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1583日 希望

 顔面制動から13日目。
 腫れ上がった瞼の内出血は徐々に落ちて広がり、パンダというか、1ラウンドで担架に乗ったボクサーというか、なかなかの形相になり、外に出る事が憚られた。
 朝の資源ゴミ出しの帰りに抜いた新聞も炬燵の上に乗せたままお風呂洗いの9時になった。
 歳をとって一人で暮らしているとやたらと思う
(このまま死んだら、誰かが困るだろうか?
 直後は、息子達が後片付けに困るだろうが、
 他には、誰も困らないだろうなぁ。)
(私は何のために生きているのだろう。
 食事をし、歯磨きをし、着替えて
 noteを書く。
 死にたいとは思わない。
 しかし、生きる意味を見失う。)

 何だか20歳の頃の夏休みの憂鬱みたいで、ひとり笑いをしてしまう。
 半世紀近く経っても同じ憂鬱が来るんだ。
 そう思いながら、炬燵から立ち上がって、新聞に目を落として、目から鱗。

「生きるか死ぬか、その時に
      【このために生きよう】と
 思えるのが《希望》だよ。」

 希望とは、生き抜く力を湧きいだす
 人生の糧である。

チャーちゃんと

 自分の異変に気づいてから13年余り、厚洋さんは、病院にいく事を拒み続けた。
 泣きながら懇願する真愛に負けて病院へ行ったのは亡くなる年に入ってからだった。
 肺気腫の対策として、酸素吸入をするようになったのは、入院する一カ月前だった。
 病状は改善せず、歩く力がなくなり、食事すらしたがらなくなった。
 薬がなくなり、診察に行かなければならないのに病院に行かない厚洋さんと口論になり、行く当てもないのに家出をした。
 昔の勤務校の前で1時間過ごして帰ってきた真愛は、具合の悪い厚洋さんの前で聞いてほしい全てを嗚咽しながら
「私は、あんたの家政婦じゃない。
 大好きだから言うのに、わかって貰えない」
 泣き続けるしかなかった私の手を握り
「真愛は、俺の大事なお嫁さん。」
と抱いてくれた翌晩に、救急車で緊急搬送され入院した。

 死の床に伏せった厚洋さんが
「こいつのために、
 元気にならなくてはいけない。
 真愛のために生きなくてはいけない。
 治療を始めよう。」
と看護師さんに言ってくれた言葉が蘇った。

 入院する前のメモ日記にも
「maaのために身体を治さなくては…。」
と書いてあった。
 全て真愛のために生きようと考え直してくれていたのだ。

輸血をしながら

 今日見つけた言葉。
生きるか死ぬか、その時に
      【このために生きよう】と
 思えるのが《希望》
だよ。」

 あの時、厚洋さんの生き抜こうとする力を湧き上がらせたものが。
 それが真愛だったというのは衝撃的だった。

 昨日まで「真愛のために」という愛の言葉であると思っていたのだ。
 しかし、もっともっと高い次元で私を捉えてくれていたのだ。それをずっと気づかずに生きていた。
 彼が逝ってからの1583日。

 彼に愛され、彼に育てられ、今の自分が存在する「幸せ」を感じながら生きてくることはできた。
 少しずつ彼の亡くなった歳に近づき、死を身近に感じるようになり「生きる意味」を探すようになっていた今日気づいた事実だった。

 出会ってしまった事実。
 聞いてしまった彼の声。
「真愛!
 お前は俺の希望だったんだぞ!」
って言う厚洋さんの声。

 希望。
 希なる望み。
 死すると分かっていても見たい未来である。
 私は今、
 彼が見たかった未来にいるのだろうか。
 いい加減な日常を過ごしているのではないだろうか。
 彼が見たかった未来の真愛は
「よく笑い。
 よく食べ、よく泣き。
 何にでも本気になって取り組み
 その中から喜びを見つけ
 嬉しそうに厚洋さんに話す」
 真愛だと思う。
 看護で疲弊していた真愛を見て、
「生きなくては、こいつのために!」
と思ってくれたのだ。
 厚洋さんが愛してくれた真愛に戻らなくてはと思った。
 多少老けたが、彼の逝った年までには、まだ2年ある。
 いや、もう2年になってしまった。
 あの時、厚洋さんに語った
「貴方が元気になったら、日本画を描きたい」

 彼の仏前で語った
「貴方がやりたかった事を真愛がやるから」

 真愛の希望は、厚洋さんに誓った事を成し遂げたいことだ。
 一日中、ボーと過ごしていた真愛に、 
        鉄鎚が下った瞬間だった。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります