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こっちは理詰め 向こうは罵倒

バイト先(学童)でみんなとお昼ごはんを食べてたら、1人の小学生が机の上にお茶をこぼした。
ぐえーーという顔をして「さいあく…」って言った後、こぼれたお茶を見ながら、「まあでもおしっここぼれてるわけじゃないしいっか!」と言い呑気に水筒からお茶を飲んでた。びっくりした。思考が私と全く同じだったので。

そうなんだよ。おしっこじゃなきゃ何も焦ること無いんだよね。なんたって、おしっこじゃないんだから。
水こぼした時とかもだいたいこれ。一旦うわぁ!って思うけど、いや水だし…乾いたら何も無かったのと同じだし…という結論に達して、そのままぽりぽり鼻を掻いたりツイッターを眺めたりする。

私はかれこれ5年間この学童でアルバイトをしていて、ただのバイトでそんなに続いている人が私以外にいないのですっかり太古の人みたいになっているのですが、そのせいでどんどん小学生たちから受ける扱いが酷く雑になっている。
加えてこちらもプライドなんぞとうの昔に捨てており、年上とかいう唯一ギリ張れる立場的威厳はまぁ割と初期に効力を発揮しなくなり、なので全然ふつうに小学生とガチ喧嘩をしたりすることがある。

しかし、大体わたしの方が負ける。
なぜかというと、小学生たちの攻撃の基本は「罵倒」だから。
小学生の罵倒はただの罵倒とは違い、とてつもない威力と残酷さを孕みながら私の心を殴打してくる。そこには、小学生ならではの敏感な視点とある種の無垢な精神から生まれる、「かなり的を射た罵倒」というやつも一定数含まれていて、それがさらに鋭角に突き刺さる。
私が辛くなるので具体的な言葉は出さないけれど、とにかく今の小学生は罵倒がものスゴい。

さて、この恐ろしく凄まじい罵倒シャワーを浴び、驚異のスピードで溜まる鬱憤や“わなわな”を手っ取り早く払拭するには「罵倒返し」が妥当なように思える。が、私は一応立場上大人であり忘れかけてはいたけど一応勤務中でもあり、腐っても指導員というやつなので、いくら小学生と同レベルで喧嘩できる!魂!を持っていたとしてもそれは賢いやり方とは言えない。というか、そもそも罵倒を罵倒で返して鎮火する喧嘩なんてこの世に存在しないから、これは確実に1番面倒くさい展開になる。
ちなみに、「無視」を決め込むという手段も無くはないですが、無視をし続けると小学生は次なる策、「物理的攻撃」を仕掛けてきて、またこれも後先考えぬ容赦の無さでとても辛いのと終わりが見えないほどの長期戦にもつれ込む可能性が経験上危惧されるので、やっぱりあまり賢い選択ではない。
何より、私は痛いのが本当に本当に嫌です。
そして言うまでもないですが、どの段階であってもこちらが向こうに物理的攻撃(つまり手や足を出すということ)を仕掛けるのは法に触れかけてしまうので当然ナシです。
尤も、常時それを理性で抑えている節はありますが。

そんなこんなで消去法にはなってしまうけれど、小学生からの罵倒で苦しむ自分にある程度の精神的慰めを施しつつ小さな対抗欲を満たすには、「理詰め」しかない。
都合の良いことに私は元々感情的というよりかは理論的な側面を多く持っているらしいので、実は此処こそが私のフィールドなのだ、とも言える。
よし!大人げなくバコバコと理詰め且つ諭しをしていくぞ〜!!


すると小学生は、持ち前の横柄さでこの理詰めには聞く耳全く持たず、こちらの並べるロジックをいとも簡単になぎ倒しながら更なる罵倒で応戦し、おまけに屁理屈(これがまたひどく厄介です)とかいう本当にこちらがどうにもできない忌々しいトドメを刺してくる。
ああ、小学生は思っているよりも持ち札が多いのだと気付く。
もうダメだ。無理です。
私の心と体はへにゃへにゃです…となりながら結局泣くことしかできなくなる。
まあ、小学生の前で泣いたところで次回戦の向こう側の手札のスパイスにされてしまうだけなのだろうとは思う。


この、果てしなく心がすり減る負け試合を私は約5年続けている。
労災とか出ろよ!とも少し思っている。
ネットで調べたけどたぶん無理っぽい。


そういえばこの前、私の服の袖が濡れてることに気付いた小学生(冒頭のお茶こぼし小学生とはまた別の子)も、「うわっ!なにこれ!おしっこ?」って言ってたな。
小学生はこの世の水分すべておしっこだと思ってるのかもしれない。
今度涙とか見せてあげよ〜。おかげさまで、涙ならすぐ出るのでね。



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