1493日
noteの記事を公開するために、ハッシュタグをつけていた。
#MAAちゃんパニック
#画像削除 #思い出…。と打って気がついた。
画像削除は思い出削除なのである。
今、生きている愛しい人の画像は「今」撮ればいい。
しかし、既に亡くなってしまった人の「画像・写真」は二度と撮れないのだ。愛しい人との思い出の日々も戻らない。
#思い出削除
#写真を捨てる
愛しい人を二度逝かせるようで切なくて出来ない事なのだ。
厚洋さんは、真愛にたくさんの歌を歌ってくれた。
しかし、真愛は厚洋さんの前ではあまり歌わなかった。
合唱指導をし、発表曲の相談もしていたのになぜ歌わなかったのか。今まで考えた事もなかった。
真愛は、自分の思いすらはっきりと表現できないのに、思い込みや勝手な解釈で自分の行動を見切り発車する。
なぜ、彼ひとりの前では上手に歌えなかったのだろう。
それでも、付き合い始めた頃は、彼の部屋に行ってはギターを弾いてとせがんだし、一緒にサブを歌った。
「遠い世界に」「銀色の道」「若者たち」…。
綺麗にハモって
「いいね。ハスキーボイス。
2人で「流し」に行くか?」
「演歌歌えないもん。」
「そうだな。フォークソングじゃ
客は飲めないよな。」
と笑った。
多分、褒めてくれた事だと思うが、彼の言う「ハスキーボイス」が好きではなかったのだ。
真愛の理想の歌声は、「鈴を鳴らしたような声」が欲しかったのだ。
小学校の時は、通知表の歌唱の所に◎が付く「5」。最高評価だった。
しかし、小学校の教員になり、男性職員とも対等に仕事がしたかった真愛は、小さな鈴のような声では、応援団の指導など出来なかった。
初任の年の忘年会では、高音の曲が歌えなくなっていた。
厚洋さんに可愛いと思って欲しい真愛は、ガラガラ声では、彼の前で歌えなかったのだ。
また、真愛の好きな歌が「愛の歌」が多く、「好きです❣️」って言いたいし、歌いたいのに、歌えなかったのだ。
失恋をして厚洋さんの胸に飛び込んだときの真愛は、何処かに行ってしまって、ニコニコ笑いながら、「いいね。」を繰り返しながら聞くことが嫌われないことだと思ったのだ。
ひたすら、好きな歌を歌ってもらっていた。
歌うことが好きだった彼も、逃げないファンができた事で満足して沢山歌ってくれた。
彼の同僚とか彼の親戚の前では、2人で平気で歌えた。平気というより彼に語るように歌えた。
そんな時、歌い終わると必ず言ってくれた。
「お前のハスキーボイスはいい。
高橋真理子なんか歌ったらいいぞ。」
褒めてもらった真愛は、「5番街のマリー」や「ジョニーへの伝言」「for you…」を練習した。
ガラガラ声でも歌える「中島みゆき」の歌を得意とした。
同僚とのカラオケでは十八番になったが、厚洋さんの前では歌わなかった。
具合の悪くなった彼が入院し1ヶ月。
「家に帰りたい!」と言う彼の切なる願いで、最期になる一時帰宅をした夜のことだった。
介護ベットの横にすわり、二人でカラオケをした。
厚洋さんは既に声が出せず、全曲、真愛が歌った。
「これも歌ったね。一晩中歌ってくれたね。
愛してる❣️」
と、思い出を辿りながら歌った。
そして、
「5番街のマリー」を歌い始めた時だった。
厚洋さんが急に苦しみ出した。
救急車を呼ぼうとする真愛を制して
「大丈夫。
まだ、お前の歌が聞きたい。
家にいたい!」
って言ったのを思い出す。
「5番街のマリー」が繰り返し演奏される中で彼は救急車に乗せられた。
我が家を後にした最期だった。
そんな「歌」の思い出も、一緒に歌っている写真は一枚だけ、
結婚式の時に真愛のために歌ってくれた
「知床旅情」
「ピリカメノコって、美人って言うことさ。」
「結婚式に別れの日は来た〜って。
真愛は、厚洋さんから離れないからね。」
ってふくれっ面をして、ポッペタをつねられた。
確かに、離れない2人だったけど、自分だけ先に逝っちゃって…。
今日で、1493日。
写真一枚削除する事も出来ず、思い出を反芻している真愛がいる。
泣きながら noteを書いているが、これが今の真愛の幸せである。
3年経ったら忘れるよ。
2年経ったら泣かないよ。
1493日経っても、全部当てはまらない変わった女であることが「誇り」でもある。
彼と夫婦として過ごした43年1ヶ月。
師と弟子として過ごした46年4ヶ月。
一心同体として過ごした1493日。
全ての思い出は、一つたりとも
削除できない。
ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります