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亡き人は雄弁に語る

 シャイで、寡黙で、恥ずかしがり屋で偏屈で人前ではあまり喋らないと言われた厚洋さんだった。
 真愛には気を許したのか、よく話を聞いたからか、馬鹿に出来たからか、それなりによく話した。
 凄くお喋りな真愛で厚洋さんに沢山の事を話したし尋ねた。
 答えなければ「ねぇ、ねぇ。」と煩い真愛に仕方がなく話し返すので、家ではそれなりに話した。

 病床で最期を知った厚洋さんは、
「もっと、ちゃんと話せば良かったな。」
と言った。
「そうよ。
 大好きだったのだから、『好き』って
 いっぱい言って。
 死ぬまでに10000回「愛してる」って
 言うのが約束ね。」
なんて指切りもした。

 1000回も言わないうちに
「お前が1番。愛してる!」
なんて意味ありげな短い言葉に収めて、ひとりで逝ってしまった。


 亡くなってからは、まあよく喋る厚洋さんである。
 ひとりになった真愛を心配してなのだろうか、生きている時に喋らなかった分を喋ってくれているのか。
 本当によく喋る。
 最近真愛は、人間の一生のうち、その人の寝る時間は決まっていて、その寝る時間を費やしたら人は死ぬのだとか、
 あるいは、その人の一生分の食事量を摂ったらそこまでの命なんだとか思うようになった。
 働き過ぎても、遊び過ぎても、何か一定量がある気がする。
 しかし、人の中の一生分の喋る分があるのに使い終えて逝かないと話したかった人間のそばで「喋る」ようになるのではないかと思う。
 せっかくそばで喋っても聞いてもらえない、感じてもらえない人もいるだろうが、真愛はよく聞こえるようになった。

露草

 珍しく早朝から草取りをしようとする装備をして庭に出ると
「サツキの盆栽の中に露草が咲いたぞ。 
 この花が萎れる前に家に入れよ。
 草は100本抜いたら、OS1飲むんだぞ」
という。
 当然、厚洋さんが元気な時の声で言うのだ。
 元気な時に、同じように言われたことを、露草を見た瞬間に真愛の記憶が再生されるので、聞こえて来たような気がするのだ。

光の網

 プールでバタフライを練習している最中に
「お前は何でも夢中でやるのがいかん。
 ゆったりと伸びろ!
 しっかりと水中で息を吐く
 おでこで水面を見ろ!
 脊柱を意識するんだ。」
と聞こえる。
 厚洋さんは、具合が悪くなり、一緒に泳げなくなった時に教えてくれたことだった。
 20mで疲れてしまう真愛のバタフライ。
 確かに夢中で泳ぐので、息をしっかり吐いていない、吐いていないから吸えない。吸えないから苦しくなる。
 焦るから伸びが悪くジタバタしてしまう。
 それらに気をつけると、不思議な事に残り5mを延ばして、25mを泳ぎ切ることができる。

トマトも喋る

 厚洋さんが作ってくれていたミニトマト。
 真愛も同じように育てている。
 そのミニトマトが彼の言った事を思い出させるのだ。それも、彼が逝ってしまった後の5年間分の知識と彼の言葉が一致して、「平等・自由・あるがまま」の生き方をする事を応援してくれるのだ。
 テレビを見ていても、ラジオを聴いていても、喫茶店での隣の人の話でも、何処にいても真愛の耳に入った言葉と真愛の目に入った事、
香りも味も、肌感覚も…。
 全ての感覚を使って受け取った情報は、厚洋さんの思い出と絡み合って、真愛への元に
「厚洋さんが喋る」と言う状況になっているのだ。

歌う厚洋さん

 だから、シャイで、寡黙で、恥ずかしがり屋で偏屈で人前ではあまり喋らないと言われた厚洋さんが雄弁に語るのだ。
 楽しく歌うのだ。
 これから、もっともっとおしゃべりになってくるし、もっともっと思い出すたびに真愛の増えた知識分をかさ増しして厚洋さんが語るのだと思う。
「ほら!
 俺が言っていた通りだろう?」
って。
 これを書いてから新型コロナウィルス感染症予防ワクチンを接種しに行った。
 4回目の時の副作用が酷かったので、今回も思い込みと怖がりな真愛は、ドキドキして接種時刻して過ごした。
 朝の仏唱の時には
「今日は、ワクチン接種です。
 最期かな。
 厚ちゃん、お迎えに来るのかな?」
と言ったが、厚洋さんは何も言わなかった。

 不安が最高潮に達したのは、接種時刻の30分前だった。
 厚洋さんが入院した時に毎日通った道の二つ目の信号で止まった時のことだ。
 すぐ近くには厚洋さんのお墓もある。

(今日で死んでしまうかもしれない。
 今日死んだとしても真愛は後悔しないな。
 厚洋さんとの幸せな43年もあり、
 その思い出を抱えながら、亡き厚洋さんを
 ずっと思い続けてこられた5年間もあり、
 何も後悔する事がない。)
と腹式呼吸をすることが出来た。
 何がそうさせたのかよく分からないが、その深呼吸で心を落ち着かせることが出来たのだ。

ここの病院


 病院は、厚洋さんを看取った真愛のかかりつけの病院である。
 彼との思い出の病院が、
     更に真愛を安心へと導いた。
 待っている時の目の前は、
      あの時通った階段だった。
 問診の先生は馴染みのない方だったが、接種してくれる看護師さんは、厚洋さんの点滴をしてくれた女性だった。

「安心しろ。
 みんな、同じようにドキドキしてるんだ。
 大人になったら、
 そんなこと口に出して言わなくなるんだよ。
 心配するな。
 俺の息子がついてる。
 俺が側にいる。
 死んでも悔いはないぞって思えただろう?
 死んだら、
《愛しい旦那様と言える70歳の未亡人》
 って言う題でエッセイでも出してくれるよ。
 お前の長所は凄い思い込みが激しい事。
 今日。
 今が有るのは、在るべきして有るんだよ。」
と厚洋さんが話してくれているうちに、接種は終わった。
 嫌な事も嬉しい事もみんな皆んな、有るべきして有るということ、全てご縁という事。

 そうやって生きてこられたのは、亡くなった厚洋さんや母や従兄弟や姪っ子・友達が饒舌に雄弁に語ってくれたからだと思った。
 本当に亡き人は雄弁に語った!

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります