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過敏性腸症候群がつらい。それでも私は、旅をする。

私は旅行が好きだ。
旅をして、その土地に刻まれた歴史や、誰かの生きた証を辿ることが大好きだ。

スーツケースに荷物を詰め、早朝のバスや飛行機に乗り込む時のワクワク感。
見知らぬ土地で、地図を頼りに目当ての史跡に着いた時の達成感…。
旅でしか得られない感情は、何ものにも代えがたい。

けれど私にとって旅とは、ただ楽しいだけの時間ではない。
ほんの少しだけ、人よりもチャレンジングな行為なのだ。

私の鞄には、どこに行くにも必ず薬が入っている。
その中身は、ストロカインやチアトンという、胃痛や腹痛の痛み止めだ。
そう、私はかれこれ10年以上、デリケートな胃腸と付き合いながら、このストレスフルな現代社会を生きている。

最初に「痛み」を感じたのは、14歳の時だった。
いつものように塾に行き、授業を受けていた最中、私は突然、みぞおちの辺りを掴んでひねり上げられるような感覚に襲われた。
当時、私が通っていた塾では、問題を間違えるたび、反省として席を立たされる習慣があった。けれどその日は激しい痛みで、椅子から立ち上がることさえやっとだったのを覚えている。授業を離脱し、即座に病院に連れて行かれた私は、そこで人生初の点滴と、胃薬を処方された。

受験が終わって、いったん、みぞおちの痛みは落ち着いた。しかしその後も、私の胃は、時々思い出したように痛むようになった。痛みといっても、すぐに収まる時もあれば、体を「く」の時に折り曲げてもがき苦しまなければならない時もある。学生の間は「ごくまれ」に起こるハプニングだったのに、社会人になって、その頻度はじわじわと上がるようになった。

胃カメラを飲んだ。大腸の内視鏡も血液検査もした。
けれど決まって診断は異常なし。健康診断も必ずA判定だ。
そのたびに医者は首をひねり、「どこも悪くないなら、ストレスや緊張が原因ではないですか?過敏性腸症候群の一種じゃないかと思います」
と言うばかりだった。
見た目で症状は分からない。だから一般には、単に少しお腹が弱い人、と思われるだけだろう。
しかし、痛みへの不安だけでなく、“人と同じこと”を“同じだけできない”というのは、当人にとって予想以上に辛いものなのだ。
例えばお酒。
私は日本酒が好きだが、浴びるようにお酒を飲んだことは人生でただの一度もない。突然、胃がキリキリ痛み出すのが怖いから、どうしてもセーブせざるをえないのだ。飲み会などではリスクを取らないよう、ソフトドリンクで通すことも少なくない。
それから着物。
私は着物が好きだ。出来ることならもっと色々な場で着てみたい。けれど長時間の着用や、すぐに着付けを直せない場では、着たくても躊躇うことが少なくない。帯や腰紐でぐるぐる締め付けると、経験上、途中でみぞおちの辺りが痛くなりやすいからだ。
そして何より、旅行。“痛くなるかもしれない”という不安を常に抱えながら旅をするのは、予想以上にエネルギーを使うものなのだ。
家の中や、慣れ親しんだ場所で痛くなるならまだいい。しかし見知らぬ土地で痛くなるのは、やはり心細い。一人旅なら黙って痛み止めが効くまで耐えなくてはならないし、同行者がいるなら、迷惑をかけたと気を遣うことになる。

勿論、出来る限り不安をなくすための対策はしている。
毎日漢方薬を飲み、ジャンクフードや刺激物は避け、消化の良い食事を心がけて摂生する。
ラーメンやカレーや揚げ物が食べたくてたまらない日だってあるし、実際口にすることもある。
けれどたいていの場合、私はその日の胃の調子を注意深く確かめ、食欲をセーブしなくてはならない。特に大事な予定や、人との約束が控えている前は、どんなに食べたくても、ぐっとこらえなくてはならないのだ。胃腸の心配もなく、好きなだけ飲み食いできる人達が、何と羨ましいことだろう。
旅行の前ともなれば、私は数日前から気を遣い、消化に悪そうな食べ物は控える。旅行先でも調子に乗って暴飲暴食はしない。旅を最後まで楽しめるように。そして、旅先で、胃痛に苦しまないために。

入念な旅行前の準備が功を奏しているのだろうか。今のところ、私は旅先で病院を探す羽目になったことは一度もない。だがその陰には、人には言えない我慢と対策の積み重ねがある。

そこまでして旅をする理由。
それはやはり、知らないものを知りたいと思う私の性分だろう。
そして歴史を愛し、非日常を愛するが故だろう。

あの出来事の舞台に足を運びたい。
あの人のお墓参りをしてみたい。

そういった思いが、私の心を支え、励まし、旅へと向かわせてくれる。

年始の目標に、私は無理をしすぎないことを掲げた。
けれど、旅だけは、すこし無理をしてでも行きたいと思う。
だってまだ見たい景色があるから。経験してみたいことがあるから。
今年もやっぱり、私はスーツケースを引っ張り、可能な限り旅に出かけるのだろう。

でも。
もしも願いが叶うなら。
次に生まれて来るときは、痛みとは無縁の人生を送りたい。
そう思いながら、私は遠慮がちにおせち料理に箸をのばすのだった。



追記:筆者は現在も対処的に薬を飲むしかなく、症状に悩んでいます。克服されたという方がいらっしゃれば、情報を募集しております。

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