見出し画像

アポイント・フェア


ふと目に止まった新聞の運勢欄に、『辰年のひとは燻ったきもちを持つ時機かもしれないが、立ち止まりすぎるといよいよ本当に好機を逃すぞ(超要約)』みたいな脅しに近いことが書いてあったので、わたしはそれを、『とにかく歩け!』って意味だととってひたすらに歩いてみることにした。




歩くということは、まず初めに立ち上がらなければいけない。



最近はちょっと座りすぎていておしりが四角くぺちゃんこになっていたんだけれど、なぜか今のわたしは自然とすっくと立って、歩き出すことができた。

うまく言えないけれど、確実な予感のようなものに後押しされてうまれた初動、という感じだった。




こんなふうに外を歩いていると、いわゆる“待ち合わせ”をしている人がとても多いことに気付く。


あのさ、待ち合わせをうまくできる人って、本当にすごくないか・・・?


わたしは待ち合わせがすごく苦手で、下手くそだから。

今後一生やりたくないことランキングがあるとしたら、「待ち合わせ」って「怒られ」と2位タイなんじゃないか。

だって、先に自分が着いたのか相手がもう居るのかよく分かんない状態で、待ち合わせモードのわたし!みたいなのを意識的にやらないといけなくなるのが、超いやだ。

街中できょろきょろとするわたしを、もしかしたらもう相手はどこかで見ているかもしれないのも、いやだ。これってぜんぜんフェアじゃないから。



この辺にいます、とか曖昧なことを言わないでほしい。
このデパートの外にある街灯の右から2番目横断歩道側を向いて立っています、とか言ってほしい。

だけどこれはもう、待ち合わせとは言えないような気もする。


だからわたしがしたいのはきっと、待ち合わせじゃなくって、どちらかと言うと鉢合わせなんだよなあと思う。

会いたい人、そのとき会うべき人と、勝手に同時にその場所で会えるという感じが、本来あるべき姿の邂逅だと思う。





「わたしさ、待ち合わせってだいきらいなんだよね。」

『別にそんなの、いらないと思うけど。』


ある人に待ち合わせ嫌いを告白したとき、こうやって短い返事をされたことがある。


当時のわたしは、そんなんじゃ目的の会いたい人と誰にも会えずにおわっちゃうよって思って意味がわからなかったけれど、でも、今のわたしはそれがすこし理解できるような気がする。



待ち合わせというのは、大袈裟に言ってしまえば、人同士の必然的な出会いということになる。



じゃあ、待ち合わせの無いまま出会ったわたしたちの今は、偶然的なできごとなんだろうか。


どちらが良いとか悪いとかじゃなく、きっと、偶然も必然も地続きなんだろうな、と思う。




とにかく今は、歩き始めることができて、たぶん歩きつづけることができている気がするというのが、重要に思える。



いつの間にか、昔よく通った公園にたどり着いていた。

景色があの頃とはなにか違う気がして、少し考えてから、あっと思う。




「あの、ここの遊具ってもしかして塗り替えとかしたんですか?あんまり人が来るようには思えないですけど。」



公園を掃除していた、おそらく地域のなんたら委員会のおじさんに聞く。



『え?これ?誰もこやせんのだから、こんなとこ。わざわざ塗り替えるわけないがや。』



「そうですか…。えっと、でも、前はもっと色がなくなってて、ああ禿げちゃったのかなとか思ってたんですけど。」



『いやー、たぶん元々これだわ。誰もあそばんから、禿げるとかもありゃせんて。ははは。』



不思議だった。でも、だからって変な感じはしなかった。





やすらかな日差しに包まれる公園に、いつの間にか、コロコロと荷物を引きながら集まる人たちがみえる。

きっと待ち合わせだな、と思う。




風に吹かれて立った砂ぼこりの隙間からみえる彼女たちと、カラフルな遊具と、彼女たちの色がふわりと自然に溶け込んで、鮮やかになる。


そのとき突然、ああわたしがしたかった待ち合わせのような鉢合わせって、たぶんこれのことだったんだ、とわかった。




ぜんぜん全然まだ何も分からないはずなのに、そういうことだけがなんとなくわかった。

こんな感じのことを積み上げながら、世界へのとめどない開きが起こるのかもしれないな、と思う。


きもちのよい呼吸をする。


青い清々しい空を見て、冬の匂いをかいで、あたたかさを触って、穏やかな声を聞いて、それからまた、あの時の会話が確実にわたしの中に落とし込まれる。



「わたしさ、待ち合わせってだいきらいなんだよね。」



『別にそんなの、いらないと思うけど。』





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?