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永遠に乾かない夜と。

「ほんまにね、悲しいことってたくさんありますよ。生きてりゃそりゃ。で、まあ、じゃあ死んだら悲しいこと無くなるのかっていったらそんなのも分かんないじゃないですか。死んでた頃のこと忘れちゃったし。でも、そんなの全部置いといてね、わたしは今どうなのか。そうです。わたしは今、悲しい。家にあるバスタオルが全部、すべて湿ってて悲しい。濡れたバスタオルで濡れた体を拭いても、何も変わんないから。濡れたバスタオルで拭いた濡れた体は、濡れた体のまんまだから。こんなのは、悲しいに決まってるんだよ。」


下腹部の鈍痛に腰を曲げながら血まみれになったパンツを洗面所で洗っているとき、昨晩孤独にベッドの上に立ち、誰1人こちらを向いていないぬいぐるみの面々に向かって小声でおこなった演説を思い出す。

あのあと濡れたバスタオルで拭いた濡れたままの体は当たり前にすっかり乾いていて、代わりにこの、季節の変わり目に起こりがちな喉の痛渇きにおそわれていた。
口の奥の方でいつもぶらさがってるちっちゃいつららみたいなやつの正式名称は知らないけれど、それが、まるで食道までの行程を通せんぼしているのではないかと思うくらいに膨張している感覚を持つ。


洗っても洗っても透明にならない水を吸い込む気力がうちの洗面器には無いらしく、ピンク色と言ったら多少は聞こえの良さそうな、受け入れ難い薄赤色が順調に手元にあふれていく。
ちっちゃいころ、公園にある水道の蛇口を捻って飲んだ水の味と同じにおいがぷんと漂い、顔をしかめる。同時に、鉄   Fe   という文字が反射的に頭に浮かんで、しかめっ面の口の形を保ったまま、ふぇーとかいう情けない声を出した。

まともな周期を刻めないからだを厭う。1ヶ月に2度なのか2ヶ月に1度なのか予測できない上に無意味なこの洗血を、死ぬまでにあと何回繰り返さなければいけないのかというありがちな問いを虚空に投げて途方に暮れる。
無意味なことなんていうのはこの世にひとつもなくて、巡り巡って結局は意味のあるものになるとかなんとか言われても、静かにしてくださいとしか思えない。
これだけは絶対に、絶対に絶対に、どう考えても無意味だと確信している。
意味が無いこととなにかしらの証になることはまた別のはなしだし、そしてそういうことを考えだすと自ずと、正気の沙汰ではなし得ないような人々のあらゆる営みを想像して辟易することになる。


でもじゃあ果たして自分が正気だったことは、これまでにあるのか。



お前が始めた物語だろと一般的に言われる現状すべてはそもそも勝手に始まっていた物語の延長戦で、けれど何にせよ、生きていくような活動に頭を抱えながら、それらを発散するために、「こんなこと誰も始めてくださいなんて頼んでないんですけれどね。」とヒステリックに、もしくは冷めた声で攻めたてる気はもちろんさらさらない。
そういう行為の表面的な寒さを痛いほど知っているし、というか、そうしたくなった場合は一体なにに向かって訴えれば良いのかすらもわからない。
そしてそのわからなさについて忘れられる瞬間が日に何度かあるくらいには自分がいま幸福だという自覚も、もっている。

それでもたしかに振り返ってみれば、自分が正気だったことなんていうのはベッドの中に潜っているとき以外は無いという気がする。

夜、ベッドの上で仰向けになり、ぼーっと天井を見つめながら右手にあるリモコンで部屋の明かりを保安灯にしてから眠りにつくまでの数分が、おそらくわたしの正気タイムということになる。



左に頭をかたむけると、IKEAの籠の中でみちみちに詰められていた恐竜のうち、勘で持ち帰ってきた1頭が不自然な首の曲げ方をしながらわたしと目を合わせる。
彼女は(彼は、なのかもしれないけれど)、正気のわたしとしか睨み合ったことがない。
一定の表情を保つ冷静さと、劣化による口元の黒い糸の解れのだらしなさが可笑しくて、指摘をする。

「糸、取れてきてるよ。」


「あなたもね。」


「え?」


「溶けてるっていうか。」


「ああ。」


わたしの中にまだかろうじて存在している8本の糸は、くだらない執念と幻想にとらわれ続けた末にあるもので、例のごとく正気ではない状態のわたしがさらに正気を喪失させられ、比較的正気の他人によってねじ込まれた。

生きている限り、自分の選んだものを全うしたいと思うほど、自分の外側を他人に晒し続けることになるのが苦しくて、本当はそれ以外の何も苦しくは無いのかもしれないのに、それだけが苦しいからほかの全ても苦しくなってしまうくらいにずっと苦しくて、なんとかそれを克服したく、でもそんなのはたかが数本の糸や数グラムの液体で解決できるわけがなかった。
あまりにもあほくさいことはずっと前から分かっていて、正気に饒舌なわたしはおそらくそんなようなことを、瞬きすらできない彼女に吐露した。


「じゃあさ、山手線とか見習えばいいと思う。」


「は?山手線?」


「うん。あれって顔が無いからさ、いいんじゃないの。ほかの電車はあるのに。」


山手線に顔が無いことは、わたしもつい最近気づいた。でも、いいんじゃないのというのはどういうことなのか全くわからない。


「どういうふうにいいのかわかんないけど。ていうかあれは、本来あるはずのところに顔がないって感じがして、のっぺらぼうみたいで、怖いと思う。」


「そうかな。」


「うん。怖い。」

「へえ。じゃああなたはそののっぺらぼうの逆ってことで、それも恐ろしいけどね。」


「うん。」


きっといま彼女が言ったことは、ある側面からみれば完全に正しい。


本来無いはずのものを取り込んでできあがっている今のわたしはおそろしく、これは今朝、洗面所で流れ続けていた血の果てしなさの、きっと何倍もおそろしい。

体の内側で起こるごく自然な現象を極度に拒絶するくせに、体の外側に統治されつづけるわたしは、内側にもたらされる不自然な物質を軽々と受け入れている。


生きてる間に発生するものごとのほとんどは、どれだけ面倒でも絶望的でも、死ぬより先に終わりがくることばかりなのに、これはきっと、わたしが死ぬことでしか終わりがこないということを、もうすっかり察知している。




知らない間に降っていた雨のせいで、また今日も、家にあるぜんぶのバスタオルが湿っていた。

しかたなく、いちばん湿り気が無さそうな、とは言っても全然余裕で湿っているグレーのタオルを手に取ろうとする。
けれど、タオルからあちこちにほつれ出た糸のうちの1本が物干し竿に引っかかってしまい、なかなか取れなかった。

無理くり引っ張ろうと、タオルを下から覗き込むために首をひねり顔を傾け、力強く引き寄せると同時に、ぶちっという鈍い音がした。

きっと、ようやく糸が切れたんだろうと思う。

たくさん弛んでいたうちのどの糸が切れたのか瞬時には分からなかったけれど、でも別に、それは今のわたしにとってどうでもいいことだった。



物干し竿から不自然にぶら下がっているバスタオル越しに、おそらく最終の電車が通る音が聞こえる。

左の耳元を抑えるわたしと、どうせ今夜も永遠に乾かないからだに、顔のある電車の走行音が貼りつく。



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