいも、緑豆、牛肉、鱈、舞茸、唐辛子、肉団子、カニカマなどなど、パッと頭に浮かぶだけでも10個以上ある位、種類も豊富で、ポピュラーだ。みんな普通に食べて育ってる感じ。 例えるなら、天ぷらみたいなものかな。 作り方は違うが、なんでも天ぷらにできるみたいに、肉、魚、野菜、なんでもジョン

          チヂミの世界で、海鮮チヂミはマイナー

          noteに踏み出した一押しと一週間の感想

          中々踏み出せない私を見て、友人が、書かなきゃいけない理由があると書けるかもと、ある提案してくれた。 月に500円サポートする。もし記事がアップされなかったら、催促する。と。 確かに締め切りがあると燃えるタイプの人間だから、強制力が働いて書くかも知れない。 それでもすぐには動かず、数日は足踏みした。 先週の金曜日、あれだけ動かなかったのに、 何かに操られるように登録し、その場で最初の投稿をした。 どういう風に投稿するのか試しに書き始めたら、いつの間にか投稿してた。 な

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          家にテレビが来た!でもなぜ日本語 Only?!

          まだソウルに住んでいた頃、うちにはテレビがなかった。 父の教育理念?ポリシー?みたいのがあって、テレビを置かない家だった。 まだ小さかったので、特に不満もなく、友達の家や親戚の所に遊びに行った時にたまに見る程度で良かった。 そんなある日、うちにテレビが来た! どうした??父ちゃん!!! ポリシーはもういいのか?!! と思ったが、そんなことを言っても得なことはあるまい。黙ったおこう。 不満はなかったが、やっぱりちょっとワクワクした! でも、このテレビ…なんか変。 韓国語が

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          父と母の日本語学習法

          父は私が母のお腹にいた時に日本語学習を始めた。 母は出産と育児があったので、それから数年遅れで始めた。 父が習い始めた頃は、韓国と日本は国交はあったものの、民間の交流はそこまでなく(冬ソナブームのだいぶ前)、日本語を習う人も少なかった。 だからか、父は独学で日本語を習得した。 元々暗記が得意な父は、辞書を丸暗記した。いわゆるガリ勉スタイル。 当時は日本語ができる人が少なかったので、父は勤務先で日本担当となった。それから出張やら単身赴任やらで、よく日本に行き来していた。

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          冷麺は冬の、サムゲタンは夏の食べ物

          土用の丑の日的な日が韓国にもある。 三伏(サムボッ)っていう日で、夏に3回ある。 日本ではうなぎを食べるが、韓国ではサムゲタンを食べる。 若鶏を丸ごと土鍋でグツグツと煮た、灼熱のスープ。 鶏のお腹に、もち米や高麗人参、ナツメなどの漢方系の材料を詰めて煮込む。 若鶏なので、小ぶりで身が柔らかい。塩コショウをちょんちょんと付けて食べる。基本一人一羽。 スープは乳白色で塩以外の調味料はあまり使わない。くどくないけど、濃厚なスープ。最後まで飲み干せば、汗がだーーーっと流れる。

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          越冬系キムチ・即席系キムチ

          ある日、「あ、最近キムチ食べてないかも?!」と気付き、考えてみたら、半年くらい食べてないことに気付いた。自分でもびっくりしたけど。 その時思ったのは、「おっ!これでどこでも生けていけるかも!」だった。(笑) まぁ、私のバロメーターは差し置いて、キムチは韓国人にとっては超大事な食べ物である。 食卓にのぼる頻度No.1じゃないかしら。ご飯(韓国料理)の時は必ずあるし、家庭によってはキムチだけで2,3種類普通に出される。インスタントラーメンのお供でもあるから、飯よりも明らかに

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          初めてのポカリ体験

          初めてポカリスエットを飲んだのは、小学校5年生の夏だった。 日本の小学校に転校してきて、通された校長室。 校長先生と父と弟、そして私がいる。 父と校長先生がなにやら喋っているけど、内容は分からない。 日本語は挨拶とひらがな、カタカナのみ特訓して来たのだから、それ以上はただの音。 転校するとまず校長室に通されるんだっけ?と疑問に思いながら、出された目の前の乳白色の液体を見つめていた。 白い絵の具を2滴ほど水に垂らした色をしたその液体は、味の想像ができなかった。 この未

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