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天使構想日記

暑い暑い暑い暑い。とにかく暑い。もういいよもうわかったよやめてくださいと思いながらサイゼリヤに入る。絵画が素晴らしい。
後ろの席で男性2人組が「中条あやみはチャリを漕ぐのか」で揉めていた。そんなことで揉めるなよ。そんなことで揉めるなよと思ったけれど、紆余曲折を経て、「中条あやみはたしかに畦道でチャリを漕いでいた」という結論にまで達していてすごかった。サイゼリヤから間違い探しが消えるということは、代わりに中条あやみが畦道でチャリを漕いでいたという架空の過去がつくられることになるのかと思い、興味深かった。

家に帰れなくて、公園に行った。家に帰れなくて、というのは道に迷ったとか電車が無くなったからとかではなく、限りなく家の近くには到達していたけれど、いま家に帰ってしまったら何もかもの感情に向き合えず終わってしまう気がしたからで、まあ端的に言えば、ベンチに座りたかったんだと思う。家にベンチは無いから。
もうけっこう夜だった。怖かった、普通に。
まだぎりぎり今日だったけれどもう少ししたら明日になりそうで、そんな時間に大荷物で公園のベンチに座っている少女(少女でいい?)はどう考えても家出少女なので、そう思われないような振るまいをすることに努めた。でも別に誰もいなかったからそんなことをする必要もなかった。公園にいるのはわたしと、電気の近くで忙しなく飛び交っている虫たちだけだった。

ここにくる前に閉店間際のスーパーで買った50%引の焼売をいっこ食べた。涙が出た。嫌だった。そういう感じになったような気分でそういう感じになっている自分を俯瞰でみつめる別の自分がいたおかげで嫌だと思えた。よかった。すぐに涙は引っ込ませた。

隣に老人の足取りをした手ぶらの老人が座った。こんな時間に公園のベンチに座っている手ぶらの老人に対して思い当たる事情はひとつしかなかったけれど、そう思わせないような振るまいを老人はしていた。とてもはっきりとした声で喋りかけてきた。偽善がどうのこうのという話題を振られた。へへ、みたいな返事だけをしておいた。人間がね、いちばん怖いんだようと言って老人は去っていった。怖いのはわかるがそんなのはもうどうしようもないんだよなと思いながら会釈で見送った。

とにかく暑い、暑い。毎日が暑い。焼売があんまり美味しくなくて悲しかった。桃を食べたかった。だけど桃は高いので食べられなかった。わたしは絶対に桃を買えるようなおとなになるぞって思った。だけど別におとなにはなりたくなかった。おとなは常に何かに怯えているくせにそれを姑息に押っ被せようとするところが全く良くない意味でとても狡いと思う。偽善ともまたちがう気持ち悪さをじんわりと孕みながら生きている。そういうことを分かりながらそういうパフォーマンスに乗っかってわたしも、みんなも、生きている。

新宿でごみ拾いをしている人間は偽善者なのかという議論は近ごろ大衆の間で頻発しているけれど、それに対する結論なんてもう関係ないくらいに街が汚すぎる、ゴミだらけすぎる。そういうすべてに絶望しながら歩いていても別に新宿の空は間違いなく青くて本当に、本当になんなの。

カップラーメンの3分を待てるようになりたい。

Safariのタブ数が3桁になるのを防ぎたい。

お団子の3色目まで食べきりたい。

はやく天使になりたい。

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